直傳靈氣を受講中です

 

 

直傳靈氣のセミナーを受講しています。

講義の内容は公表しないお約束があるため、ブログに書く事はできません……m(__)m

 

 

しかし私の感想としては、

「受講して、本当に!!良かった!!!!!」……です(∩´∀`)∩

 

 

最初にハッキリ言いますが、レイキはレイキ。

 

世界中に広まった西洋レイキも、臼井先生がルーツではあるけど、全然違うやり方で発展している。レイキという自然の恩恵を使わせていただいて、心身ともに本来のあるべき状態になっていくのは同じ。もうどのレイキだってちゃんと効果があるのです。

 

私がこれまでやってきたのは西洋レイキですが、それでも、西洋レイキと単純に一括りにはできないくらい、伝授する人によって、伝え方も、伝える内容も、、バラエティーに富んでいます。

 

気功などと違って、その人個人の力を使っているわけではなく、誰もが使える、誰もが本来持っている、自然のエネルギー……だから、ここまで世界中に広がっているわけで……。

 

 

私が伝授を受けた、COCOIROの白石庸子さんは、西洋レイキ、カルナレイキ、現代レイキ……とレイキを深く学ばれました。そんな中でも何よりも心から臼井先生の事を尊敬されていますし、正しい歴史もちゃんと伝えてくれました。(そんなティーチャーを探し当てた私はとてもラッキーだった)

 

 

自分はイトオテルミーの療術師であり、身体の滞りを流していくことで、心の滞りもほどけていくという事を知っています。人間が本来もっている自然治癒力。人間はもともと、ただそのままで完璧なのだという事も。

西洋レイキは、西洋に渡った影響で、宗教的な想念が根底に付着しているというか……結果、それがマインドに制限を生むのです。身体の治療というよりは、ヒーリングであり、スピリチュアル要素も強いです。(それが悪いのではなく、私にとっては違和感、というだけ)

 

手の当て方も、身体に直接手をあてるのではなく、数センチ離れたところから手をかざします。触れてもフェザータッチです。

 

しかし、自分はなんだか最初から、やっぱりどうしてもテルミーの様に、手を直接身体にあてたくなるんですよね。自然とそうなっていました。そして、ビリビリとした反応や、ヒビキを感じるので、そこへ手を置くというやり方でずっとレイキをしてきました。それで、いろんな方から喜んでいただけましたし……。

 

そんな風に、自分の感覚に合うやり方でレイキをしていくうちに、自分には直傳靈氣の方がしっくりくるのではないだろうか……と思うようになったのです。

 

西洋に渡らずに、日本にずっと留まり続けた、日本の靈氣です。

手技も、精神も、きっと私に合っているのは、直傳靈氣だろう、と。

 

 

今回、セミナーを受講して、内容は書けませんが、日本人のDNAには自然とスーーッと入っていく、意味が解る、腑に落ちる内容でした。

 

自分の中の、「これって……どういう意味なんだろう…」と感じていたものは、日本本来のものから変わってしまったもので、意味が解らないのもアタリマエ…というか。「そういうことかー( ゚Д゚)!!!!」と、突然私が叫んだので、みなさん驚かれたかもしれませんが(笑)感動したのです……。とても、しっくり、わかったからです。

 

 

霞が晴れていくように……もやもやが消えていきました。

 

 

明日は最終日です。

しっかり学んできます。

 

 

 

 

 

 

アニマルコミュニケーションの本

こんな本を購入しました。

 


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何となく、アマゾンで見かけて、いいかも…と思ってポチりました。読み始めましたが、グイグイ惹き込まれています。

 

 

何をどうやって動物と話せるようになるのか、これまでは全くわからなかったのですが、この本には実際にどうやって練習するのか具体的に書かれており、この通りに地道にやり続けたら、本当に動物と話せるようになるのでは……と思えたのでした。

 

この、「やり続けたら」というのがキーワードだと思いました。

 

量子力学のとあるブログを読んでいたら、望みを実現させている人というのは、やりたい事ができた時に、「やりたい事をイメージし」「それを言葉にし」「それを具体的な行動に移し」そして、「できるようになるまであきらめずにやり続ける」のだそうです。

 

 

思う → 行動する → できるまで続ける

 

 

たいていの人は、途中であきらめて止めちゃうそうです。

 

やめちゃう理由は、才能に恵まれなかったから…とか、運がなかったから…とか、興味が無くなった…とか、いろいろあると思うのですが。

 

 

成功者と呼ばれる人は、そんな事を考える余地すらないくらいに、シンプルに、ただ純粋に「それ」を求めているのでしょう。

 

「好き」とか「知りたい」とかの、ピュアな欲求、、、それこそが枯渇することのないエネルギーの源泉です。

 

 

いよいよ明日から直傳霊氣。

 

直傳霊氣の施術開始は、いろいろ準備してGW明けを考えています。メニューなど決まったら、ブログでもお伝えさせていただきますね。

 

 

 

植物や動物と話す……という感覚

 

 

最近の、私の関心はもっぱら「動物」や「植物」であり、彼らと会話をしたいというものです。

 

それは、以前からそうなのですが、今は私が「彼らと話すには……」という意識を絶えず飛ばしている状態なので、自ずとそれに関する情報が集まってくるわけです。

 

…と、同時に。

 

自分は情報も探しますが、もともと直観タイプなので、ぼんやりしながら…とか、散歩をしながら、それについて思考をしていると「…ああ、そうか!」という感覚が降りてくるのを大切にしています。

 

そして、その「ああ、そうか!」の感覚を裏付ける知識が、その後で見つかったりするのです。そうなると、「やっぱり、『ああ、そうか!』の通りだった!」となります。

 

今回は、植物についてなのですが。

 

うちは山など自然が豊かな場所に住んでいるので、散歩する時はいつも木や緑を見ながらなのですが、「植物と会話をしたい」と思いながら歩いている時に、「……私は、植物と会話をしたいと思っているけど、イメージとしては人間の声のようなものが聞こえてくる、しゃべりかけられると勝手に思っていたけど、そもそも植物って、人間のように言語で語りかけてこないんじゃないか…?人間のコミュニケーションツールに当てはめていても、それは見当違いなんじゃないだろうか……」と思ったのです。

 

よく考えてみたら、当たり前の話なんですけど、やってくるのが「言葉」だと思っていたら、きっといつまで待っても会話はできないでしょう。

 

私が何となく感じているのは、植物から発せられているのは、言葉では説明しにくい「雰囲気」というか、波動…のようなものだ、というものです。明確に言語化はできない空気感のようなもの。ありのままを当たり前として自然に受け入れている存在であり、発しているのは「心地よい波動」とか「静」とか「享受」とか……です。(と、私が感じています)

 

 

彼らには、エゴが全くないので、例えばこちら側が勝手に「こんな劣悪な環境の中で根を張って生きていて、ちょっと不憫だ」とか思ったとしても、彼らはその環境を享受して、あたえられた中で生命活動をし、エネルギー循環しているわけで、自分をかわいそうだとか、環境を呪ったりとかは、ないのだと感じられます。

 

そんな、エゴの無い植物なので、人間から話しかけられるように「言葉」でメッセージがやって来ることはちょっと考えにくいな、と思ったのです。

 

植物には植物の発し方がある。

 

そう思って散歩をして、いつものお気に入りの桜の木のそばを通りかかったのですが、なんというかとても「歓迎された空気感」を感じまして。。。

 

たまに私がその木にもたれ掛かって座って空を眺めるので、覚えてくれているような、そんな空気感なのです。それが明らかに、他の樹木とは違っていて、なんか嬉しいなぁと思いました。

 

今日も、その木にもたれて風に揺れる枝葉を眺めました。また脳が温泉に入っているようにリラックスし、手はヒビキがビリビリして、レイキをしている時と同じ感じになりました。その木はいつも私にヒーリングをしてくれます。

 

「なんとなく感じる」

 

これが、樹木とのコミュニケーションなんだな、と思いました。この感覚を大切にして、自分を空(くう)にして彼らと対峙する。そうしているうちに、もしかしたらもう少し深いコミュニケーションも出来てくるのかもしれません。

 

きっと、動物も同じなのではないかと思います。つまり、「言語」としてやってくるものだけがコミュニケーションではない、もっと全身全霊で「感じる」ところからの言葉にならない感覚のやりとりなのだろう、と。

 

お金をかけて勉強するのが最短のような氣がしてしまいますが、、、まず何よりも自分の感覚を大切に、感覚を研ぎ澄ませて、感じる……をやってみようかな、と思った今日の氣づき、でした。

 

だって、テレパシーって、きっと本来は持っている能力ですよね。特別でもなんでもない。「氣」を感じるって、実際に誰にでもできている。(自覚しているかどうかは別として)

 

人間はエゴも強いですし、言葉と心が一致していない事も多いので、それが違和感となって、相手の本音とかを感じやすいのですが、動物や植物はエゴがなく、自然体で生きているため、発する波動が軽いですし、押しつけるような重さがありません。

 

わかろうとしなくても感じやすい人間。それと同じコミュニケーションだと思っていたら、動物と植物には当てはまらないんだな……と思いました。

 

知りたい、と思ったら……ちゃんとそっちの方向へ導かれる。

 

言葉にだして質問してもいいし、文章に書いてもいいし、心の中で思ってるだけでも大丈夫。そのようにして、意識を飛ばしていたら、ちゃんと答えはやってきます。

 

 

 

春眠……( 一一)ZZZ

 

 

不注意によるミスが続く。

 

ATMで出金したのち、キャッシュカードを取り忘れ、そのままATM機械に吸い込まれれていましたよ……と、銀行さんから電話があった(それまで気づかなかった)

一時停止を見落として罰金…(ゴールド免許だったのに💦)

リュックサックを購入して、店から出た時にブザーが鳴ったが、自分のはずは無いので特に気にせず家に帰ったら、リュックに盗難防止の器具?がついていたままだった(店員さんの外し忘れ。外してもらいにまた店に行かなくちゃならない)

そういえば、昨日は主人の実家でコップを割ってしまった…( 一一)

その少し前は、お気に入りのピアスを片方なくした……(-_-;)

 

 

自分の不注意によるミスの頻発と、不運の連続……。あまりにも続きすぎて「理由があるのかな……」と考える。

 

一つは何かしらのストップがかかっている可能性。スピリチュアルではよく言われる……けど、何に対してのストップなのか、思い当たらない。。。

 

 

また最近は、とにかく眠くて、脳がボンヤリしている…というのは、確かにある。

 

もう一つは「厄落とし的な意味」……もちろん罰金とかショックなんですけど、もしかしたら、このままボンヤリしていると、もっと大きな事故とかになるよーー、と注意喚起をされた可能性も。

 

失くし物をしたり、物が壊れたりするときは、身代わりになってくれた、あるいはエネルギーの変わり時のような意味があったりするらしい。

 

 

ストップがかかっている時は、これまでも第三者からの言葉から、何等かのヒントが来たりするので、今回はストップではなくて、厄落としな氣がするなーと、何となく思っています。

 

しかし、とにかく眠いので、いつものように能動的に内観して振り返るよりは、ただただ、委ねて、わかるまで待つしかない……と。ひたすら受け身で、無気力な感じです……。

 

 

春って、どうしてこう眠いのでしょうね……( 一一)ZZZ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真ん中でバランスをとろう…っと。

 

 

 

ここ一か月近く、食生活を変えているのですが。

 

あれれ…?これって、やっぱり変じゃないかな…?と、身体が感じ始めました。

 

 

そもそも、ガンかもしれないって事で、食生活を変えてみたのですが、当たり前だけど、同じものをずっと取り続けるってのは、身体にとって不自然です。

 

いくら身体に良いからといって、(それが誰にとって良いのか、どの状態の人にとって良いものなのかって問題もあります。)同じものばかり取り続けると、偏りができてきます。当たり前ですよね( ̄▽ ̄;)

 

 

人参リンゴジュースは、めちゃめちゃ美味しいですが、最近自分の身体が冷えている氣がとてもします……。それで、これはオカシイ、と思ったんです。いや、よく考えればオカシクは無いんですが…( ̄▽ ̄;)💦

 

ガンじゃなかったので、多分私にとっては、人参やリンゴはさほど必要な食物では無かったんだな、と思いました。そもそも生野菜をそんなに沢山とるのは良くない。

 

何についてもそうなのですが、やはり偏るということは、今の状況を脱したとしても、今度はその偏った方向に行き過ぎて、そのベクトルの新たな症状を生み出すって事です。

 

バランス、が大事。

 

そして、そのバランスっていうのは、その人によって違う。

 

私は、今回、自分の身体を実験台にして、それが本当に身体の違和感でわかったことに、安心しました。(氣づけて良かった(-_-;))

 

これは、身体の声に従うって事で。。。

 

食べたいものを、食べたい時に食べる……っていう、シンプルな話なのですが、その「食べたいとき」や「食べたいもの」っていうのが、暴飲暴食をしているとわからなくなってくるんですよね。

 

それは本当に食べたい時なの? 

何となく口寂しいから…とか、習慣だから…とか、実は身体が食べたいっていうタイミングとは違う可能性もある。

 

それは本当に食べたいものなの?

身体にいいって聞いたから…とか、手軽だから…とか。本当に食べたいとは違うものを、食べたいと思い込んでいる可能性もある。

 

 

1日に3食、しかも間食もちょこちょこ取っていて、常に胃の中にものがある状態では、身体の声は聞こえにくい。

 

 

そういう意味では、今の食べ過ぎていない生活は、良かったと思います。思うけど、同じものばかり取り続けるリスクっていうのが、身体の違和感、なんか冷えてる氣がする……で感じる事ができました。

 

 

人参リンゴジュースを飲んでいる生活をしている時は、ハチミツは欲しなくなったし、身体って、宿主よりもシンプルに判断しているんだなって思う……。


逆に、今日は朝時間がなくてジュースを作れなかったけど、ハチミツ舐めたらもうジュースは要らないな……って感じた。

 

 

世の中で良しとされている健康法は万人にとって良いものではないから。

 

自分の身体で実験する。

自分の身体の反応と、その時の自分の氣分が、何よりの答えだ。

 

 

そう思いました。

 

 

 

 

 

 

 

コーヒーはNGだった…"(-""-)"

 

 

ゆっくりゆっくり回復食をはじめています。食生活が回復しても、一日一食にするのは変わらないんですけど。昨日は大根を出汁で煮たものと、湯豆腐でした。それでも!胃に物が入ると重いです……💦

 

そしてそして…٩( ''ω'' )و

 

断食をしていたおかげで、花粉症の症状がほとんど出ていなかったのですが、食べると花粉症の症状がやや出るのです……Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

という事は、空腹時は消化にエネルギーを使わないので、体内総出で炎症の修復をしているのだな…と実感します。食べ物が入った途端に炎症の修復はやめるんかーい!!みたいな反応なんです。

 

 

身体は、食べ物が体内に入ると、何はさておき消化にエネルギーを費やします。子どもとか、若くて健康な人は、体の中に戦える要員が沢山いるので、食べても修復にもちゃんとエネルギーが回るんですけど、年齢を重ねて体内が炎症だらけの大人の方々は、そもそも子どものように体内に余剰の戦闘要員がいません。いつもいつも、体内で修復や工事に人員がとられているので、万年人手不足みたいな状態です。

 

それなのに、四六時中食べ物が体内に入ってくるような生活をしている。すると、修復も追いつかないのに、修復工事中の要員も自分の仕事を放ってしまって、とにかくみんな食べ物を消化することに尽力してしまうのです。それが本能だからです……よって、体内は常に治りきらない慢性の炎症を抱えている状態。

 

 

断食している間は体調が良いのに、食べ物が入ってくると重く感じるってのは、私も自分の中に戦闘要員が少ない証拠です💦

 

 

そして、今日。

 

食べ物が入ってくると重くなる……の他に、「コーヒーを飲むと、鼻が詰まる事に気づいたのです٩( ''ω'' )و

 

私はコーヒーが好きなので、一日一杯は必ず飲んでいたのですが、断食の間はコーヒーもやめていました。2週間くらいかな……。それが、昨日久しぶりにコーヒーをちょっと飲んでみたら、鼻が詰まる (; ・`д・´)エエェェェーー???

 

たまたまかな?と思って、今日も飲んでみたら、飲んだ途端に鼻が詰まる💦

 

 

偶然にしては、二日連続だし、、、気になって調べてみたら、蓄膿症の時には、コーヒーは良くないんだって……Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

 

 

理由その①「カフェイン」

カフェインは刺激を与える“刺激物”になってしまう可能性があり、炎症が刺激されて蓄膿症がひどくなる。

 

理由その②「ヒスタミン

コーヒー豆にヒスタミンが含まれており、炎症を起こす原因になるので、ヒスタミンを含むコーヒーを飲んでいると炎症が悪化していく。

 

 

だそうです。Σ( ̄ロ ̄lll) エェェン💦

 

 

今までは、普通に食事をしていたので、いつも鼻が詰まっており、コーヒーを飲んでも飲まなくても違いがわからなかったのだと思います。

 

断食をして、鼻が通っているのが常になると、コーヒーのせいで鼻が詰まるのがよくわかる……、と。

 

 

ほんの小さな事ですけど、これまでもコーヒーが入ってくるたびに、身体としてはSOSの反応を出していたのに、気づくことはできませんでした。断食をしたからわかった、って話なので。

 

コーヒーは好きだけど、身体は入れないで欲しいと言っている……。

 

悩むけど……"(-""-)"

 

身体の声を尊重したい今の自分としては、これを機にコーヒーを常飲する習慣をやめようと思いました。

 

 

 

すっごく飲みたいときだけ、ごくたまに飲む、くらいの嗜好品にしようと思います……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心も身体も自然であること

 

 

大変ご無沙汰しておりました。久しぶりのブログになります。

 

実は、この二週間近くは、日常の中でちょっと変化が起きて、それがひと段落してからブログを書こうかな、と思っておりました。

 

事の始まりは、二月初めに受けた健康診断だったのですが、生まれて初めて「要精密検査」となりました。血液検査も長年の間ずっと健康優良児だったんですが、生まれて初めてメタボ予備軍的な診断(まだ正常値ではあるけれど)がなされました💦この一年で代謝が落ちたのは感じていたし、上手く回っていないな……とは思っていました。帯状疱疹にもなりましたし……。

 

要検査項目は、乳がん検査だったんですが、、、左右両方に、のう胞性病変と腫瘍があったみたいです。見た目にシコリも何もないし、本当に驚きました。すぐに検査の予約を入れましたが、予約がいっぱいで、本日検査をしてきました。

 

その間、自分の心の動きを観察していましたが、「もしかしてガンかも」という事態になり、自分がどう思ったかというと……。

 

「身体は間違えない。自分の身体の細胞に良いも悪いもなく、全てが大切な細胞だ。そして、その中でもしガンになる細胞ができたとしたら……それは宿主である私の命を守るために、何等かの理由があって今そうなっている」

 

…でした。

 

そう考えると、ガンかもしれないその細胞に、愛おしさを感じ、感謝の念をいだきました。(実は、28歳の時に甲状腺癌になった事があるのですが、その時はもっと狼狽えましたし、この先どうなるんだろう…と不安でいっぱいでした。)

 

ガンを、自分の身体にどこからともなくやって来た憎き悪者‥‥と思うのが普通なのでしょうが、自分の身体の細胞を善悪で分けることもなく、どれもこれも大切な自分を構成する一部と心底思えた。

 

こんな風に感じた自分を発見して、私はあらためて自分のシフトがかなり進んでいたと実感することとなりました。

 

それで。

 

 

自分は、たとえ癌であったとしても、手術をするつもりも、抗がん剤治療をするつもりもありませんでした。理由があって癌細胞になったものを切ったとしても、根本的に自分の肉体環境が変わっていなければ、他の臓器で同じことを繰り返す、と思ったからです。私のやることは肉体の根本的な改革……というか、精神も肉体も、自然な状態へ戻すことが、自分のやることだと思いました。

 

 

そう考えた時に、ふと思い出したのは、10年くらい前に読んだこのお話でした。

世にも美しいガンの治し方 | ムラキテルミ オフィシャルウェブサイト (murakiterumi.com)

 

その当時、これを読んで凄く印象深かった。ガンの原因は血液の汚れ。ガンは血液の浄化装置。自分の作ったガンは自分で治す。

 

 

病院の精密検査までの2週間、とにかく自分に出来ることをやろう…と、ジューサーを購入し、人参りんごジュースでファスティングを開始しました。

 

最初の5日は一日一食。(和食)その後は、ファスティングをしています。

 

驚いたのが、人参りんごジュースがめちゃめちゃ美味しい!!そして、食べていない時間に空腹をあまり感じず、むしろ心地いい。夕食を食べると、身体が消化にエネルギーを使っているのがすごくよくわかる。その間は、身体の修復へエネルギーが回らないのも感じました。なので、四六時中食べている人は、身体の修復が追いついていないと思います……(食べ物が入ってくると人は自動的に消化へエネルギーを費やす)

 

こういう生活に慣れてくると、食べない事の方がむしろ自然に思えてきます。消化にエネルギーを費やさないおかげで、なんと長年の花粉症の症状が、ほとんど出ていません。これは嬉しい副産物でした。

 

もちろん、余命宣告をされることも想定しました。そうなると、高校生になる娘に毎日お弁当を持たせてあげられないな…とか、浮かんできて、悲しい思いをさせてしまうな‥と考える自分もいる一方で「そういう経験をしたからといって、それで彼女が不幸だとか、可愛そうな人間だ、という事ではなく、それもかけがえのない人生の大切な経験の一つで、その人の人生の彩り」という思いが浮かんだりもしました。

 

手術や抗がん剤治療を受ける気は無いので、病院の治療が最善だと信じる一般的な考えの家族が、もし私に病院での治療を願ったとしても、私はそれには応えられない。遅かれ早かれ人はいつか死ぬ。その時に「ママは家族の為に本当は嫌だったのに治療を受けて恨みがましく死んでいった」よりは、辛くとも「ママはやりたいようにやって生きた…」となった方が、残される人の後悔も無いのではないか、と勝手ながら思いました。

 

もしもガンだったら。

 

時間をかけてがん細胞になったのだから、同じくらい時間をかけて自分の身体を自然な状態へもどしていこう。

 

身体はいつも、私の為に働いてくれる。身体は間違えなかった。身体の声を聴いていなかったのは私だった。でも、今は私も身体の方を向いているし、ようやくタッグを組んで私は私の為に生きている……。

 

そう思ったら。

 

体中にシアワセな気持ちが溢れて、「ああ、よかった」と思いました。

 

 

 

……そんな2週間を過ごして、今日の検診だったのです。検査前日は、「結果が悪性でも良性でも、それで私の人生が変わるわけじゃない。今日も明日も、同じただの一日だ」と思いました。そして、良性でも悪性でも、私の今取り組んでいる身体の為の生活スタイルが変わることも無いのです。治療も受けないわけだから、明日を境に何かが変わるなんてこともないのだ。。

 

 

 

 

で、結果は「良性」でした。。

 

 

長々と書いて、ご心配かけました💦すみません。まだ、穿刺検査の結果を見ないとわからないのですが、マンモグラフィーとエコーの結果、そのような診断をいただきました。

 

…自分としては、悪性のつもりでいたので、拍子抜けのような、ほっとしたような気持ちでしたが、内心私よりも心配していたであろう主人にすぐに報告し、喜び合いました。そして、肩の力が抜けたのを感じました。自分で思っていたより緊張をしていたのだな……とわかりました。

 

驚いたのは、左右にあった腫瘍のうち、右に関しては確認できず、左側の「のう胞性病変」は、繊維腫になっていて、のう胞でも無かった……というものでした。

 

それが、人参りんごジュースの断食によって血液が浄化されてきていたせいなのかは、わかりません。あまりにも短期間ですし。けれど、そんな短期間でも花粉症は治ったし、体重も減って、身体は元気ハツラツになっているので、たった二週間でも血液に変化が無かったとは言えないだろう…とは思います。もちろん、悪性→良性になった……とかではなくて、もともと良性だったのでしょうが。

 

 

そんな感じで……。

 

静かな中でも、自分の中で生活スタイルが変わるキッカケとなった、出来事となりました。

 

「心も体も、自然であること」

 

それが、自分にとっての最も大切にしたいものなのだな……と、あらためて実感したし、だからこそ、そのように軌道修正を促されたのだろうな、と思います。

 

 

ファスティングを終えて、これから少しずつ回復食にしていきますが、今後も人参りんごジュースと、一日一食(和食中心で)を続けていくつもりです。