どんな私も大丈夫

 

テルミーの事を知ってもらおうと始めたブログですが、

私の心にふと浮かんだことなども、これからは日記のように綴ろうと思います。

 

 

テーマは時々降ってきます。

私はそれを日常生活を送りながら内観します。

そして自分の中で、そうか…。。と腑に落ちた時に、

忘れないように文字に書き起こして、

自分の意識を整理しています。

 

 

今回は、「前世の私ならばきっと…」

というキーワードが浮かんだ事で

内観が深まったお話です。

 

 

⬇︎

 

 

 

人生の中で、なにか…うまくいかなかったり、

先行きが見えない時。

 


現実を直視することよりも

見えない何かに頼りたくなる人はたくさんいる。

 

 

 

例えば、今このうまくいかない事は、

前世に原因があるのではないか?とか、

 

カウンセリングや、占いから答えを導き出したい、とか。

 

神の啓示を受けたような、強烈なメッセージが欲しい、とか。

 

 

でも…

 

いずれにしてもそれが、

人間としての今の自分の気持ちはさておき、

ただ苦しみから逃れる為に、正しそうな答えが欲しいというものであったとしたら、

その前世の記憶や、神の啓示や、メッセージは…

 

本当に必要?

 

 

その状態では、、、

 

今の私は、どんな気持ちなのか?

今の私は、どうしたいのか?

という…

一番大事な今の自分の気持ちに、

ベクトルが向いていない。

 

 

不安に囚われて

ここより素晴らしいはずの何処かへ

理想の状況へと思いを馳せる

 


………。

 

 

もし今の私が、

生まれ変わった来世の私へ、

メッセージを送るとしたら

 

 

“前世の私が何を考えていたかなんて事に思いを馳せないで、あなたは真っさらなあなたで、あなたの人生を楽しんで!”

 

 

と言いたい。

で、あれば。。。

 

前世の私だって、今の私に同じことを思ったはず。

 

 


前世は前世。

前世の私もきっと精一杯、自分の人生を生きた。

 


今世の私がする事も同じ

今の、この私で、私だけのオリジナルの人生を楽しむ。

それだけ。

 

 

前世に原因を探したり、

助けを求めて誰かから正解の答えをもらおうとする必要は、、、

 

実はない。

 

 

 

視点を変えてみたらわかる。

 

例えば私が神様だったら。

全てをわかっていて、全てを創造できる存在だったら。



肉体を持って制限の中で懸命に生きている

自分の分身に対して……

 


あーでもない、

こーでもない、

もういやだ、

ああしてみよう、

これやろう、って

 


目隠しされた状態で手探りで前へ進む

その懸命な人間のことを

ただ、ただ、愛おしく思うだろう。

 


どんな感情も

どんな行動も

どんな間違いも

どんな経験も

 


愛おしいだろう。

 

 


だから

正解なんて、本当はないの

全部が正解だから

 

 

潜在意識と繋がるってよく言われるけど。

それは何かが見えたり、聞こえたりするような超常現象である必要はないの。

もちろん、そういうタイプの人もいるけど、

それが必須ではない。

 

 


自分の素直な気持ちに耳をすますの。

私は何を感じる?どうしたい?

何が好き?

いつもそれをだけを考える。

 

そんな私を全肯定して包んでくれている、

温かなエネルギーが本当に、ある。

 

第六感など感じなくても、

見えなくても、聞こえなくても、

 

私よりも私を信じて愛してくれている

大きな存在が、ある。

 

 

私達が与えられた五感は、

今しか使えない特殊能力。

 

 

五感をフルに使ってるかな?


考え事に気を取られて上の空。。

目の前の風景をちゃんと見ていない。

 


頭の中が言葉でいっぱい。

試しに言葉を消してみて。

突然、自然の音が耳に入ってくる。

 


お腹は空いていないけど、

時間になったからという理由で食事している。

試しに、朝昼晩関係なく、

本当にお腹が空いた時だけ、食事してみる。

味覚が鋭く感じる。

 


意識して触れてみよう

匂いを嗅いでみよう

 

 

忙しい日常の中で

ついつい、この素晴らしい五感という能力を

味あわずに生きている私達。

 

心が言葉でいっぱいの私達。

 

意識して、静かな時間を持とう。

自分にフル回転の五感をプレゼントしてあげよう。

 


私が選択する行動、

味わう感情の全てが、

とんでもなく尊いと知ろう。

 


だから自信を持って

ただの、この、私で

生きていたらいいの。

 


立派にならなくても、

弱くても、情けなくても、

こんなの嫌だ!ってもがいていても、

そんな私で大丈夫なんだってことが、

心の深い所でわかっていたら、、、

 

 

例え今がどんな状況であっても、

嵐の中にいるような気持ちであっても、

一見慌てふためいているようなその私の真ん中に

穏やかな気持ちで客観視しているもう一人の自分がいる。

 

 

本当の自分で生きる、とは

その視点を持っているということなんだな。

 

だから

どんな私でも大丈夫。