少し前になるのですが、朝の情報番組のとあるコーナーで、俳優の中村倫也さんのインタビューを拝見しました。
中村倫也さんは、言うまでもなく俳優業で大変なご活躍中で、歌声も素晴らしいですよね。
以前志村動物園にご出演されて、かなりの動物マニアでもあり、とくにナマケモノ(Sloth!!)がお好きだそうで、それがキッカケで私の中での高感度が上がりました笑。
動物に対する真摯な態度とか、
言動の落ち着きとかから、
お若いのに老成されているというか、、
私は勝手に中村倫也さんは
魂年齢130歳くらいだな、と感じています。
芸能人に興味の無い私ですが、
珍しくこの方とは一度お話ししてみたいと感じました。
(そんな機会はあるはずもないですが)
それで、朝の情報番組の彼の発言で、またまた
『おっ…中村倫也さん、さすが130歳だなー』
と感心した場面がありました。
それが下記の内容です。
アラジンの宣伝?でとある女子大にて、
イベントに参加され、ステージ上で
女子大生の悩み相談に答えるというもの。
名言がたくさんあるので、YouTubeなどで探して見てもらうと、ほおおー、、となると思います。
情報番組であった内容はこんな感じでした。
↓
女子大生
「就活の自己分析で、自分の短所ばかり目が言って、長所が思いつきません。自分の長所ってどうしたらわかりますか?」
中村さん
「自分のことって一番わからないですよね。僕は就活をしたことがないので、適した答えか分からないんですけど、若い頃仕事で悩んだときは、先輩に
“俺ってどんな人ですか?” って聞いていました。
自分で見えないなら人に聞くしかないし、自分っていうものは周りが決めるような気もするんですよね。だから、友達に聞いて “ここがいいよ” って言われたときに、“いやいや” ってならずに、“そうなんだ” って認めてみればいいんじゃないかな」
……
これ、何気にサラッと真理を言っていると思います。
外見的に唯一肉眼で客観的に見ることができない人、
それが自分です。
外見ももちろんですが、
内面的なことも、自己肯定感が低かったりすると、自分で自分の良さなど、わかるはずもない。
人に褒められても、
彼の言うように『いや、いや、、』となる人は多いです。
それは、幼少期から
社会や親や学校から求められる姿に自分を合わせて生きてきた人が多いから。
自分の気持ちを蔑ろにしてきたから。
そして、その事に無自覚に生きているから。
(重い蓋をして潜在意識に閉じ込めている)。
そんな状態でみる景色は、沢山の固定概念がくっついたフィルターを通して見ているようなものなので、ありのままの姿は見えるはずもない。
その状態で自分の長所を答えるなんて、
こんなにハードルの高い作業はありません。
インナーチャイルドに気づくこと、自分の手で癒すことで、
ようやく少しずつフィルターの汚れが取れて、
裸眼で見ることができるようになります。
自己肯定感が低いと、周りの方がどんなに褒めてくれても
私はそんな人じゃない。
と、素直に受け取れませんね。
受け取り上手になるには、もちろんインナーチャイルドワークは必須ですが、
中村倫也さんが言うように、
相手が言ってくれた自分の姿を、そうなんだな、と採用してみる。
これも有効だと思います。
だって、自分では自分の姿は客観的に見えないのですから!
内面だって、自分という人間を汚れたフィルターを通して判断している。
ならば、
自分の信頼するこの人から見た私は、そんな印象なんだな、、、と思ってみる。
これは否定できません。
だってそのお相手からみた真実なんですから、
違います!とは言えません。
人には人の数だけの真実があります。
自分では客観的に見れないなら、
みんなで互いの長所を教え合いこしたらいいと思いますよ。
私はよく、人の素敵な所を感じると
何も考えずにご本人にそのまま伝える習性がありますが、
そうやって自分から言うとお返し?笑?なのか、
その方から見える私の姿も教えてくれるんですよね。
そんな風に、見えるのかー!へぇー!
と、自分の知らない自分を教えてもらえて楽しいな!!と思っています。
つまるところ、人って
自分という多面的な存在を知り、受け入れ、統合していく事が人生のテーマなのではないかと考えたりします。
自分の心のセンサーが反応すること、好きなこと、嫌いなこと、相手から見た自分、それに対して何らかの感情がわく自分。
自分、自分、自分。
外側の世界は、自分という存在を教えてくれるもの。
全てが自分だ、ということ。
私はそんな風に思いながら生活しています。
残りの人生で、あとどれだけの自分に出会えるかな、、、?