我が家の中学生の娘は、外見は私とは全く似ていないのですが、音楽や美術が好きなこと、動物に対する想いなどが本当に似ています。そして魂的には私よりずっと成長している人です。
私は彼女を見ていると、ナウシカみたいだな、、と感じます。
将来的にアメリカへ行き、オオカミに関わる仕事をすると決めていてこれは小学生の頃から一貫して変わりません。
娘の夢の話を聞いていて、そういえば私の小学生の頃の夢の一つに野生動物の保護をしにアフリカへ行きたい、というものがあった事を思い出しました。
その頃は、動物に対する想いが強くて、自然を壊し、自分らのエゴのために動物を殺す人間を敵のように恨んでまいした。人類が滅びることが1番の解決策だと本気で思っていたし、自分もまたその大嫌いな人間の1人だということを重く受け止めていました。そうは言っても私だって肉を食べている、私が言うこともキレイゴト。そんな自分も汚い。動物の為に人類が滅びればいいのに…と心の中で呟く共に、理由のわからない胸の痛みを感じていた少女時代でした。
人間を嫌っていた頃の私は、自分自身が嫌いでした。では、今はどうなのか。
人類が滅びるという方向性ではない、人類自体の意識の成長と変化が、全てと調和して生きる世界になると思うようになりました。
今はTVでニュースなど見ることはありません。遠くの事件や出来事を知るのに時間を費やすよりも、自分の目の前にあるリアルを感じて生きたいと思います。
こういう事を書くと、新聞を読めとか、広い視野を持つことや、世界の動きや人々の考えを知る大切さを説く方も多いと思います。
もちろん、それも大切かもしれませんが、私は、外に目を向けるあまり、一番大切な自分自身に目を向けていない事の方がよっぽど怖いな、と思います。
TVのアナウンサーが伝える内容やコメンテーターの意見、世間一般の反応というもが、考える間もなくTV画面からあたかもそれが正解のように放たれ、そのまま採用すればネガティブなループに嵌っていきます。
たまたまTVを見てしまった時は(見てしまったって…笑)今の私はそれをただの絵のように感じ、フォーカスするのは、感情論ではなくその登場人物の学びだったりします。垂れ流しを無条件に受け入れるのではなく、本質にフォーカスする。
だから、世の中がどんなに不安を煽っているように見えても悲観する事がなく、全ては大丈夫なんだと思っています。
世界を変えるのは武力や政治や権力や一部の資産家ではなくて、1人1人がもつ意識なんですよね。
だから、自分が何にフォーカスするのか、どんな意識をもっているのかを注意深く観察しなければならない。
たった1人の自分という意識が持つパワーの大きさは計り知れない。
それを知ったうえで人々の意識を操り、現実を動かしたい人もいるわけで。だからそんな力に大切な自分の意識を操作させてはいけません。
人類が滅びなくても、全ての命と調和できる方法とは。1人1人が愛と調和にフォーカスすること。
それはもともと自分の中にあるのだけど、外にばかり目を向けていて見えなくなってしまったもの。
もともと在るんだから、思い出すだけだし、もう時代はその方向へ舵を切っていると思います。