『悟り』への羅針盤(前記事の続き)

 

前回の記事の続きになります。

 

『悟りたい』と思っていた私と、『今はまだ悟りに到達していない』という事実。

 

では、何をすれば悟りに至るのか。

 

こんな事を考えながらウォーキングをしていたんですよ。すれ違う人もまさか私がそんな事を自問自答しながら歩いているとは思わないですよね。

 

自分がそんな事を考えているように、他の人もその人それぞれの日常や想いがあって生きています。その全てが必要があって起きていて、気づいていようがいまいが、全ては体験と学びの途上です。

 

私は、出会う人との交流を通して、私なりにその相手の方を感じるわけですよね。すると、その方が悩んだり、悲しんだり、怒ったりしている表面的な事はあまり見ていなくて、その奥にあるその方への愛ある揺さぶりを感じます。ご本人は大変な渦中に居たとしても、『愛されているなぁ…』と思うんです。

 

そんな事を思ってウォーキングしていたら、『あ、私もか!!』と気づいて歩きながら思わず吹き出してしまいました。(かなり怪しい姿ですが、すれ違う人がたまたま居なくて良かったです笑)

 

人は、自分の事だけは、肉眼で見れないし、よくわかっていないんですよね。私が知人、友人に『いろいろあるかもしれないけど、その全てが愛されてるわぁー』と思うのと同じことが、自覚できていなくても、私にも起きているんですよね。この淡々とした、同じような日常の中に、あるんですよ。自分で自分の姿が見れないからわからないけど、他人を見たら本当によくわかる。

 

そして、出会う方々との日常を通して感情が反応する事で、『自分』というものを知る、そんな旅路なんですよ。

 

『感情』が羅針盤なんですね。みんな、もっていたんです。その、貴方の中にある、感情というセンサーが、全ての人に与えられたヒントであり、自分を映し出す『鏡』のようなものなのかもしれません。

 

誰しも胸の中心に『感情という鏡』を持っていて、外の世界の出来事に反応する。それによって自分の姿を見る事ができるんですね。ありがたい事です。

 

なるほどー、、、と感じながら、更にウォーキングを続けていたら、、、『あ!そうか!!』とまた笑ってしまいました(大丈夫。これまた誰ともすれ違わなかった笑)

 

……宇宙も、自分の姿を客観的に見る事ができないんだ!あの、宇宙ですら!!

 

笑えてきました。。。ああ、だから自分の分身である私達の体験から自分を知りたいんだな、と思ったんです。

 

宇宙の小さな細胞の一つである私。そして、出会うこれまた細胞の皆さん。細胞同士で互いを鏡のように写しあい、自分を知ろうとしている。その様子を宇宙はダウンロードしているんだな、と思ったんです。本当かどうかは知らないですよ!!でも、あ!そっかー!!と思ったんですよ。

 

『悟り』は自分を知る道だとしたら。絶え間なく、目の前の状況から『鏡のように自分を写す』私達。

 

そして、その羅針盤を私達はちゃんと胸の中心に持っていたんだ、、とわかって、心底安心できたんです。その羅針盤が、悟りへのナビのようなものだと思ったからです。

 

全ては今この瞬間にある、っていうのはこういう事なのかもな…と思ったところで、本日の6キロウォーキングは終了です。