もう一つの視点から見ると

 

みんな、生きている。

みんな、それぞれの人生を生きている。

 

いろんなことがある。

悩んだり、迷ったり、怒ったり、笑ったり。

 

3年前までは私もそんな風に

一つ一つの事に翻弄されて生きていた。

 

いいことも悪いことも

外側からやってきて私に降りかかる。

 

嬉しい事には安心して、嫌な事にはサッと傘をさして避け、上手いこと生きていた。…と思い込んでいた。

 


ある日、私の人生は反転して

 

外側から降り注ぐ現象は、私の内側の反映だというカラクリがわかった。

 


それからは、起こる出来事や、それに沸く感情から、インナーチャイルドに気づいては手放し、気づいては手放し、そうしているうちに、外側の出来事に翻弄される事がなくなった。

 


軽くなった私は、真実に到達したいと思った。

 


削ぎ落としても、手放しても、まだまだ先は長く、到達しない。まだ先の方、まだまだ先なのか。

 


それは私の身体と私の思考から見たベクトル。ここから見たら遥か遠くにある悟りの地。

 

 

 


宇宙は絶え間なく変化を続け、流れのようなものがある。その流れの中に自然と身を置くと、流れのままに漂う。

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みんな流れの中にいるんだけど、自覚がない人、流れの中で抵抗する人、それぞれに状況があり、各々に自分の課題を解いている。世の中にはいろんな人がいる。

 


自分が持っていた荷物に気づいて手放した人は、身軽になり、抵抗せずに流れに乗っていて、流れる先へ視線が向いている。

 


自覚があってもなくても、みんな流れの中にいるので、人生のどのタイミングで自然に逆らわずに流れに身を委ねようと決めるかは人それぞれ。

 


自覚して流れに身を任せると、人生に波風が立たない訳ではなくて、何か起きたとしても、抵抗する力が弱いから溺れずにすむし、嵐が来ても大丈夫なんだと、どこかでわかっている。

 


でも、まだ終点まで遠い…。これが数日前までの感覚。

 

 

 

それが、今はちょっと違って、、、

 


流れている私を遠くから見ている視点があって、そこから見ると、終点まで到着したかどうかは関係無く(そもそも終点があるのかどうかもわかりませんが)その大きな流れの中で自覚して流れている今の私の状態で完全だったのです。どの瞬間もそれで良し、と思っているのです。

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流されている当事者は早く到着したいと思うけれど、岸から流れを見ている人は、その全てが安心安全だと知っているから、たとえ溺れそうになっても、遊んでいるか冒険しているようにしか見えないんでしょうね。


だから、私はここではない何処かへ到達しなければならない理由がなくなりました。

 


いつもここで良かったんだと思いました。