恩師のこと

 

高校生の時の話です。

 

当時の私は、高校生活が苦痛でたまりませんでした。自分のレベルより高めの高校を受験して合格してしまったので、授業の内容もついていけず、もちろんテストの成績も酷いもので、気の重い日々が続きました。

 

その頃は、部活に救われて辛うじて不登校にならずに済んでいただけで、性格も捻れていましたし、世の中を斜めに見ていたと思います。傍目には校則を反する事もしませんし、外見も至って普通だったので、まさかそんなに拗れた人だとはわかりにくかったかもしれませんが、今思い出しても酷い精神状態であったと思います。

 

劣等感の塊で、授業中はとにかく先生と目を合わせて当てられないように、息を潜めていました。ノートの端に落書きをして、外を眺めて、、ようやくチャイムが鳴ってホッとする…の繰り返し。

 

当時は吹奏楽クラリネットを吹いていたのですが、それが自分を表現できる唯一のことでした。

 

当時から私は『興味ないことは一切しない』『やりたい事には全身全霊で取り組む』と、とにかく極端でして、一年の最初の生物の試験で『血液型について』の単元で学年平均点が70点以上だったところ、確か30点くらいだったんです。それで先生に呼び出されまして、『おまえ、みんながこんなに点数高いのにこんな点とってつまらんぞ』と言われたんです。その時『私は、血液型に本当に興味が持てなくて、面白くないから頭に入らないんです。そのかわり物理と化学は平均点より上です。2年生では生物は取りません』と言って先生を呆れさせました。

 

私としては、みんなが出来ることを出来ないお前はつまらない人間だ、と言われたと受け取りました。もちろん今は、みんなが取れるくらい理解するのに易しい単元だから、もうちょっと頑張ってみないか?というお話だったと思います。けど、とにかく劣等感を刺激されて自分を守ることに必死で生物を切り捨て、物理と化学に居場所を作りました。

 

そんな感じで、大して勉強しなかったので、進学するにも行ける大学がそんなに無いみたいな状態でした。

 

そんな私に、2年生の時の担任の国語のY先生が、進路相談の時に『数学の先生がお前もうちょっと頑張らんとって言うんやけどな』と言ったので、『私の行こうとしている大学には数学は無いので、必要のない教科はやる気になりません。』と言ったのです。

 

そうしたら、ちょっと悲しそうに私を見ながら『お前、、、そんな必要な事しかやらんとか、そんな宇宙食を食べているような人生で楽しいか…?』と言われたのです。

 

私としては完全に逃げていたし、言い訳だったのは自覚していました。だからこそ、私をコントロールしようとか、支配しようという気持ちが微塵もない先生の言葉が私の心に深く刺さりました。

 

それから私は、Y先生の国語の授業だけは真剣に聞くようになりました。先生とは視線がよく合って、お!ちゃんと聞いてるな(笑)と先生が感じてくれているのが嬉しくて、勉強しました。お陰で国語は得意科目になりました。

 

先生の授業は、たまに教科書とは関係のない話もあって、そんな話も大好きでした。例えば宗教について。

 

『お前たち、日本は仏教だと思っている奴が多いやろう。それは違う。日本は『神道』なんや。八百万(やおろず)の神っていってな、、道端の小石にも、花にも、ありとあらゆるものに神が宿っている、という考え方なんや。やけん昔の人は自然と何にでも手を合わせる。日本人には本来そういう心があるんや。』

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私はそれを聞いて、深く深く感動しました。当時は欧米が偉くて日本人は価値が低いと思われているような時代でした。敗戦の劣等感を引きずり、自らのアイデンティティに自信を失い、それを新しい世代に受け渡したような状態だったのかもしれません。日本人はイエローモンキーと呼ばれ、それは黄色人種だからだと思っていましたが、キリスト教などの宗教を持つことが普通の欧米から見たら、特定の宗教を持たない日本人は人間以下つまり猿並だという裏の意味がある、と聞いた事もありました。

 

けれど、Y先生の国語の授業で『それは違う』とわかったのです。

 

特定の宗教をもつ国が宗教戦争が絶えなかったり、他の宗教を相入れないのに、日本という国は、八百万の神様がいて、自然と調和し、宇宙の恩恵を感じ、多様性を受け入れる類稀な国民だと、むしろ日本を誇らしく思うようになりました。

 

あれから30年以上経つのに、あの時の先生の話が、ずっと、ずっと、私のベースにあります。

 

卒業してから一度もお会いしていないので、先生が今どこに居られるのかわかりませんが、目の前に居なくとも、こうして私の深いところに根を張る信念や、拗れていた私の心を解してくれた感謝があります。

 

人生の中で沢山の、本当に沢山の人に出会いますが、その中で、心に深く残る人というのは、ほんの数人かもしれません。それは、目の前に居るとか、居ないとかで決まるものではなく、『確かなもの』として私の中に残り続ける記憶です。