良かれと思って

 

たぶん、みんな子供の頃に、一度は親から言われたことがあると思うんです。

 

『お前の為に言ってるんだ』

 

どうでしょうか。……もし、言われた〜、と思われた方、その時、どう感じましたか? 

 

私はね、心の中で、『うっせーな、お前の為ってなんだよ。自分がそうしたいだけのくせに、私を縛るなよ。』と思っていました。有り難くもなかったし、ウルサイと思っていました。

 

何回も言われ続けて、『この人には私の気持ちはわかってもらえない。本当の私の事なんて誰にもわからないんだ。』と思いました。素直な気持ちは胸の奥深くに閉じ込めて、親の前では能面の様に無表情で過ごしていました。人生で最初に深く関わる『親』にわかってもらえないと信じた、という事が、その後の対人関係に影響を及ぼさない訳がありません。

 

親の目線から言えば、子どもよりも人生経験が長いですから、もっとこうすれば良くなるであろうと予測が立つ訳で、『良かれと思って』助言するんですね。

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それは、自分が後悔した経験から、子どもにはより良い未来を…と思っての事なんですね。それが、子どもには、わからない。『やってみなければわからないじゃないか!』とか、『今はそんな風に言って欲しくない!』とか子どもにも気持ちや都合がある。

 

親は愛を与えたつもりでいる。

子どもは『ありのままの自分が愛されていない』と感じる。

 

 

親は、『子どもに幸せになって欲しい』から、『良かれと思って』自分の経験値からいろんな事を言ってきたりするのですが、実は自覚のない『恐れベース』の発想です。

 

『常識的に考えたら、このままだと良くない事になる可能性があるから、軌道修正させないと、この子が困る事になる。』と硬く信じている。『子どもに自分と同じ苦労をさせたくない。』と強く思う。

 

愛、は

何もしなくても、ただ、そのままのあなたが、素晴らしい、と純粋に全肯定している状態。

 

子どもは、人生で初めて接する『親』から、自分はただ生きているだけで、素晴らしく価値のある存在なんだ!!と、安心感を与えられて育つ必要があります。

 

愛が混じり気のない真水だとすると、情や、欲や、執着などが混ざる事で水が濁る…。水は水だけど、子どもにはその水は不味くて、飲めない。

 

◯◯したら素晴らしい、◯◯できないと不幸せになるよ。自分自身の内包する恐れからくる、条件付の愛は、エゴがくっついて、愛情や、愛欲や、愛着など、別物になってしまいます。

 

実際は、幸せか、不幸か、は、その人の感じ方が決めるので、同じ経験をして子どもが悲しむかどうかなんて、親には決められません。愛する子どもに傷を負って欲しくないから必死に外敵から守りますが、本当はその必要もありません。

 

『何があっても、あなたの価値は変わらず、素晴らしい。私は、ただ、あなたを愛しているよ。』そんな思いで側に居るだけでいい。

 

それができたら、子どもは失敗しても無価値感を感じる事がありません。だって、何もしなくてもそのままで素晴らしいよ!と言われて育っているのだから、失敗したら人として価値が無い、などと感じない。ただ思う通りではなかった経験の一つ、というだけの事ですから、傷つく必要がありません。こうなると無敵ですね。

 

ただ、これを可能にするには、何はさておき、親自身が『自分で自分を、無条件に愛している』必要があります。

 

日本が貧乏で苦労した時代の子育て。そのまた親世代はもっともっと苦しい時代を生きてきた。ありのままが叶えられなかった長い歴史があります。どんな情けない自分でも素晴らしく、全ては大丈夫なんだ、と思えるのはとても難しい。

 

我が子が愛される為に、良かれと思って懸命に味付けした水を与えていた…。それがわかった今は、『愛されずに育った』とは言えなくなりました。

 

子どもには幸せでいて欲しい。

いつの時代も共通な親の願い。

 

自分よりは苦労しないように、と自分の辛さを何倍にも薄めて、カルマを昇華させて、次世代へ渡してきたのだと思います。

 

そこに気づく役割が、自分にはあったんだな、と思います。親子関係のカラクリから目覚めて次世代に渡すというのかな…。典型的なインディゴだと感じています。

 

今の子どもは反抗期が少ないと言われるのは、心理学的にはいろんな見方があるかもしれませんが、私の中では、そんな親達の関わり方の反映もあるんじゃないかな、と解釈しています。

 

私もそうやって、親からもらった愛を、自分のエゴを手放しながら次世代へ渡していく。私も、目覚める前には『良かれと思って』いっぱい濁った水を与えました。

 

目覚めた今も、地道に気づきを重ねて一つ一つ手放しています。これは子どもへ、というよりは自分自身を愛するという事なんですが、それは同時に子どもへ反映されます。全て内側の投影なので。

 

なるべく真水に近づけて渡したいですね。それでも残ったエゴはまた次の代が手放していってください(笑)

 

『良かれと思って』は、もう要らない。

 

自分で選んで、自分で決めて、行動して、体験して、味わって、地球を冒険したらいいと思いますよ。

 

……と、ここまで書いて何ですが、、実は私、親という自覚がかなり薄いのです…。同じ時代に生き、縁があって同じ船に乗った、少し先をあるいている同志、みたいな感覚なので。

 

子どもからも、『おい…。親のくせに💧』とよく呆れられています。

 

子ども以上に、我が道を行く。やってみないとわからない事だらけ、教えられる事も無い!!みんなそれぞれ頑張って。健闘を祈る!!…みたいな(笑)

 

親子関係も、時代と共に変わっていきますね。

未来の子どもはもっと軽やかに、愛に生きると思います。