私の思う霊性について

 

『徳の高い人』という表現があります。

 

辞書やウィキペディアなどで、言葉の説明や正確なところは書かれていると思いますが、、、

 

 

私個人の感覚では、

 

『徳の高い人』=『とらわれのない人』

 

だと思っています。

 

 

 

何にも囚われていない人。自分の事も、人のことも、起こる現象も、何もかもに対して、

 

 

『いいんじゃないかな』

 

 

と思っている人。

何というか、飄々としていて、何にも縛られていない、力の抜けている人。

 

若い頃はいろんな苦労をして、いろんな経験をしたかもしれない。だけど、もうそれを超越してしまっている。自分を上に置かず、人を下に見ず、あらゆるものを尊重していている。

 

例えば、誰かが嘘をついたり、誤魔化していたりしても、その人の感情や、思惑や、あれやこれやを見越していて、それでも澄んだ目で『いいんじゃないかい』と柔かに言うような人(笑)

 

というイメージです。

 

 

以前に、霊性の向上についてチラッとブログに書きました。こちらの記事です↓

 

https://thermie-sloth.hatenablog.com/entry/2020/01/05/153202

 

 

霊的覚醒とか、霊性の向上とか、よくスピリチュアルの世界で言われます。私は至って普通の人間なので、そんな超常現象が起きなければ霊性が向上できないのか…!?と最初は悩んでいました。しかし、私が3年以上かけて辿り着いた答えは、

 

 

霊的覚醒、霊性の向上は……

 

『何にも囚われていない徳の高い人』

 

になっていくこと。

と、思うに至りました。

 

そうです。『徳の高い人』それは普通の人間です。『達観したお婆ちゃん』みたいな。自分の意見を押し付けるでもなく、こちらをコントロールするでもなく、『いいんじゃないかい』と笑っている。アドバイスを求められたら、種を撒くようなセリフをふわっ〜と言って『ほんじゃあな』と去っていく(笑)

 

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こんな雰囲気かな…。

(※写真は木喰上人の微笑仏です。←大好き)

 

 

霊的とか、霊性、とか言われると、つい霊能力と結びつけがちですが、全く関係ありません。見えない世界の事なので、特別に思いがちですが、霊能力というのは、歌がうまいとか、足が速いとかと同じく、ただの個性なんだな、というのが私の結論です。霊能力はあるけど、闇が深かったり、恐れに囚われている人もいます。私は、相談に乗ってもらうなら、闇の深い霊能者より、徳の高い普通のお婆ちゃんの方がいいです(笑)

 

年齢を重ねても、囚われが沢山ある方は意固地になっていきます。自分の苦しみに気づいていない、囚われている自覚がない状態です。だからと言って、それが悪いわけではありません。ただ、そういう生き方を選んでいるだけです。

 

しかし、自分の囚われを解き放たない限り、この境地には至りません。どれだけ自分の足枷に気づけるか、そしてどれだけ囚われを外していけるか。その先に『限りなく囚われのない人=徳の高い人』の状態があるのだと思います。

 

どんな人生を生きるのも自由で、全ての人にとってそれが最高最善です。

 

私の思う霊性の向上 =『徳の高い普通の人』

私は、この道を歩いていきます。