俯瞰している状態

 

 

 

ここ数日、私の中では

 

『これって…どうなんだろうな?』

 

という感覚がありました。

 

 

それは、言葉で言うのは難しいのですが、見える事全てに対して距離があるような感覚です。

 

 

目の前の現実を、3歩くらい下がって眺めているような…。真剣に入り込めないような、どこか人ごとのような感じです。当事者意識が希薄というか。

 

例えば、ディズニーランドに行って、ウキウキでポップコーンどれにしようかな?とか、アトラクションで満喫していたのが通常の自分だったのに、今は沢山の人が楽しんでいるのを、遠くからフムフム…と眺めている感じ。…当事者として参加していない。

 

それが嫌だとかではないのですが、、、とても淡々としていて、人間らしさ?が無い感じなんですね。

 

 

もちろん、自分の内側に意識を向けることも、俯瞰して見る事も、ずっとしていました。その流れの中で、自然と『当事者の自分と、俯瞰している自分』が同時に存在している状態が、長く続いていたように思います。

 

しかしここ数日は、当事者の自分が希薄になった…。俯瞰している自分しかいないような感じです。

 

 

私達は、3次元で生きています。

例えるなら、あれこれ考えずにディズニーランドで満喫する事です。それをしに来ているのだから。

 

楽しんでいる自分と、それを見ている自分がいる。この状態はわかります。

 

けれど、今の感覚は、ではなぜ3次元にいるのか?その意味がわからなくなるのです。いや、それでもいいのだけど、なぜなのか。人ごとのように眺めているだけで、果たして3次元にいる意味があるのか?と。

 

以前のように、ジェットコースターに乗っているような、感情の浮き沈みもなく、とても淡々としていること。

 

……何を基準にするかですが、ジェットコースターが日常であった昔を思えば(当時は本人は疲労困憊するほど夢中で生きていたわけですが)それも、楽しそうに見えます。

 

ただ、もうそこへは戻る事はない。

 

私は、俯瞰しながらも、3次元に生まれたのであればグランディングして、3次元の経験を楽しむ事が大事と常々思っていました。

 

なので…少し考えています。この状況は何なのだろう?と。。。

 

 

 

そんな中、今日はハッとさせられる言葉を聞きました。

 

テレビは見ないといいながら、実は2つだけ見ている番組があります。その中の一つが『スカーレット』です。

 

スカーレットは、とにかく俳優の皆さんの舞台のお芝居を見ているかのような丁寧さに引き込まれます。全ての登場人物の表情が自然で、心の内側の表現が必然で…。

 

先週くらいから、主人公の息子さんが白血病になってしまいました。今日は、主治医が父親と会話をするシーンで、このようなセリフがありました。

 

『病気は辛い事も沢山ありますが

泣きたくなるような素晴らしい出来事もいっぱい起きます』

 

病気、それも余命宣告されるような重い病気であれば、辛い治療やその後確実にやってくる死にフォーカスする事は当然です。

 

しかし、普通に生活しているだけでは決して経験できない『思い』が沢山生まれる。

 

楽しいことが良くて、辛い事が悪いのではなく、嬉しいことも、悲しいことも、魂が震えるという点に於いては、どちらも尊く、どちらも素晴らしいのだという視点。

 

これがセリフになり、このセリフに感動できる人が沢山いる。そんな時代なんだな…とあらためて思いました。

 

 

まだ、俯瞰している自分のパーセンテージが殆どを占めている状態ではありますが、今朝のこのセリフに感動した事を、ここに記します。

 

 

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温熱療法イトオテルミー Slothの森療術所

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