薄まった世界

 

 

 

自分の人生に興味が湧かない

 

…と聞くと

 

やる気のない人、覇気のない人、投げやりな人

 

という印象を持たれると思いますが…

 

 

 

誤解を恐れずに言うと

 

私は自分の人生に関心が薄いです。

 

 

 

 

こうなりたい理想も無ければ

 

現状で改善したいこともなく

 

ビジョンも浮かびません

 

 

それが楽しくなくて、重苦しい気分でいるかと言えば

全くその様な事はなく、むしろ逆で

 

ちょっとの事でゲラゲラ笑ってしまうし

 

精神的にはフラットな状態

 

または、気分が良い状態です

 

 

 

 

 

 

もちろん、今は身体のことを学ぶのが楽しい。

 

知らなかった事を腑に落としていくのは楽しい。

 

そして、自分の身体で試してみるのも楽しい。

 

入れ物は大切にしたい。

 

 

 

けれど、伝わりにくいかもしれないけど

 

実は、あまり固執はしていないのです

…食材も100%こだわるとか、無理ですしね。

自分は、理論を学んだ上で、心掛けながら、無理なく緩くやるスタンスです。

 

 

身体の状態は、もちろん、原因があっての結果なんだけれども

 

それだけでも無い…ってのも感じていて。

 

シンプルに身体だけ見れば、ちゃんと法則があるんだと思うんだけど

 

 

魂というか、エネルギーというか、、、精神、でもいいんだけど

 

ヒトって、身体だけじゃないから

 

 

本当に何がどうなるかなんて

 

自我や法則からは図れないものもある

 

 

だから、学ぶと同時に、拘ってもいないというのかな…。全てに於いて、ゆるいです。

 

 

 

真剣モードは、1日の中でめちゃめちゃ短い。

 

やりがい、充実感などを、求めていないというか…

 

シャカリキになって生きていた時と

 

あきらかに変わりました。

 

 

 

 

 

人生、というストーリーがあるとすれば、

 

人は皆、自分のストーリーの主人公を生きるけれど、

 

今の私は完全に

 

ストーリーを見ているお客さんです。

 

真剣にのめり込めないし

 

 

懸命さが無い

 

そしてそれに対して抗う気もない

 

 

 

ストーリーを生きていた時や

 

ストーリーの自分と客席の自分が、同時に存在していた時は

 

まだ、ストーリーの中に居たので

 

ちゃんと人と関われたと思うのですが

 

今は『ストーリーの自分を見ている自分』を更に見ている自分…

 

…と、また一歩遠くから見ている感覚で、

 

ストーリーの中で、これまで通り人間らしいやりとりができているのか…わかりません。

 

 

世の中には

 

人の役に立つ事を喜びとしている人がいて

 

それを必要としている人がいて

 

そこに循環のエネルギーが起きます

 

小さな輪もあるし

 

大きな渦になる事もある

 

 

 

思いが湧く

 

それを言葉や行動に現す(3次元に変換)

 

共鳴が起きる

 

こんな感じで…

 

関わりの中でエネルギーが循環する

 

そうやって生きる私達の世界

 

 

 

けど

 

私はそこに重心がない

 

 

 

思いが湧く

 

思う

 

ただ思いを味わう…

 

終わり(笑)

 

 

これまで慣れ親しんできたやり方に

 

意識がなくなった

 

 

そんな自分に対しても、

 

内面からのエネルギーが発動しなくて

 

『どうでもいい』

 

…と、漂っている。

 

 

意識の場所が変わったのかもしれない。

何かしなくちゃいけない、が出てこない。

 

慣れるまで『これでいいんだろうか?』と思ったりしたけれど…

 

そこを過ぎた感じかなー。

ただ委ねるだけだな…。

 

 

私=我、が薄まって

在るだけ、っていうのかな…。