パソコンが壊れて、もう何年か経つので💧
ブログはスマホで書いているのですが、指先がビリビリして辛いです…( ;∀;)
電磁波過敏症が酷い気がします。
レイキのヒビキもビリビリしますが、スマホのビリビリは感電みたいで、本当に嫌なものです。最近は、用の無いときは触らないようにしています。パソコン欲しいなぁ( ;∀;)
昨日は、鬼滅の刃20 巻の発売日で、娘が読んだ後に読ませてもらいました。
その後、娘とは言葉も無く…互いに沈黙の中にいました。ネタバレになるので内容は書きません。
鬼滅の刃の魅力が、社会現象になっている理由は多岐に渡りますが、このストーリーを現代の人々が受け入れ、感銘を受けていることは素晴らしいと思います。
作者さんは…覚醒されている方だと思います。確かな何かを掴んでいるはずです。そうとしか思えないほどの本質をついている言葉の数々なんです。
それぞれの登場人物のかかえるストーリー、成長、気づき…作者さんの意識が、俯瞰した視点に在るからこそ、彼らの生の美しさ、儚さ、輝きを描けるのだと思います。
それは、そんな風に思いながら読む必要もないし、実際、多くの人は、ストーリーの中に入って登場人物と同じ気持ちになって、感動したり、泣いたりしています。私も、何度読んでも毎回同じところで泣きます…。
今回、20巻は、笑えるシーンが皆無で、ひたすらギリギリの攻防でしたので、読んでいる側も、重く、重く、受け止めきれない感情と、考えさせられる重さと、とにかくズーーンときて、昨日はなかなか眠れなかったし、鬼滅の刃の世界をずっと考えていました。
今後も最終回に向けて怒涛の戦いの連続だと思います…。これからも鬼殺の剣士達が傷つき、命を落としていくのでしょう。
しかし、『死』によって、彼らが生きた『熱き想い』が強烈に輝きを放ちます。短い人生に強烈に強い光を放って消えゆく。むしろ彼らが『生きた証』が際立つのです。
どの隊士も、死の間際まで、ひたむきで、力強く、これでもか!というほどに前を…向いているのです。そして仲間に『想い』を繋いで散りゆく。
鬼殺隊の父的存在である、お館様のセリフに『私は永遠が何かを知っている。永遠とは、人の想いだ。人の想いこそが永遠で、不滅なのだよ。』というのがあります。これが、鬼滅の刃の『核』なんですね。
彼らは『生きた』
彼らは『己の生命を全うし、想いを繋いだ』
…これ以上の『生』があるだろうか、と思います。
抜け殻のように、自分が何者かを知らずに、長生きすることは、真に『生きた』と言えるのだろうか。短くとも、自分が何者かを知り、己の命を極限まで燃やし、死して強烈に輝く。
死を描いているのではなく、作者は『生』を描いています。全ての登場人物の、その生き様に共感し、感動し、ここまでの人気になっているんですね。
昨日から、ずっと鬼滅の刃の事が脳裏にあって、ふとすると涙してしまうのですが、これは彼らの『死』に対しての無念の涙ではなく、彼らの『生きた証』に感動する涙です。
スマホをピコピコしながら、泣きながら書いている今日のブログです…。
鬼滅の刃の後半を、TVアニメにできるんだろうか…と思ってしまいますが…。ナウシカのラストがアニメ化されていないのと同じく、漫画でしか表現できないものってあります。
ナウシカも、ずーーんと重いものが残りました。かなり長く答えの出ない問いを考えさせられ、引きずりました。
鬼滅の刃は、それ以上に深いです。このような作品に出会えて良かったです。