カーナビに任せて自動運転

 

 

 

私達は、なぜ生まれてきたのでしょうか。

自覚できているかは別として、間違いなく言えることは『自分で決めて、ここへ来た』という事です。

 

 

旅行へ行くにしても、心機一転引越しするにしても、その時の心の中は『ああ楽しみだな、あれもしたい、これもしたい、ワクワク、ワクワク…』ですよね。つまり、誰もが望んでこの世に生まれて来たのです。例え今現在が思い通りの人生でなかったとしても。

 

 

地球にやってきた私達は、ボディを持ち、地球で生きていく為に『自我(エゴ)』という防御装置を携え、生まれる前の気持ちは一旦忘れて、記憶喪失状態になって生まれてきます。

 

 

自我は、自分こそが『自分だ』と思っていますから、地球で起こるあらゆることから、我が身を護ります。暑さ、寒さなどの自然条件から快適を選び、嫌な事から逃げ、嫌いな人を避け、怒り、戦い、我が身を守るのに必死です。

 

さて、この時…。

生まれる前に『ここに行こう!ワクワク…♡』していたあの自分(魂)は、どこにいるのでしょうか。

 

…ちゃんといます。自分の中にいつもいるのです。ただ、自我の必死な形相があまりにも前面にでているので、自覚しにくいのです。魂はいつも静かなので、声が聞こえにくいです。そして穏やかでご機嫌です。

 

自我がどんなに慌てふためいて騒いでいても、そんな様子をただ『ふむふむ、なるほどねぇ♡』と楽しんでいます。自我が泣いても、笑っても、怒っても。…それが魂にとっては『旅行で体験した楽しい経験の一つ』です。感情に優劣はなく、全てが尊いからです。

 

そして旅を終えて持ち帰れるものは『感情体験から得た気づき(叡智)』だけです。

 

 

肉体という乗り物を得た私達は、自我がアクセルを踏み進みますが、実は『魂というカーナビ』が搭載されています。カーナビを無視して、山あり谷あり、ガタガタ道に突っ込んでワーキャー言っても面白いのですが、そろそろカーナビに任せて、自動運転でもいいのかもしれません。

 

カーナビに任せるのは、『あら、じゃあ私は必要ないわね!何もしなくていいのね!』と自我がふて腐れたり『もう何もする必要ないんだ…チーン』と自我が元気が無くなったりする事ではなく…

 

『安心して地球旅行を楽しんで大丈夫なんだ』と自我が思える、というこです。目の前の景色は変わりゆき、いろんな出来事が起きますが、そのたびに自我が反応し、感情が動くことはとても尊いことです。自我の出番が無いわけではありません。いつもどこかで安心できている事が、大きな違いです。