おかげさまで、気力の低下から浮上・・した感じです。満月のせいだったのかな?・・・(∩´∀`)∩
ところで、何日か前に「わからないことは、わからないままで」という記事を書きました。「正解の答え」を知りたい気持ちを手放そう、的な内容でした。
そんな事を書いておいて何なんですが・・(笑)
私の中には、ずっと永遠に消えないであろう「知りたい」事があります。それには正解の回答など無いのですが、、。その「知りたい対象」というのは、
・・・「自分」です。
本当の自分、魂の自分というものを、真に知りたいという気持ちは、消えることがありません。それは皆さん、そうだと思うのです・・・。だから占いしてみたり、スピリチュアルセッション受けたり、いろいろされる方が多いのだと思います・・。
けど、記事に書いた私の「思い」は、
”それを人に聞かないで、自分で感じようよ”・・・という提案だったのでした。”自分で感じる”って、忙しい日常に埋没していたり、問題はいつも外側からやってくると思っていたら、絶対に出来ないことです。自分の内側に問いかけ、自分の内側の声を聴く、という地道な生き方は、これまでの世界の在り方と真逆だからです。
親から、学校から、世間から、自分のことはさておき、困っているひとを助けることを優先させましょう!と教えられてきた私たちは、「自分を大切にする」とか、「自分の気持ちを知る」とか、「自分を愛する」のが、とにかく苦手です。・・・苦手、というか・・それがどうやったらできるのか「ワカラナイ」のです。重症ですねー。
だから、「今、コーヒーと麦茶、どっちが飲みたいんだろう?」とか、「このハンカチとあのハンカチ、今日はどっちの気分かな」とか、小さい事からいちいち自分に問う・・という作業が有効だったりして、そんな事から自分との対話を開始するんです。そして、そうやってだんだん自分と仲良くなってくると、人生が生きやすくなってきます。
「自分を知りたい」
けれど、そうやっていても、核心にたどり着く事はできないのかもしれません。それは、「自分」とは「固定された決まったもの」ではなくて、常に成長し、変化し、拡大していく存在だから・・・。追いかけても、追いかけても、実態は掴めず、終わりがない。だから、「そんなものなんだ」と思えば気がラクになるのかもしれません。「ただ、今の自分を感じる」事しかできないし、それで十分なのかもしれません。
ちなみに。。
先日、レイキティーチャー講座の最終日に、3人であるワークをしました。それは、自分の事を他の2人から見たら、どんな風に見えているか?を紙に書いてもらう、というものでした。自分の事って意外と自分でわからなかったりするので。例えば、動物に例えたら?とか、花に例えると?とか、相手の良いところを書く、とかです。
そうしたらですね、全く自分では思ってもみなかった回答が来たんですよ。私の事を、そんな風に感じていたんですか!とびっくりしました。
1動物に例えると・・・Aさん「アルパカ」 Bさん「ヒョウ」
2花に例えると・・・Aさん「ひまわり」 Bさん「ひまわり」
3色に例えると・・・Aさん「みどり」 Bさん「ターコイズブルー」
アルパカとヒョウって、まるで違いますよね(笑)花はなんと、二人とも「ひまわり」で一致していました。けど、私自身が自分をヒマワリの様だと思った事は一度もないんですよ!そんなに明るくて元気な花に見えるんだな・・と驚きました。色も、緑色とかターコイズブルーなどの服はあまり着ない(むしろ深いブルーが多いかな)服のイメージとはまた違うものを感じてくださったのだと思います。面白いなー、と思いました。
また、良いところは
Aさん
「内観できるのがすごい」「言葉で伝える力」「表現」「アート」「安定」「大地」「落ち着き」「見る力、見抜く力」「目がくりくりしてかわいい」「似合う洋服を知っている」「説得力がある」「おもしろい」「一緒にいると学びが深い」「話しをするとパワーをもらう」
Bさん
「内省できる人」「知的」「文才がある」「理解力」「存在感」「パワフル」「硬派」「話に引き込まれる」「意志が強そう」「美人さん」「軸」
・・・いただいたお言葉、そのまま書かせていただきました。お二方とも、ありがとうございます。
「私」という存在は、「ただの私」であるのですが、それを見て感じる人によって「いろんな私」が浮き出てきます。そして、それは「私」であると同時に「感じた方の内側に在るものが、私を鏡として映し出された」という部分もあるんですよね。
私も、私の知らない自分を教えてもらえた氣がしましたし、反対に自分がお二方について書いた内容は、私の中にある要素でもあるのだな、と再認識しました。
こうやって・・・互いを鏡として、出会う人はみんな自分の姿を確認するんですよね。だって、人は自分の姿だけは肉眼で見る事ができませんから・・鏡を通して映し出された姿から、自分を知るしかないのです。
その為にも、自分の内側の鏡を磨く事です。それでこそ、相手を曇りなき眼で捉える事ができ、自分を知る事になっていくからです。
物質的な鏡は外見を映し、自分の姿を確認しますが、「相手という鏡」は、その人との関係性の中で感じた感情を通して、自分の内面を知る事ができます。「ああ、こんな風に私は感じるんだ・・」と。相手を見て素晴らしく感じるならば、自覚していなかったとしても、その要素はあなたの中にもあるのであり、それが心地よいものでなかったとしたら、相手は鏡になって、あなたの中の不要な概念を教えてくれているのです。「あなたがそんな風にネガティブに感じるのは、あなたの過去の傷ついた記憶…が、再生されてそう感じているのだよ」と。
自分の内側の鏡を磨く・・・とは、自分の囚われや、不要な概念のお掃除、恐れの手放し、インナーチャイルドの癒しなど、、、そうやってコツコツと鏡を本来の輝きにしていく事です。
磨いて、磨いて…
私の中の鏡が、あなたの本質を、曇なき眼でとらえた時…。反射したそれを、何の邪魔な概念に掻き消されたり、ねじ曲げられたりする事なく、そのまま受け取る。
それは、私だ…と。
そうやって、『自分』を知る。
ああ、やはりこんな結論になりますね。今日はマヤ暦の「白い鏡の13日間」の12日目ですから・・。