真反対へ飛躍する

 

 

 

 

これは、私の若い頃のお話です。

 

 

高校生の頃は吹奏楽部でした。クラリネットを担当しており、部活で九州大会を目指したりして、それなりに燃えて音楽をしていました。クラリネットは特に希望していた楽器だったわけではなく、一か月遅れで入部したら、それしか残っていなかった・・という出会いでした。

 

それでも音を鳴らす事に対しての心地よさは、どの楽器をやっていても恐らく私の中には、そもそも持っていた資質があって、熱中して取り組みました。

 

けれど、受験で引退となってからは、楽器には全く触れませんでした。それでも何の欠乏感も沸かない事に、こんなものだったんだ・・と我ながら引きつつ・・このままきっと私は、音楽をしないで生きて平気になるんだろうな、とボンヤリ思いました。

 

 

東京に上京してからは、とにかく驚きの連続でした。と言っても、それは心躍るワクワクしたものとは真逆で、「分刻みで電車移動すること」「人ごみの中をぶつからずに歩く事」「都会育ちの同級生との感覚の違い」「初めての女子だけの学校」そんな事に馴染めず、上手くやっていけない自分が、本当にダメな人間に思えました。ぎこちなく溶け込もうとして、とても疲れました。そして、広い空が見えない、山が無い、という・・今まで当り前だった風景が無いことにも、ストレスが膨れ上がっていました。

 

 

そんな時に、ふとラジオから流れてきた曲がありました。それを聞いて、いてもたってもいられなくなり、どうしようもなく強烈に「私、音楽を…やらなくちゃ…」と思ったのです。魂がそう言っている、としか言いようがない感覚でした。

その曲は、モーリス・ラヴェルの「古風なメヌエット」という曲でした。その中で、ほんのちょっとだけ、地味にいい味を出している低い音の楽器のフレーズに、強く惹かれました。それがファゴットでした。

 

同じく上京していた姉の大学にオーケストラができる部活があり、他大学でありながら入部させていただき、直ぐにファゴットを始めたのです。

 

短大卒業までの2年間、音楽に打ち込み、もっと、もっと続けたいと音大へ受験することを決意しました。と言っても、普通の大学とは違いますから、楽器にしても先生に師事してレッスンに通い、ピアノも始め、楽典、ソルフェージュ、視唱、やる事が山の様にありました。そして何よりお金がかかる為、短大卒業後は会社勤めをしながらお金をため、仕事終わりに大学の練習室をお借りしてファゴットの練習をして、家に帰ってピアノの練習をし、、、と、暇な時間は一秒もない生活を送りました。子供の頃にピアノを習っていたわけではないので、私には基礎が全く備わっていませんでした。時間が足りない、圧倒的に時間が足りなすぎる・・・。それでも、やりたいことを成し遂げる為の気力がみなぎっており、疲れを感じる事もありませんでした。24時間はフルに使っている、とにかく時間が欲しい、一日が48時間だったらいいのに!と心から思いました。

 

 

そんなある日・・・。

大学で練習をして、夜9時過ぎに駅を歩いていた私に、あるスーツ姿の男性が声をかけてきました。手にはアンケート用紙とペンを持っていました。私は、早く帰ってピアノの練習をしたかったので、「忙しいのですみません」と去ろうとしましたが、「3分でいいので、少しだけアンケートにご協力ください!」とついてきました。「・・・歩きながらならいいですよ・・」と言い、速足で歩きながら聞かれた事に答えました。

 

質問の内容は、こんな感じです。「あなたは、今の自分が100%のうち、何パーセントくらい好きですか?」「あと何があれば、それが100%になると思いますか?」・・・などなど。

 

私は「98%です」と即答しました。すると、その方は「え!?」と驚かれました。なぜ驚かれるのか、わかりませんでした。そうしたら「・・・たいていの方は、もっと低く言われるのです。」と言いました。

 

「どうして98%なんですか?」と聞かれたので、「私は現在、やりたい事があって、それに向かって必死に取り組んでいます。1秒も時間を無駄にしていません。これ以上できないというくらい頑張っていると自分に胸を張って言えます。」と答えました。

 

その方は驚かれた様子で、「じゃあ、あとの2%はなんですか?」と聞きました。なので、「私は今、自分が100%、120%で生きていると言い切れますが、もしかしたら、もっとできる事があるかもしれない、その可能性が2%です。」と答えました。

 

その男性は、質問を求めてきた時と明らかに表情が変わっていて、「うん、うん、」と真剣に話を聞いていました。

 

そして、「自分は実は、自己啓発セミナーをやっているんです。それで、今がどうもうまく行かないという人達に対して、どうやったら人生を充実していけるかというところの提案をしているのですが、、、アンケートであなたの様に答えた方はいませんでした。セミナーを受けるというより、むしろ、今度、セミナーにきてご自身の話を皆さんにしていただけませんか!!」・・・と言われました。

 

「いや、さっき私言いましたよね?やりたい事があって、時間が足りないんです。申し訳ないですけど、他の方を探してください」と言って、サッサと去りました・・・。

 

これが、20歳の頃の私です。

 

 

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今、思い返しても、あの頃の自分は凄いな・・と思います。そして、そんな私を応援してくださる方が、たくさんいました。いろんな方に励ましと応援のお言葉をいただきました。

 

あの後、音大に合格するまで数年を要したのですが、実は、最初のパワーは浪人生活を重ねていく毎に、歪んだエネルギーに変化していきました。「努力しても結果が伴わない」事で、自信を失い、道に迷い、人を妬み、とても苦しい数年間でした。心の奥底に眠っていたそういったドロドロしたものに翻弄されていましたね。その時は、そんな仕組みは知りませんから、ただただ苦しかったです。

 

 

それでも真っすぐ進む事をやめられず、最後は親がボロボロの私を見かねて「国立だけでなく、私大も受けなさい」と言ってくれたのでした。

 

 

 

人生の前半というのは・・・完全に目隠しをされた状態ですから、とにかく目の前の現実に翻弄され、それが全てだと思い込んでいます。だから、現実を変えたくて必死になるんです。(目隠しだと気づかないまま、人生を終える人も沢山います)そして、目隠しをされているからこそ、シャカリキになれるパワーが沸くんですね。「やってやる!」「変えてやる!」「成し遂げる!」・・と。

 

それは、今思えば、それも素晴らしいな・・・と思います。目隠しされていなければ、真正面から取り組めませんから、心の奥底のドロドロを目の前に出現させて、格闘していたあの頃の自分に「その経験を必死にしてくれて、本当にありがとう」と思います。

 

今は、カラクリを知っていますから、あのパワーで生きていく事はできません。何か事が起こった時も、ベクトルを即座に内側に向け、内面を探しますから、、自分の内側と向き合い、対話し、エネルギーを昇華させます。

 

 

しかし・・今の自分は、3次元を生きていくパワーが圧倒的に欠落しているな・・・と、最近ふと思うのです。あの頃のような力強さで、現実を泳いでいく推進力が全くありません。

 

 

けれど、恐らくこのまま…というわけではなくて、この凪いだ精神のまま、想像していなかったところで、想像していなかったパワーが出てくるような感覚があります。それは、同じパワーと言っても、3次元に向かうパワーとは、根本的に違う、、むしろ真逆のベクトルなのだろう、と思います。きっと若いころに使っていたパワーと「別の次元」のパワーを使う事になり、それは全く真反対への飛躍である・・・と感じます。しかし、まだ今は、凪…です。

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今が、一番中途半端かもしれませんね・・3次元への推進力もなく、別の次元の力も発揮前というところでしょうか。ただ、漂っているという状態です。

 

 

今の私には、もう一度同じ体験をしろと言われたら、とてもじゃないけど、そんなキツイ事はしたくない・・と思うほどの経験をしてくれた、あの頃の自分に、あらためて尊敬の念を抱きますし、心から感謝します。あれが無ければ、今の私にはなっていません。

 

 人生の前半で逆方向へ振り切り、後半で真反対へ飛躍する。

 

その飛躍の仕方が、今までの経験や概念ではワカラナイんだと思うのです。なので、「3次元へのパワーが無い・・」というところにだけ意識が向いてしまい、一見するとパワー不足、何もしていない、と感じてしまうのかもしれませんね。

 

 

まあ、凪いで…凪いで…

お任せしていこうと思います。