毎瞬、毎瞬、飛ばしているものが……(∩´∀`)∩

 

 

 

3連休に書こうと思っていた内容の、その②になります。

公園を歩いていて、ふと思った事です。

 

 

例えば、私がこうやって散歩をしている今、私の心の中には何等かの心象が浮かぶ。今見ている青空に清々しさを感じていたりする。「ああ、すがすがしいなぁ…」とか、「お腹すいたなー、お昼何食べようかな」とか。はたまた過去の出来事を反芻して自問自答したり…


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みなさん、常に脳内に「ことば」や「気持ち」がありますよね。次々に浮かんでは消え、浮かんでは消え、シャボン玉のように次々に……

 


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人は、常に思考していたり、常に何かを感じながら生活をしている。瞬時に次々と「想う」。

 

意識していなくても、その「想い」は波動となって、瞬時に自分を中心として波紋のように広がっていく。あるいは、風船のように浮かんでは飛ばし…浮かんでは飛ばし……している。

 

 

 

私だけでなく、地球にいる全ての人が、毎瞬、毎瞬、「想い」を飛ばしている。

 

 

地球は、毎瞬、無数の「想い」が、ぽわん……と出て、ぽわん……と出て、を繰り返している。膨大な人数の、膨大な瞬間、瞬間の、「想い」「ことば」

 

 

誰が、何を考えて生きているかなんて、人の思考や、思想や、気持ちなど、毎瞬毎瞬、浮かんでは消え…を繰り返し、変化していくのですから、知りようもありません。

 

誰かに私の思考や気持ちを捕まえる事ができるか?なんて、絶対に不可能ですよね。それだけ、みんな自由に、無限に、思考や感情を味わって、創造しているんですから……。

 

 

けれど、それでも一つ言えるとすれば、地球全体の思考というか、集合意識……というか、世界各国の人々が、普段日常で感じる「想い」のようなものは、あきらかに「軽くなってきている」よね? ٩( ''ω'' )و

 

 

もちろん、世界にはいろんな国があって、それぞれ抱えている問題もおありだと思いますが、地球規模で言えば、重たい重たい社会意識というか、集合意識が変化してきているんだろうな、と思ったんです。日本でも、戦前の人々の日々の想いや思考というのは、もっと重苦しく、悲痛だったり、身の危険だったりせざるを得なかっただろうし、戦後であっても、物質至上主義というか、ステータスが大事だとか、周りからみた自分……という視点で生きていたりとかの時代も長かったと思うんです。そういう時に、浮かんで飛ばしていた想いや思考って、やっぱり「重たかった」と思うんです。


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けれど、今こうして、インターネットが普及して、ぽわん!ぽわん!と浮かんだ、その人の思考を、地球の裏側のだれかがキャッチしたり、とっても自由な世の中になってきました。

 

世界中で、コロナ…コロナ…となっていますし、緊急事態宣言?とかなっていて、日常生活で打撃を受けている人もたくさんいらっしゃると思いますが、それでも、戦前の地球とは、もう波動が違いますから、その中でも「軽い人」が結構な割合で存在していると思われます……。

 

そして、やっぱり人って「軽い状態」が魂としては心地よい状態なのですから、やはり重いよりは、軽いほうへ、吸い寄せられて(笑)いくんだと思うんですよね。

 

 

地球に住む人の、思考や思想が、時代とともに段々軽やかになってきた……


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これが、地球の「3次元→から5次元世界への移行つまり、地球のアセンションという状態なんじゃないかな、と思ったんです。

 

つまり、世界がどうのこうの……コロナがどうの……地球温暖化がどうの……環境が……とう事は置いといて、

 

 

 

「地球人の想念の軽さ」の比率が変わった

 

 

 

という話だと自分としては理解した……のです。何か、文献を読んだわけではないのですが、お散歩をしていて、急に「あーーーーそぉぉぉーーーーかぁぁぁ」と思った……っていう、、、お話でした。

 

 

 

 

今日は、2つ書きました٩( ''ω'' )و٩( ''ω'' )و

 

……もう一個、書きたかった内容があるんですけど、週末に書けたらいいな、と思っています(書けるかな????…(∩´∀`)∩)