時間の幻想

 

 

こんばんはー(∩´∀`)∩

 

週末になり、なんかブログに書きたい内容が浮かぶかな?と思ったりしたのですけど、今いち、まとまりませんでした。

 

最近ぼんやり考えている内容はあるのですが、「ああそうか」の感覚は無く、堂々めぐりが続いています。

 

考えていることは、「時間」のことであったり、「過去~現在~未来」の感覚の事であったり、他にもいろいろあるのですが、まだスッキリはしていないですね。

 

 

ですが、いつものように、書いていると整理されてきたり、手が勝手に書いていたりするので、もしかしたら何かしら深まるかもしれない……と。

 

そもそも、どうして「時間」について考えるようになったのかというと、自分の中での感覚があきらかに今まで長く生きてきた認識と変化してきたからなのでした。

 

具体的に言うと、一秒を積み重ねて一分になり、一分を重ねて一時間になり、、、という当たり前の時間の計算とか、膨大な年月が流れてきたとか、そういう普通と思われていた感覚に対して、「あれ?違うかも」と感じるようになったのです。

 

キッカケは何だったのだろう……よく、未来への展望とか、方向性を問われた時に「即答できない自分になった」ことから「あれ?」と思うようになった気がします。未来に対してあまり興味というか、執着がわかない自分がいる…と。

 

例えば、「将来の目標としている状態」があるとして、その為に今コツコツと努力を積み重ねていくような、一般的には良しとされる在り方について不思議に感じるようになったり……。

 

「過去」の自分の在り方が「今」に反映されたり、「未来」の為の「今の在り方」を考えたり……というのが、自分の感覚と合わなくなってきたのです。

 

 

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自分の今の感覚としては、「過去」と自分が認識しているものというのは、「自分が体験したことの中で、特に印象に残った出来事に対して、何らかの"想い"が付着したもの」であると思っています。

 

そして、「印象に残っている過去」というのは、その時の自分にとって、ポジティブにしても、ネガティブにしても、なんらかの強烈な感情を伴った体験だった…という事です。つまり、善悪を判断するジャッジが強烈に作用したことで感情の残像が残っている。

 

 

……これが「カルマ」と呼ばれるものだと思うのです。

 

 

以前の私は自分に対してジャッジメントが常に働いており、それに伴い、傷つく事も多く、楽しい事も悲しい事も、今よりも沢山あった気がします。つまり、無意識にコツコツと潜在意識にカルマを蓄積させていた…と。

 

 

カルマって、「悪い事したら悪い事が帰って来るよ!」とかじゃなくて、「自分の中にあるエゴが反応したことにより、強い感情を伴って体験の中に”何らかの未浄化の”想い”が残ったもの」だと思うんですよ。

 

良いと判断した思い出も、良くない事と認識した過去も、同じく「カルマ」なんだと。(……と、私が思うようになった、というだけですけど)

 

けれど、こうしてこの数年、ネガティブな感情が現れた時にあらがわずに内面を見つめるという作業を繰り返し、だいぶ経験の中の残影が消えてきたのですが、そうしてある程度お掃除が進むと、「今」に生きることが、自然とできるようになってきます。

 

そして、その「今」ですが、自分の中のエゴというか、概念が落ち着いていますと、「新たなカルマ」を作りにくくなるのでは……と感じました。つまり、日常の中で、自我のジャッジメントによる出来事に対する反応の大きさが、以前のようには無い…となるので、記憶の中に感情の残影が残りにくいのです。

 

 

……で、わりと「ボーーーー(∩´∀`)∩」と生きているんですけど。そうなると、未来への展望とか、未来志向とか、期待とか、希望すら、思い浮かばないんですねー。

 

なので、新年になって「今年の目標」とか「やりたい事」とか、決意を語ることが、まぁ、なんと言うか、本当にできなくなりました。だって、特に無いから。

 

短期的な思い付きは、その都度沸いてくる度に行動に移しますが、長期的な展望とか、こうなりたい自分とか、、本当に浮かばなくなりました。

 

そうこうしているうちに、「過去」「現在」「未来」って、みんな当たり前に時計や時間の概念を受け入れて生活しているけれども、「時間が流れていく」って、そもそも幻想なんじゃないかな、と思うようになってきたのです。

 

つまり、「今しかない」という事です。

 

 

時間の概念の中で生きている人の方が、世の中には圧倒的に多いけど、時間は流れていくもの、絶対的に在るもの、という感覚が消えていく人も、今後は増えていくんじゃないかなぁ…と思ったりします。