「心の美しい人」………ってどんな人でしょうか。
優しい人?
正しい行いをする人のこと?
人の為に動ける人?
親切な人?
……私がここにきて、「わかった」のは
「心が美しい」とは、魂と自我がより一致した状態にある、ということです。
人は(動物も、植物も、鉱物も、ありとあらゆるものは)
固有の「振動数」を持っています。波動ともいう。
魂の「振動(波)」
純粋なままの「振動(波)」と
「これが自分である」と自覚している自己(顕在意識、自我)の振動数(波)が
一致して生きている人は、ごく稀です。
私の思う「心の美しい人」は
魂=自我
に限りなく近い状態であり(地球では難しいことですが)、自分の本音に沿っていきている、矛盾がない、ウソがない。
「純度100%の自分、で生きている人」
それは、世の中的に言われているような
「親切で」「優しくて」「人の為に生きて」「明るくて」「仕事ができて」「世の中に貢献して」……などは全く関係がありません。
社会的にどう見えるか?……とは、対極に位置するかもしれない。
だから。
魂と自我が限りなく一致して生きている人は、
社会的に見たら「困った人」「協調性の無い人」「勝手な人」と思われる場合もある。
そうだと良くないから、より「心が美しい人」になるために、善行をおこなう。たとえ、本当はそれはやりたくないなと思ったとしても、その氣持ちを抑えて「良きこと」を選択していく。
そうして、だんだん、だんだん、「魂」の「固有の波」とズレていく。知らぬうちに、だんだん、だんだん、本当の自分の波がわからなくなっていく。
「良い」と思われている事をたくさんしてきたのに、なぜだか「シアワセを感じられない」「本当の私が望むこと、が何なのかわからなくなってくる」
「魂」とは似ても似つかぬ「良い大人」の出来上がり、である。
けれど、そうなってきて、
「何かがおかしい……」と思い始める。
「本当の私って…?」「私らしいって、なに?」「私はどんな事が嬉しいの?」「私の好きな事ってなに?」「私にとっての心地よさとは?」
外側を向いていた意識(他人軸) ➡ 内側へ意識を向け始める(自分軸へ)
人生のどこかの地点で、反転する。
魂の美しい振動を妨げていたゴミ(エゴ、概念、恐れ、ルールなど)が、一つ……また一つ、外れていく。少しずつ、少しずつ、魂が本来の振動を発揮し始める。
「本当の意味での心の美しい人」がどんどん増えてきたら……世の中は、同じことを言う人がいなくなるかもしれない。こうあるべき、これが正しい、なんて概念も消える。
みんなが、本当の自分の「波」を美しく奏でながら生きる。
いろんな波、いろんな音、
その全てが許されていて、その全てが個性的で、その全てが美しい。
そんな世界。
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