なぜ、地球に生まれたのか

 

 

 

自分は何で地球に生まれて来たんだろう……

 

と、考えた事がある方はいらっしゃいますか?私は長年、これについて考えていましたが、腑に落ちる考えが降りてきませんでした。しかし、ここにきてようやく「わかった!」がやってきたのです…。

 

今日は、そのことについて書いてみたいと思います(あくまでも、私にとっては…という納得なのですが、誰かのヒントになるかもしれないので書いてみます)

 

 

地球に生まれた意味。

 

こんなことを話し出すと、「使命」のようなもの、何か意味があるものを連想される方が多いかもしれませんが……違います。

 

私にとっては、の感覚ですが、この「使命」というワードについては、映画のストーリーの域を出ないと思っています。そういう役割を感じて満足したい、安心したい、自己価値を高めたい、という欠乏感が見え隠れする場合もあります(そうでない人ももちろんいますが、そういう方はあまり声高に「使命」とか言わない印象があります)

 

そういう役割的な事を目的として、地球に来たわけではない、、、という発見です。

 

なぜ、そういう考えに至ったのかというと、、、。この地球って、かなりハードルが高い場所ですよね。そもそも、生まれた瞬間に過去の記憶は忘れて(一般的には)自分が何者だったか、本質的な事は忘れて生活しているわけです。いわば、目隠しをして生活しているんです。

 

そうして、幼少期から思い通りにならないことや、自己肯定感が育たないような経験をいっぱい、いっぱいするわけです。そうして、そもそも光輝き、なんの不足もないような魂であるにもかかわらず、「私には何かが足りない…」という思いを常に抱き、外側の世界にそれを満たすものや、人や、価値を探して生きてきた。

 

そして、インナーチャイルドの傷をいっぱい作って、潜在意識にはエゴや恐れがいっぱいの状態になる。(もちろん、過去性の傷もたくさんあるでしょうが)

 

でね。。。「わかった!」となったのは

 

 

地球って、目隠しさせられているし、ネガティブになるような経験も敢えてたくさんします。なぜそうなっているか……っていうと、

 

そういう環境のほうが「進むから」なんですよ。

 

意識が反転する前は(目隠し状態の時)外側の世界が自分をいじめていると感じます。悪いことも嫌な人も、自分を苦しめる誰かのせい、運が悪かったせい、なんです。  

 

しかし、内側へベクトルが向くようになると、外側の世界が自分をいじめていのではなくて、自分の中の記憶が再生される事によってジャッジが生じ、自分をチクチク反応させるんだ、と本当の意味で受け入れることができるようになります。

 

そうなると、やっとそこに向き合い、気づき、手放し、浄化することが可能になります。自分が自覚してこそ浄化が進むわけです。

 

こういう、ハードな星でなければ、ここまでして向き合ったりできないですよね。ある意味、チャレンジャーな私達なのです。。。きっと、地球にいるからこそ、更には過去性までさかのぼって、めっちゃお掃除が進むんだと思ったんですよ。意識が反転したら。

 

おそらく、魂の世界の世界では多幸感で何の不足もなく、ただただ満たされて存在していた私達です。それが、なぜ地球へやってきたのか……っていうと、

 

「魂の成長のため」

 

ただ、この一点です。それしか、ない。

 

「体験」し、「感情」を味わい、そのことによって得た「記憶」が魂に蓄えられる「叡智」となります。

 

ですから、体験した事によって、自分の中のエゴや恐れがいっぱりあるならば、全てにおいて善悪で判断し、そのことによって、得た感情が「歪んだ記憶」として蓄積される(地球ではそのくらいハード)

 

だけれども、そんないろんな珍事件が起きる地球において、そのことに気づいて、俯瞰の眼を獲得できたならば………新たに「歪んだ記憶」が蓄積されることもなく、以前に貯め込んだ「過去の歪んだ記憶」もコツコツ浄化することができます。

 

ただ、シアワセに生きている波動域の星だったら、ここまで必死に取り組まないでしょう……?だから、地球を選んだんですよ……。

 

なので、それがわかった今、これから私が地球で何をしていくのか? というと。

 

「ただ、純粋に、体験する!」

 

これに尽きます。もう、これだけです。「使命」とかじゃないんです。いかにして、この地球で、俯瞰した状態で、「純粋に」体験を重ねていくか……ってことが、魂の叡智となり、魂の成長になっていくんです。

 

これがわかって、本当に氣がラクになりましたし、と同時に、内側から力がみなぎってくるような感覚になりました。