「楽しい」を手放すと

 

またまた……結構長い間、ブログを開くことなく過ごしていました。

 

 

その間に、また自分の意識のエリアが変わりました。

ようやく、そのエリアに定着してきたところです。

 

 

意識のエリアがグン……と大きく変わったのは2年ぶりくらいなのですが、初めてではなかったので、途中から「ああそういう事か…」と大人しく観念しました。

 

 

スピリチュアルではよく「覚醒」とか「目覚め」とか「アセンション」とか、いろんな言葉で表現されたりすると思うのですが、これは段階的であって、一気にゼロから100になる、とかではないです。

 

それで、覚醒も「これで完了」とかは無く、また覚醒すれば夢のような、煌びやかなな、恍惚の世界が待っている、とか、そんな風にイメージしてしまうかもしれませんが、私は違うと感じています。ブッダを想像してみてください。。。キラキラ✨フワフワ〜してないでしょ(笑)

 

ブッダも、弟子に悟りを学びたいと請われた時に、あまり他の人にはオススメしないよ的な話をしたそうですよね💧この状態が、万人に勧められないのもわかります。

 

 

意識のエリアが変わるのは、2年前も経験しましたが、今回も似たような経路を辿りました。

 

どういう感じかというと、

 

「なんだか、最近、テンションが下がっている」

 

という、あまり楽しくない感じが続くのです。理由は特にありません。何があったとかではなく、ただ、テンションが低いままが続く、というものです。

 

「つまらない」

「楽しくない」

「退屈である」

 

という感覚に対して、それをそのまま受け止めている状態が続きました。その時、何らかの行動を起こしてみて「楽しい」をやってみよう、という前向きな(?)気持ちにはなりませんでした。

 

これでは、ますます「世捨て人」「ご隠居」まっしぐらだな……と思いました。

 

地球に生きている意味があるんだろうか……と思いました。

 

例えていうならば、プロ野球で順位は決まっているのだけど、残りの試合があるため、しかたなく消化試合をしているような感じです。

 

 

「楽しい」を感じたいと思えずに、地球に居続ける………って。

 

 

悟り、や

覚醒、というのは

 

実は、「楽しい」とは真逆に位置するものかもしれません。その「楽しい」は眠っているからこそ、一喜一憂して楽しめるわけです。ブッダでなくても、オススメできないなーと思う…。

 

言葉で表現するのは限界がありますが、誤解を恐れずに言うならば、「楽しい」は、エゴが満足したその一瞬の反応です。ですから、エゴに振り回されずに一喜一憂しなくなる、感情の浮き沈みが極端に減ると(つまり、目覚めた状態で俯瞰していると)「楽しい」が無くなっていくのです。

 

しばらく、「楽しくないエリア」で悶々としているうちに、「悶々とする」のも、エゴが抵抗している状態であるのですが、「つまらない」を受け入れるようになってきました。というか……その状態に「慣れ」て、「抵抗しなくなった」感じです。

 

とても静かでした。

もともと静かな内面ですが、もっともっと、淡々と波が立たないエリアです。

 

 

楽しい、はとても三次元的な感情

 

欲望が芽生える → 叶う 

「楽しい」

 

 

欲望が芽生える →叶わない

「楽しくない」

 

 

楽しいを求めるから
楽しくないがセットになる

 

 

 

 

地球で生きるには
楽しい、は醍醐味のようなもの


感情が動き、一喜一憂することによる
生の実感。

 

それを大きく感じる事ができるには

「眠っている」必要があります。(つまり、覚醒の反対)

 

 

俯瞰している状態が深まれば深まるほど……三次元的には


楽しくなくなって
つまらなくなって


…つまらない、退屈な余生を
淡々と受け入れはじめて

 

そのエリアに定住していく

 

 


つまらない、と思うのはエゴの声なのだけど、
それで構わない、となっていく。

 

 

エゴが完全に沈静化する

 



楽しい、を手放して生きていくのは

感情の落差を味わうことを

地球での生きがいや、醍醐味を手放すことになるのだけど。。。

 

 

それって………つまらない生き方だと思われますか?

せっかく地球に生きているのに、それでは勿体ないと思われますか?

 

 

けれど

 

「楽しい」を追い求める生き方を辞めると

 


言葉であえて表現するならば

 

喜び…とか
祝福…のような

 

「状態」が在るのがわかります。

 

それらは、ただ湧いていて
ただ、溢れている

 


湧いたり、消えたり

浮かんだり、沈んだり

 

 

一喜一憂もしない

 


ただ淡々と 

湧き水のように

滾々と

在る

 

 

 

抵抗しないで身を任せると
最短でエリアの移行が完了し
定着します

 

 

淡々と、淡々と。

 

生きている間に、こういう意識のエリアの変化が

忘れたころにまたやってくる。

 

この繰り返し。