以前ブログに書いたこともあるのですが、結構前から、過去~現在~未来………のように時間が経過していく感覚がなくなっています。
つまり、今より昔に「過去」があって、今の先に「未来」がある、とは思えず、
瞬間、瞬間、あるだけ、という感じです。
それで、最近あらためて氣づいた事があるのですが、
実は、人と会う時に、その人と前に会った時の話の内容とか、その人に対する印象とかが私の中にほとんど残っていない状態で会っています。。。
よく知っている人であったとしても、毎回、初めて会うような(?)いや、認知はしているのですが、過去の出来事に囚われる感覚が全く無く、毎回リセットされていて、毎回新しい氣持ちで会っているのです。
流石に、毎日会う家族に対しては違うでしょー???と思われると思うのですが、同じなのです。。。なんというか、過去にあった事とか、それに対する印象とかが、無いんです……。
どうですか、この感覚は……(笑)
以前話した内容を覚えていないとか、以前確かに交流し、心を通わせ合えたその経験を無かった事にするなんて。
ちょっと「人間」としては、酷いのかな……?
冷たいように思われるかもしれません。
過去を踏まえての今、という捉え方が今までの地球のスタンダードで、みんな何の疑問も感じずにそうして人間関係を構築しています。
思うに、なぜ私がこんな風に感じるのかと言うと、、、会話していても、相手の考えに対して、いちいち感情が反応してジャッジしたりだとか、相手の言動に傷ついたり……とか、そういう揺れが無いもので、
その人と会話して過ごしたその時間の事は、その瞬間に昇華してしまうのです……。
なので、次に会う時も、腹の中に何にもない状態で、なんなら初対面くらいの新鮮さで、再会するんです。
そんな時、私の状態がどうなっているかというと、「思考がほとんど働いていない」感じがしています。脳内で思考や、言葉が無く、「無………」となっている時間がかなり増えました。あまり考えなくなるというのは脳機能的には運動していないようなものなので、老化が進むのか?(笑)
昔は、違いましたよ?
昔は私も、毎日会う同級生にしても、久しぶりに再会した旧友に対しても、過去にあった出来事により、私がその相手に対して感じた感情を内包して対面していました。こっちの方が「普通」ですよね。
けれど、どうでしょうか………。
例えば、何年か前に意見の食い違いで、苦い思いを抱き、嫌な印象を残したまま会っていない友人が居るとします…。数年ぶりにその友人と再会する場面がやってきたとします…。その友人に対して、「ちょっと苦手だな…氣が重いな……」と思いながら会う人が多いと思います。。。
でも、考えてみて欲しいのですが。
人がその時と全く同じ状態を留めたままだと思う方が、不自然ではありませんか?………何年間も全く何の経験もせず、変化もしないなんてあり得ますか?その友人は冷凍保存されていて、数年後に瞬間解凍されて、あなたの目の前に現れるのでしょうか………。
あなたが日々、変化しているのと同じように、他人も毎瞬、毎瞬、変化しているのです。。。同じ状態などあり得ません。過去に出会ったと思っている「その人」は、あなたの脳内に記憶としてあるだけで、実際には今、存在していません。
それに、もっと言えば、過去に抱いた相手の印象というのは、動かしようのない絶対的な真実、ではありません。。。あなたのフィルターを通して見た、あなたにしか感じる事のできない、あなたが作り上げた幻想なのです。。。あなただけが思い込んでいる、あなただけの相手の姿なのです。
だから。
数年ぶりに会う人であっても
たまに会う人であっても
毎日一緒に生活している人であっても
毎瞬、毎瞬、その人は変化しており………
「毎瞬、毎瞬、新しい私」
「毎瞬、毎瞬、新しいあなた」
として、出会いなおす。
むしろ、その方が自然だと……今の私は感じています。
「過去」は自分が作った幻想です。
自分のフィルターを通して、自分の思い込みが付着した、「印象」です。
絶対的なものでも、真実でも、客観的なものでも何でもなく、
その時の、その瞬間の自分が判断した、思い込みの映像です。
そんなものを握りしめて、目の前の人と対峙しますか?
いつも、真新しい私で
さっきまでとは違う
今、出会う、初めてのあなたと
いつも、いつも、
出会いなおす。