対症療法と三次元意識

 

対症療法とは、

病気の原因に対してではなく、その時の症状を軽減するために行われる治療法です。

みなさんが具合が悪くなってかかる病院(西洋医学)は対症療法です。痛みに鎮痛剤を与えるなど、
根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して物事を処理します。

 

つまり、根本的な原因に対してアプローチしているわけではありません。

 

その症状が出た原因から消さなければ、一時的に症状が治まってもまた何度でも同じ症状が繰り返しやってきます。

 

 

これって、、、、

 

何かに似ていませんか?

 

 

 

タイトルにも書いたんですけど、これって「三次元意識」にとても良く似ています。というか、全く同じです。

 

 

例えば、ネガティブな感情が沸いたとして………

 

その要因と思われる相手に対して「あなたの行いを正して欲しい」と願ったり

「悲惨な事件や事故が無くなれば平穏になれるのに」と思ったり

「経済が回復すればラクになって幸せになれるにに」とため息をついたり

 

そうやって、原因が自分の目線の先にある、外側にあると信じている……

そこに疑問も持たない方は多いのではないでしょうか。

 

実際は、「潜在意識に在る思い込み」がその人をネガティブな氣持ちにさせる原因なのですが、目線が外へ向いている人は

 

目の前の問題を解決しようとする

誰かに対して変化を求める

 

一般的には「アタリマエ」と思われているこの「良い方向へ変えていこうとすること」「対処しようとすること」が

 

実は根本的な解決にはなっていない、という事を

ほとんどの人は知らないのかもしれない。

 

 

意識のベクトルを

外側へ……ではなく、自分の内面へ、内側へ向ける。

 

 

たったそれだけの事が

凄く難しく感じるのは

 

それを、これまでの人生で誰も教えてくれなかったから。

親も、学校も、社会も。

他人や社会と上手く折り合いをつけて生きる事が最も重要で、、、

 

 

自分自身が何を感じているのか

本当はどうしたかったのか

そんなことを振り返ることすらできずに大人になった人の

なんと多い事か

 

 

そして

そんな大人が立派な社会人と言われ、人格者と思われる。

 

そんな立派な人なのに

職場で疲れ果て、人間関係に悩み、疲労困憊している。

 

 

………オカシイとは思いませんか?

 

あなたは

幸せを感じて生きていたいのではないですか?

 

人に迷惑をかけずに

ワガママにならずに

自分をコントロールして上手く関わって

 

………それで幸せですか?

 

 

対症療法では治りません。

根治療法が必要です。

 

 

では、根治療法とはこの場合、どういう事かと言うと……

 

 

なぜ、あなたはそんなにも心がざわつくのか。

なぜ、あなたはそんなにも相手に怒りがわくのか。

なぜ、あなたはそんなにも思い通りにいかないのか。

 

 

その原因となっている「思い込み」や「執着」や「善悪のジャッジ」

に自分自身が氣づく、という事です。

 

 

あなたが、あなたの内側の本心に蓋をして

自分を蔑ろにして生きてきたこれまでの無念を……

自分の苦しさを無かったことにして忘れている事を………

 

思い出す、と言う事です。

 

 

外側を変えようとしても、なにも変わりません。

 

 

 

対症療法は、三次元の地球での生き方です。

 

五次元地球へ移行したい人は

根治療法をするしかありません。

 

つまり、自分の内面と向き合う………ということです。

 

今は追い風です。

変わりたい、楽に生きたい、と思えば

かなりのスピードで進みます。

 

 

根本的な治癒になっていない対症療法を続けていくのか

時間がかかっても原因となるものにアプローチして自分を変えていくのか

 

 

三次元に居続けたいか

五次元へ移行したいか

 

 

誰もが

自分で選択できる。

 

 

こんなカラクリを、まだ知らない人もいっぱいいるから……

 

目の前の事で右往左往している人、心が波打っている人、、、

 

 

 

氣づきを促す出来事は、全ての人に、常に、起きている。

 

 

多くの人が氣がついて……

 

ラクな状態になって、

幸せを享受して

 

生きていけたら……と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天と地が繋がる

 

 

アーシング

裸足になって、大地を踏む。

 

 

アーシングの良さは、調べればいろいろ情報はとれますよね。

 

 

数年前に、電磁波過敏症になったころは、とにかく四六時中アーシングしていたものです。。。

 

どこでもここでも裸足になってアーシングすればいいんですけど、靴を脱がずに散歩しながらアーシングできたら便利だなと思って、最近アーシングシューズを購入しました。

 

 

アーシングをしている時の「体感」は、私にとっては「靈氣(レイキ)」をしている時と全く同じ状態になります。

 

具体的には、「脳がぶぁぁ……と緩んで広がる」「頭頂(天)と足裏(地)が繋がる感覚」「エネルギーが通っていく、あるいはエネルギーそのものと同化している」そんな体感です。

 

裸足の方がもちろん良いと思いますが、天と地が私というパイプで繋がり、風景も私も境がなく一体となる」ような感覚は、アーシングシューズでも同様の体感を得られます。

 

犬の散歩をしながら、アーシングも出来ているので、とても良いです。

 

うちの近所は山に囲まれ緑が多い場所なので、アスファルトの上であっても、数十センチ下はもう土なので、一応アーシングできている体感がありますが、やはり「土」の上を歩くとより一層強く体感を得られます。

 

うちのワンコはたまに、公園の真ん中で座って動かなくなる時があり、そんな場合は5分くらい待ってあげるのですが、あんまり長く動かないとこちらも待っていられず、リードを引いて散歩へ促していました。

 

今日も、しばらく散歩してから公園の土の上に座って動かなくなってしまったのですが、今日はその理由が私にもわかりました。彼女はアーシングしているのだと。

 

彼女も、私も、天と地と一体化中なのでした。瞑想状態の脳波になっているんじゃないかな。。。たぶん、20分くらいそのまま公園の真ん中に突っ立っていました。今日は、ワンコの方から「そろそろ歩きましょうか?」と促されたほどです。。。

 

アーシングシューズを履くと、「思考が消え」ます。脳内に「言語」が無くなり、ただ、無・・・のままです。

 

目の前にある樹木を見ていたら、「あれ、、樹木は常にアーシングしているってことか」と思いました。

 

今、公園で、樹木も、犬も、私も、天地と繋がりアーシングしている。足元は地中で彼らのエネルギーと同調していて、脳はこの空間と同調している。。。。

 

 

裸足で生活していた太古の昔の人々は、常にこうして天地と繋がり、自然と一体化して生きていたはず。

 

文明の発展と共に、土の上にアスファルトが敷かれ、人々はゴム底の靴を履くようになり、天と地から分断されて、浮いた状態で帯電している………。

 

 

動物や植物が、シンプルに今だけに生きていられるのは、物理的にエネルギーを遮るものが無いからなんじゃないかな。

 

ヒトのエネルギーを遮るものは、

 

上は「思考によるもの(不要な概念、思い込み、エゴ)」で、

下は「大地との繋がりを遮断する靴」だと思います。

 

 

思考のゴミは内観や氣づきによって浄化できます。靴は現代社会では履かないのは難しいので、アーシングシューズをぜひ、取り入れてみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

これからも、共に………

 

今日は、直傳靈氣の前期セミナー最終日「前期セミナー③」を、お伝えさせていただきました。

 

少し前のブログにも書かせていただきましたが、今回受講してくださったのは、私に西洋レイキを教えてくれたティーチャーさんと、レイキマスターさん、つまり、ずっと仲良くしてくださっていたレイキ仲間のお二人でした。

 

西洋レイキと、伝統靈氣

 

やっている人によっては、相手に対して批判的であったり、自分達とは違うものをやっていると感じていたり、、、するのでは?

 

これは靈氣(レイキ)に限った話ではありませんが、相手を非難したりネガティブな感情を抱く大抵の原因は

 

 

自分の思い込みからくる「決めつけ」「相手へのジャッジ」

 

であって、

 

つまり、、、

「対話をしていないから、わからないだけ」

「知ろうとしないから、わからないだけ」

 

 

知れば、知る前とは全く違った感想を持つものです。。。

とっても、単純な事なのです。

 

 

私は、「西洋レイキだから〇〇」「伝統靈氣だから▲▲」と断定はできないと思っていて、結局はそれをやっている人がどんなマインドでやっているのか、靈氣をどんなものだと捉えているのか、個々の在り方に依ると思っています。

 

 

白石庸子さんは、西洋レイキを教えていますが、伝統的なこと、日本的な事も凄く大切にされているし、西洋の思想も現代に生きる人にとって受け入れやすいものは取り入れるし、すごく柔軟な方です。

 

 

今回、お二人は、「知りたい」という純粋な欲求からセミナーを受けてくださいました。どうして「知りたい」のか。それは、これまでやってきた「靈氣(レイキ)」をもっともっと深めたいから。伝統靈氣に限らず、知らなかった事を知っていく事は楽しいから。自分の中で腑に落ちたり、答え合わせができたり、単純に驚いたり、なるほど!!と思えたり、そんな風にも考えるのかーと面白く感じたり、、、そういう純粋欲求からの行動であったと思います。

 

それが、凄く嬉しかったのです。。。

 

「靈氣(レイキ)」って、いいものだなぁ…………(∩´∀`)∩♨♨♨

を、知識からも、体感からも、さらに深く感じた3日間のセミナーになりました。

 

 

靈氣(レイキ)は初めてで、よくわかりません、、、という方々に、靈氣ができるようになる喜びを感じてもらうセミナーも凄く楽しい。

 

そして、今回のように、既に生活の中に靈氣(レイキ)が浸透している方々と、共に学び、更に靈氣の素晴らしさを感じるセミナーも、とっても楽しいです。幸せでした。

 

 

今日は、3人で「ああ、氣持ちいいぃぃ」を何十回言ったことだろう。。。(笑)

療術所内は、何とも言えない心地よいエネルギーが充満していました。靈氣をしても、されても何とも言えず氣持ち良く、リラックスし、ゆるみ、幸せを感じました。

 

 

お二人とも、「千景ちゃんから学びたかった」と、何度も言ってくれました。。。

私を選んで、セミナーを受けてくれて、本当に嬉しかった。ありがとう。ありがとう。

これからも、いつまでも、共に靈氣(レイキ)やっていきましょう💗(・∀・)💗

 

 

 

 

 

 

 

 

無事に終わりました

 

演奏会が無事に終わりました。 

誘ってくださった方々、協力してくれた友人、演奏を聞いてくれたお客様、ありがとう御座いました…

 

午前中に、ブログに書いたのですが

はてなブログの不具合で保存できず、記事が消えました😱

   

で、、その集中力を再現できないので、同じ内容の文章は書けません。

 

やっぱり何でもその時に生まれる一回が本物で、思い出して書いても、ウソになっちゃうから辞めておきます。

 

残念です_| ̄|○ il||li

 

アメブロに引っ越そうかな(TдT)

 

 

 

「頑な」に「思い込んでいた」だけ。

 

 

20数年ぶりに、ファゴットを吹いているのですが、

昔の私は、実は、とっても、とっても、不器用でした。

 

浪人していた頃は一日8時間くらい練習していましたし、音大へ行ってからも、授業に出ている以外は朝から晩まで楽器に触れていましたが、

 

学生の頃は、自分のテクニックの無さや、息の足りなさや、読譜力の無さや、できない事を数え上げればキリがありませんでした。曲の練習に入る前にロングトーンを一時間くらいやってましたから、、、練習量が人一倍多かったのは恐らく、自分は準備運動に時間がかかるタイプなのだと頑なに思い込んでいたからでしょう。

 

長いブランク明けで、今ファゴットを吹いていて

もちろん現役の時のような音が出ているか?と問われればまだまだです。

練習時間だって、今はたったの1時間くらいなものです。

 

 

それでも、実は、昔よりもできている事というか、理解していること、見える事が結構あるのです。

 

レッスンで、何度も何度も何度も「やり直し」になった練習曲も、今の方が吹けているんじゃないだろうか、、、?と思ったりするくらいです。

 

昔の私は、数え上げればキリが無いほどに、自分にダメ出しをしていました。

 

そして、人一倍の練習量だったにも関わらず、テクニック的な事がいつまでも解消できず、完成度の低いエチュードを持っていく事になり、先生からは「お前は練習の質が悪すぎる」「持っているイメージが悪すぎる」と言われていました。私も当時は厳しい先生に対して素直に心を開けず、本当に先生とのやり取りは全然上手く行っていなかったと思います。

 

20数年経ってわかったのは

「不器用だと思っていたのは、私の思い込みだった」ということです。

 

ファゴットは運指が管楽器一難しい楽器ですが、皆は生れながらにテクニックがある、幸運にも指が回るタイプなんだと信じ込んでいました。

 

けれどそれは全然違っていて、超上手い人も、プロの奏者も、難しいパッセージならば何度も何度も地道に練習するんです。リズムを変えて、何パターンも変えて、それを指と脳に覚え込ませる。そいういう事を地道にやっているから次第にテクニックが付いてくる………という、今思えば当たり前の事を、当時は想像できずに、彼らは恵まれた人なんだと信じていました。

 

器用な人と不器用な人の差は、もちろんあります。

でもそれは、昔の私が思っていたほど「絶対的なもの」では無かったようです。

 

頭を柔らかくして、心が素直になって

柔軟な練習、地道に繰り返し、をすれば、必ず誰もができるようになる程度のものだったのです。もちろん、かける時間の長さは人それぞれでしょうが、それでも「絶対にできない、才能がモノを言う」様なものでは無かったです。。。

 

息の長さも、吸い方でだいぶ変わってくることも分かったし、指がもつれなくなってきたから歌う氣持ちが遮断されずに結果フレーズを長く取れるようになった、、、という側面もあります。

 

自分は足りない、自分には持っていない、ずっとそう思いながら、、、あの頃はよくやっていたなーと。それは凄く苦しい思考だったなと、、、思います。

 

 

20年以上、音楽に何も関係ない日々を送っていたのに、ただの何てこと無いこの日常の積み重ねでさえも、実はかなりのお土産を手にしていたんだ……と。ファゴットを手にして感じられた………っていうお話です。

 

若いころやっていたけれど、今はもう辞めちゃった……って事が、みなさんもあるかもしれません。機会があったら是非やってみてください。なんだかとても感慨深くなりますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

常にフラットで居たいのです

 

毎年、8月は体調を崩しがちなのですが、

今年は何事も無く、夏バテにもならずに過ごせています。

 

クーラーが無くても

窓を開ければ何とか眠れているのが体調維持の理由かもしれません。

 

毎年、長期の不調を感じる夏は、「もしかしてライオンズゲートのせい?」と思ったりしたものですが(ライオンズゲートが何なのかはよくワカラナイ)去年までは単にエアコンのせいで夏バテだっただけなのかも(笑)

 

スピリチュアル業界では、宇宙からのエネルギーが特に強いこの期間をライオンズゲートと呼ぶようです。

 

敏感な人はいろいろ感じるのでしょうか。

 

私は何にも感じません(笑)

いつもと同じ穏やかな日常でした。٩( ''ω'' )و

 

 

どんな期間でも、どんな特徴のエネルギーの日でも

そういう情報は極力、思考に入れたくないと思っています。

 

つまり、情報に寄せて何かを受け取ろうとするのが

性に合わないのです。

 

 

直観が降りてくるのは、自分にとって必要なタイミングなので

 

 

 

常にフラットで居たいし

何の先入観も持たずに生きていたいです。

 

 

………と、こんな感覚で居りますと

 

 

以前のように、いろんなことを考えていて

自分なりの議題や、疑問や、知りたい事について思いめぐらせていた頃は

ふとした時に「ああ、そうか!!」という直観が降りて来て

自分の中で腑に落ちていて

 

つまり、質問を投げる➡答えが降りてくる

 

という、当たり前なんですけど、ハイヤーセルフとそのようなやり取りになります。

 

 

それが、今の私のように、特に何も疑問や質問もなく、日々淡々を過ごしていると、「ああ、そうか!!」という答えはやってきませんね。質問を投げていないんだから当然です。

 

そんな日々なので、ブログの更新が減ったのもあるのかな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ファゴット吹いてます

 

 

直傳靈氣の修了者さんに

子ども達の音楽発表会を開くので「ファゴット吹きませんか?」と

お誘いを受けました。

 

 

音大を卒業してから20年以上のブランクがあり

本当に復帰できるだろうかと思いながらも

返答したからにはやれるだけやってみようと

とにかく少しの時間でも毎日吹くようにしました。

 

アンブシュアを保てるように

口の周りの筋肉が育つのに時間を要しました。

管楽器奏者のやってることって、スポーツ選手みたいな所があります。

とてもストイックです。。。

 

 

リードは、音大時代の友人が送ってくれました。

私の頼みに快く応じてくれて、5本もプレゼントしてくれた( ;∀;)

しかも、私の楽器の特徴や、私の音を思い出しながら、そしてブランクを考慮して試行錯誤して作ってくれました。

感動ものです………。

 

楽器を吹くと

精神に張りが出てきます。

練習後など、スッキリしている。

腹式呼吸による脳内ホルモンの分泌の効果もあるし

少しずつ、できる事が増えていく喜びも。

 

 

今の時代は、インターネットでいろんな情報を取れるので

私の現役の頃と違って、恵まれていると思います。

プロの方がいろんなコツなど発信されているし、演奏動画も見れる。

 

 

発表会はもうすくですが

終わってからも、一人の練習は続けようと思います。

せっかくカンが戻って来たので( *´艸`)