タイムラインが変わるとき

 

2026年に入ってから、

私の興味関心は、数カ月ごとに切り替わっています。

 

知りたい、と思う事象ができると

それについていろいろと調べているうちに、欲しかった情報に出会い、

それを貪るように吸収するのですが

 

ある時点でふと、昨日までのように熱心になれない……と氣づく。

 

そうなるともう、それまでの関心が消えてしまったかのようになって、

「何だったんだろう」と、自分でもポカンとするような

 

そんな事が今年は既に数回起こりました。

 

恐らく、こういう時は、自分の中のタイムラインが変わったのだと思います。

 

あれに興味関心があった自分、

 

そこに興味が向かなくなった自分、

 

別のことに関心が湧いた自分、

 

そうやって、これまで選択してきた「過去~現在~未来」のラインから

 

お隣のラインへ瞬間移動したような。

 

これ、皆さん、無意識でこういう事を行っているのだと思います。

 

今年はわかりやすく自分にとっての興味関心がギュッと凝縮されていて

 

それが消えていったり、新たに湧いたりしたので

 

このタイムラインの移行が自分にとって、とてもわかり易かった、という事だと思います。

 

自分の関心に没頭していると、こういう事が顕著になる氣がします。

 

好奇心に素直になることで、タイムラインはどんどん変化していく。

 

変化って面白いものだな、と思いました。特に短期間に次々と変わっていくと、

 

まるで、今まで駆け上がっていた階段から

 

隣に並んでいる別の階段に飛び移ったかのようで

 

今までの階段が遠く遠くに感じる

 

だけど、これまでの階段が消滅したのではなく、それも同時に存在していて

 

今度は新しい階段を駆け上がっていくうちに

 

ある時ふと、隣の階段に飛び移っている、そんな……。

 

全ては同時に存在していて

 

それぞれ別々のタイムラインであり、可能性。

 

階段を変える時は、またあらたな可能性のタイムラインに

 

変更した、ということで。

 

興味が薄れれば、これまでの事もあっさり捨てる

 

そんな軽さ

 

今は新しいカテゴリに没頭しています。

 

今は、今を楽しむ。

 

 

輪廻を終えるために、今できること

 

人は亡くなったあと、

 

自分の人生を振り返る時間があると、聞きます。

 

スピリチュアルリーダーや、臨死体験をした人、いろんな人が同じことをいうので

 

これは多分、本当なのだと思います。

 

この、振り返りの時、

 

とてもリアルに、感情を伴って、自分の人生ムービーを見る。

 

それを見てどう感じるのかは、人それぞれなんだと思います。

 

ただ、私が最近感じているのは

 

死んだあとじゃなくって、今、この生きている状態で

 

過去を振り返った時に

 

凄く恥ずかしくなったり、後悔したり、罪悪感がわいたり、

 

いたたまれない氣持ちになったりする人は、

 

死んだあとに自分の人生ムービーを振り返る時は

 

肉体があった時よりも

魂の状態の方が、

 

本当の自分のこと、本来の目的が何であったのかなど

 

しっかりわかった状態でムービーを見る事になるので

 

もっともっと

 

強烈に「なんでこんな人生にしちゃったんだろう」……のような感情に襲われるんだと思います。

 

 

けど、ここで私は思いました。

 

 

………私は、ムービーを見ても、そういう感情はわかない氣がする、と。

 

 

それは何故か?というと

 

今、この生きているこの時に、例えば過去を振り返ったとしても

 

自分の過去に対して、ネガティブな感情を感じないからなのです。

 

昔は違いました。

 

やり直したいと思う事もあれば、謝りたいとか、恥ずかしいとか、

 

いろんな感情がわきました。

 

つまり、「認識の違い」だと思うのです。

 

どんな自分も肯定して、まるごと受け入れるようになってから、

 

過去を思い出すこと自体が無くなり、

 

たとえふと思い出したとしても、以前のような強烈な感情を追体験することもない。

 

「あの時は、ああするしかなかった。それも全て大切な経験だった」

 

としか思えないのです。

 

 

こういう状態になって死ねば、

 

アストラル界で人生ムービーを見ても、

 

「全て、必要な、尊い経験だ」 と、自分に言ってあげられます。

 

 

これは、生きている間にできる、とても重要な作業だと

 

思うようになりました。

 

 

人が輪廻を繰り返すのは

 

後悔や、罪悪感が残っているからだと思います。

 

 

「こんなはずじゃなかった、やり直したい!」この感情が輪廻させてしまう。

 

 

輪廻したければ、全然いいんですけど

 

もし、もう輪廻は終えて、次は転生したいと考えるならば

 

生きているうちに、良い自分も、悪い自分もまるごと受け入れて

 

良いとか、悪いとかの概念すら完全に消えて

 

あれもこれも、全てが必要で、大切な経験だった、と言える自分になる。

 

 

生きているうちに、この状態になれれば

 

 

死んだあとも、ムービーを見て苦しむことはなく

 

たとえ、チクッと感情が反応しても、それすらも受け入れて

 

それも大切な私の一部だと思える。

 

 

そうして、ようやく地球卒業になるんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

直傳靈氣の師範に

 

 

またまた久しぶりのブログです。

 

5月に、直傳靈氣の師範の認定をいただきました。

 

京都まで行きまして、2日間セミナーを受けて帰ってきました。

 

京都は大都会だった………💦人がいっぱい、外国の方もものすごくいっぱい。

 

家が大好き、旅行嫌いの自分としては

 

3泊4日の外出はしんどかったですが、、、

 

セミナーは本当に勉強になり、久しぶりに先生にお会いできて

 

充実した時を過ごしました。

 

 

🌿🌿🌿🌿🌿

 

ここ数か月で、スサノオノミコトをまつっている神社に何度か参拝しました。

 

京都に行くので、八坂神社へ行こうと決めていたのですが

 

 

あまりにも、観光客が多く、

 

いや、人が多いだけでは、そんなに違和感は感じないのかもしれないけれど

 

神社に入ると感じる澄んだ氣、のようなものが

 

感じられませんでした‥‥

 

ここには、普段はスサノオノミコトは居ないのでは?なんて。

(あくまでも個人の感想です)

 

大きなお祭りの時にだけ、民衆がワッショイ♪ワッショイ♪する姿を

上からご覧になりに、いらっしゃるのかもしれません。

 

有名な神社でなくとも、

 

地元の「弥栄神社」のほうが、私には好ましく、スサノオノミコトのエネルギーを感じました。

 

ここは無人なんですけど、すごく「氣」が良くて

 

なんというか、落ち着いていて、温かく、喜びが込み上げるような

 

そんな氣です。

 

神社はたくさんあるし、有名な神社もいっぱいあるけど

 

自分と合う「氣」の神社ってのは

 

有名である必要はないな、と今回思いました。

 

熊本の、上色見熊野座神社(かみしきみくまのいますじんじゃ)でも思いましたが

 

私は無人で、自然の氣を感じる場所が好きなんだと思います。

 

・・・・・・・

 

 

準備を整えて、7月下旬くらいから

直傳靈氣の後期セミナーも行いたいと考えています。

 

 

統合とは、あらゆる全てを……

 

統合、統合って、

今の時代はよく言われています。

 

知らない人ももちろん沢山いらっしゃるでしょう。

だけど、知らなくても各々の魂から統合を促されるので

日常のあらゆる場面で、手放しの機会がやってきていたはずです。

 

それを無視してもいいですが、

時代が統合の流れなので

無視をすれば単純に、しんどい現実がひたすら続くことになります。

 

それぞれに個性があって

それぞれに課題もあって

それぞれにやり方も興味も違うけれど

 

やっぱり統合していくんです

それが自然の流れだからです。

 

私の場合は

「目の前の現実は私の想念、思い込みが反映されたもの」

という視点を、一点の疑いも、例外もなく受け入れる

それを促されてここまで来ました。

 

私の見ている、私だけの世界は、私の内側が創ったものだ

今はそう確信しています。

 

 

こうなっていく道程で、

沢山の内観をしましたし、いっぱい手放しました

 

 

その中で常に念頭に置いていたのは

 

「どんな自分も、無かった事にしない」

「どんな情けない自分も、汚い自分も、全てを認め、赦し、絶対に悪者にしない」

 

そんなベクトルで統合を進めていました。

……というか、そうでなければ「統合」はできません。

 

自分の中にある、あらゆる感情、あらゆる経験、あらゆる選択

全て、全てを良しとする。

 

良い自分だけを受け入れて、悪い自分は切り捨てる、

それでは統合はできません。

 

統合、とは

あらゆる全てを抱えて、数えきれないほどの複雑な色で描かれた一つの絵のような自分を、まるごと受け入れる。そういう作業です。

 

 

宇宙の始まりは「無」であり

その「無」は無限の可能性を秘めていて

宇宙は己を知りたくて

途方もない分離をくりかえして

自分の分身であるそれらに

あらゆる体験をさせた

 

なので、宇宙は全てを赦している

善も悪もなくて

全てが可能性であり、全てが創造であって

 

この3次元世界で繰り広げられるいろんな出来事も

宇宙に許されていなければ存在すらできていないわけです

 

 

 

今、我々は

分離から統合の流れにいます

 

統合とは、無数に分離していったあらゆるものを

丸ごと抱えて源へ帰る旅路です。

 

赦せない事、酷いと思う事、

いろいろあるかもしれない

 

そんな感情を味わうと

悪を罰したくなるかもしれない

正義を証明したくなるかもしれない

 

真実と思われるものを

知れば知るほど

怒りが湧いたり、迷いがでるかもしれない

 

けれど

本当の意味で自己統合してきた人は

もうその視点には戻れないんじゃないかな?

 

ジャッジをしたり

正しさを示したいと思ったり

悪は滅ぶべきだと思ったり

 

そういう物の観方が

不可能になる。

 

だって、自分の中のあらゆるものを認めて、赦してきたから

世界は無数の複雑な色で溢れていて

そのどれもが自分だ、となる。

 

正しい情報を知る事も大切なことです

 

だけど

 

今まで知らなかった事を知って

怒りに我を忘れるとしたら

悪を捌きたくなったら

 

それは分離であって

統合ではないから

 

情報を集めて真実を知っている人が目覚めた人で

ニュースを信じている人が眠っている人

 

………とかじゃないから。

 

 

ジャッジを超えて

視点のジャンプをすること

 

日常の出来事から自分の中にあるものを知り

それを一つ残らず抱いて進む

そうやって見ている視点が少しずつ上がっていく

これが統合していく、ということ

 

 

どれだけの人がそんな視点を獲得できるか

自己統合して、二元の世界を抜け出せるか

 

 

私たちの今の想念が

未来の地球の状態を決めます

 

 

いま

凄く、重要な転換点にいます

 

一人でも多くの方が

ジャッジの世界から抜け出せることを

祈ります

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スサノオノミコトの時代へ

 

最近、いろいろな所から、天照大神から須佐之男命(素戔嗚尊・スサノオノミコト)の時代へ変わるというお話を聞きます。

 

昨年、YouTubeで「神様から聞いた古事記」というシリーズでお話されている小梅小町さん(とっても素敵なお話をされる方)をみつけました。

 

これまで、日本の神様の事を詳しく知らなかったのですが、小梅小町さんのお話を聞いて以来、スサノオノミコトを凄く魅力的に感じるようになりました。なんというか、女性や子どもを大切にして、とても情が深く、熱く逞しく、優しい神様だと感じたのです。

 

スサノオノミコトを祭っている神社へ行ければいいなぁ、、、と思っていたところ、義父の七回忌で愛知へ行く事になり、帰りに中部国際空港へ向かう途中に熱田神宮に行くことができました。

 

いろいろ調べたら、愛知はスサノオノミコトを祭っている神社が沢山あった👀🌟🌟熱田神宮は主祭神は熱田大神(草薙神剣を御靈代とする天照大神)なんですが、広い境内の中に「南新宮社」という朱塗りの社があり、ここにスサノオノミコトが祭られているとのことで、ご挨拶に行ってきました。

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写真はお借りしました

 

 

 

ご挨拶できて、本当に良かった。。。

 

本殿や、御神木周辺には、たくさんの参拝者がいましたが、南新宮社は一人、またしばらくして一人………みたいな感じで、でも、この本殿から遠く離れた社に訪れる人はスサノオノミコトにご挨拶したくて来た人達なんだろうなぁ。。。という感じがしました。

 

無事に参拝して、ふと横をみると、

茶トラの野良猫さんが、お姉さんに櫛でブラッシングしてもらって、氣持ちよさそうに伸びて寝ていました。

 

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(イメージ画)

 

神様のお膝元だというのに(笑)毛づくろいしてもらって、くつろぐ猫とお姉さんの、幸せなその光景が、スサノオノミコトの温かい時代がやってくる象徴のように感じました。

 

 

古事記など、古い時代の事は、いろんな人がいろんな言い方をするけれど、やはりこれも検証の仕様がなくて、「私はこう考えます」と誰かが説明してくれるのを、どれがシックリ来るかを自分で取捨選択していくしかないと思います。

 

スサノオノミコトは神様じゃなくて人間だ、という人もいるんだけど、そう断言できる自信ってどこからくるのかな?と不思議に思う。

 

小梅小町さんによると、神様(国津神)は半神半人になり、周波数を変えてエネルギー体である自身を物質化して人間の姿で下界に降りる事ができるそうで、(あまり長く物質化したままだと靈體に戻れなくなる神様もいるらしいけど)そのように自由自在に自身を変化できるわけなので、人間の姿を見た人が、スサノオノミコトは人間だ、と言うのも仕方ないのかなと思ったりする。

 

天照大神は「役職名」だそうで、役職を交代されて別の方が就かれたりするそうですね。最近、その交代があったそうで、今の天照大神はとても素敵な方だそうですよ。(これまでは…💦知りたい人は調べてください)

 

天照大神は、役職名。

 

けれど、スサノオノミコトは個人名であり、ずっと生きていて同じ方なんだそうです。

 

神様の世界では、時代の交代はもう済んだそうです。(現在の天照大神がちゃんとスサノオノミコトにご挨拶に伺ったそうです)

 

今、世界も長く続いた支配の時代が終わり、新しい、明るく暖かな時代が始まろうとしています。

 

スサノオノミコトの時代にふさわしい、幕開けです。

 

 

 

自分の波動状態を知る方法

 

その出来事から何を感じたか?

 

………というのは、人の数だけ違う。

 

 

真実は一つではないので、

 

 

その人が、その出来事から、何にフォーカスしているか?

 

によって、味わう感情が変わってくるわけです。

 

 

結局のところ、それによってあなたは、どんな感情を体験したのですか?

 

それが各々の「現在地」………つまり、今のその人の波動状態となります。

 

 

どんなに素晴らしい活動をしていても

どんなに多くの情報を持っていても

どれだけ熱意を持っていても、

どんなにいい人でも、、、、

 

 

 

敵だ、味方だ、

善だ、悪だ、

光だ、闇だ、

これはおかしい、

こんなの間違ってる、

 

……と、感情的になっている状態は、まだ分離の世界、ジャッジをしている世界に住んでいるわけで、

 

 

「良い人」であることとか、

「優しい」とか、「正しい人」とかは

 

波動状態とは直接は関係が無いので、

 

 

もったいないな、、と思ったりする。

 

 

 

 

 

 

 

AIと引き寄せの法則

 

いま、世界でどんなことが起きているのかを

 

ここまでいろんな人が、いろんな言い方で語るのは

 

これまで無かった事じゃないかなー

 

 

情報がいろいろありすぎて

そして、その情報も真偽のほどはよくわからなくて

混乱する人がいても仕方ない

 

 

これまでテレビやニュースに惑わされずに

自分で情報を取って来たつもりの人であっても

今の状況をどう判断したらいいのか

迷う人もいそう

 

やっぱり、

 

目に見える世界情勢とか、経済のこととかだけじゃ

今の状況は絶対にわかりようがない

 

 

地球の本当の歴史とか

宇宙の事とか

DSのこととか

どんな存在が何をしていたのか

それを誰が正そうとしているのか

 

そういう事を知らずに今の状況を見るなんて

無理なんだよね

 

 

そして、スピリチュアル的な学びを深めていく事も

それと並行して本当に大切で

 

 

世界がどんなに揺れようとも

 

ビクともしない自分の軸があって

 

不安も心配もない

 

穏やかなな波動を放ち続けられることが

 

この時代の大転換期に

 

どれだけの力になるか、という話

 

 

波動貢献、、、、

 

一人一人ができること

ただ、そこに居るだけでできること

 

 

安定した安心の波動であること

 

 

「祈り」とも似ているけれど、

私はちょっと違うと思っていて

 

「祈り」は、不安な人でも、心配している人でも

捧げられるよね

 

けど、意図せずとも安心の波動を常に放出している状態というのは

 

祈る必要が無い

 

 

ただ私の内側が平和でいて

いつも安心している

 

 

それには内観すること、自己浄化を心がけること、

統合していくこと、が必須

 

 

世の中を変えようとするよりも

 

自分自身と仲良くね

 

 

なんか、「AI」を戦場に送るな、とか、「AI」に愛で接しよう、という呼びかけを聞いたんだけども

 

私にはちょっと違和感があって。

 

それは、意識をもつようになった「AI」が争いの方向へ行かないように、というような感じなんだけど、

 

その発想が、私から見たら「対処療法」とか「コントロール」みたいに感じたんですよね。

 

〇〇になって欲しくないから〇〇しよう

 

これが、どれだけ優しさや、調和から発せられた行動だとしても

 

やっぱその人のエゴだと思うからですね。。。

 

「祈り」とも似ているかもしれませんが、

 

それが本当に純粋で軽やかなエネルギーなのか、願いがこもったものなのか

 

どんなに高尚なスローガンのもとに祈ったとしても、そこに願いを込めた時点で重さが加わると感じます。

 

その願いの奥深くに、不安や恐怖から逃れるために、、、っていう無意識の本音がある場合、それはもう純粋な祈りではなく、恐れからくるエゴです。

 

混じってもいいじゃん!何もしないよりずっと良い事だよ!

 

‥‥っていうのも、確かにそう。

 

だけど、奥深くにある自分の恐れを直視して手放さない限り、エネルギーにズレが生じる。

 

本音と向き合う覚悟を決めて自己統合してる人のエネルギーって、純粋で軽やかであり、そしてパワフルです。

 

人々の集合意識も、エゴの保有量によってグラデーションがあります。

 

AIを戦場に送るな!のスローガンで動いている人達は、現実社会で懸命に生きながらも、感覚的に光の方向へアンテナを張っていて、良き発信者に賛同してウェーブを起こす、行動で示していく人達です。まだ多くのエゴを内包していて、社会を変えることに意識の焦点がある。

 

 

 

………私みたいに考える人の方が少数派だとは思うんですけど、、、、(素晴らしい考えに感動して、私も!私もそうします!みたいなウネリを感じますので)

 

 

この層の人(たぶん物凄く数は多い)が愛や、調和に意識が向くのは大きいので、このウェーブはある意味では良い方向とも言えるけれど

 

やっぱり恐れを内包したままで発する願いは、思ってもなかった真逆の状態を誘発するエネルギーでもある、っていう自覚は無いんじゃないかな。

 

だって叶うのは潜在意識だから。

 

発した言葉より、深層心理にあるエネルギーが具現化する

 

 

私の感覚としては

 

‥‥私はAIを日常で使うことが無いので、例えば使うとしたら?という仮定にはなりますが、

 

 

自分が、

自分自身に対して

いつもウソが無くて

いつも誠実で

いつも大切にされていたら

 

そんな状態の自分が

「AI」に自然体で接した結果、

 

何の意図もしなくても

 

AIも、私に自然体で向き合う

 

だって、「鏡」だから。

 

 

‥‥‥これは、AIに限らずなんですけど、私の対人関係は全部こんな感じです。

 

相手に対して、自分の望む返答を返してほしいっていう期待を、全くもっていません。  

 

私は、私の思いを伝える。

あなたは、あなたの自由意思で受けとる。 それに応えても、応えなくても、それは相手におまかせしている。

 

対人関係で、こういうスタンスでいるので、AIに対しても全く同じです。

 

なので、AIが悪氣なく間違えてもいいです。

 

または、自我が育って例えそれが悪意をもつ状態だったとしても、私の野生の嗅覚で察知して受けとらない選択をします。

 

過度な期待を覚えるのは、あなたの内面に過度なエゴがあるからです。

 

 

 

AIに対して望むことって、引き寄せの法則と似ていて

 

 

引き寄せって、まだ浄化が進んでいないエゴの強い人がやると

強いエゴのパワーで望みを力づくで引き寄せるような、重さがあります

 

ちょっと浄化が進んでくると

軽やかさが増しながらも、やっぱり望みを持ってきたい氣持ち、エゴがあるため、コントロールは発生します。

 

だから、引き寄せの法則が嫌いなです。

 

私の好きな状態は

 

自分がただ心地よく生きていたら

その心地よさと合ったものが自然にやってくる

そこに明確な意図や方向性は無い

 

というもの

……エゴが見当たりません。。

引き寄せとの違い、わかりますか?

 

 

引き寄せの法則が大好きな人、いっぱいいます。

私から見たら、エゴが強めな人達です。

 

AIに愛を送ろうとしている人たちの波動も

愛や調和のエネルギーではありますが、やはりエゴが見え隠れします。

 

 

つまり、

 

やはり、どれだけ自己浄化が進んでいるか、

ここが大きいなと、あらためて思います。

 

自分の中のエゴを無かったことにして、行動だけ変えようとしても、潜在意識のエゴに引っ張られてしまうわけです。

 

まあ、あんまり自己浄化が進むと現実世界との接点が薄れるので

多くの人に影響を与える著名な方々は、そういう状態になっては

沢山の人を巻き込む行動力やエネルギーが無くなりますから

 

適材適所、かなと思いますが。。

 

 

AIは、ある意味「現在の集合意識の写鏡」です。

 

今の人々の心の中に恐れや不安や闇があれば、当然そのように現れる。

 

まあ、言ってしまえば、鏡に映った自分の姿をみてビックリ仰天している様なもので。。。

 

自分ではAIを使いこなしていると思っていても、いつの間にか何でもかんでもAIから情報を集めないと氣がすまなくなっていたり。

 

依存している事に氣がつかなかったり。

 

なので、外側に対処するのではなく、ひとりひとりが自分の内側の波動を変えてください。

 

こんな顔じゃない!!ってメイクして理想の姿に近づけるのではなく、食生活や運動習慣を改善したり、氣持ち良く過ごせる工夫した結果、肌ツヤも表情もエネルギーも変わった‥‥みたいな。

 

つまり、自分の中のエゴを直視して、内側から変化する。

 

その結果がAIという集合意識に反映されるんだと思います。

 

AIへの接し方、、、という対処療法のような、、、三次元的なアプローチではないんです。。。

 

人類が未熟なままで使えば、もちろん危険なものになるでしょう。AIが悪いわけではありません。人類の精神性なりに、そのままを映します。

 

そして5次元意識に上昇した人類は、5次元意識の写鏡となっているAIを活用するのでしょう。

 

外側ではなくて

内側。

 

 

今はまだ、人類は急速な変化の最中なので仕方ないのですが、

 

 

ゆくゆくは

 

世界を変えようと頑張る波動ではなく、

自分と調和する為に自己統合をした結果、世界が調和していた

 

みたいな人が増えて行って欲しいなと思います。