「頑な」に「思い込んでいた」だけ。

 

 

20数年ぶりに、ファゴットを吹いているのですが、

昔の私は、実は、とっても、とっても、不器用でした。

 

浪人していた頃は一日8時間くらい練習していましたし、音大へ行ってからも、授業に出ている以外は朝から晩まで楽器に触れていましたが、

 

学生の頃は、自分のテクニックの無さや、息の足りなさや、読譜力の無さや、できない事を数え上げればキリがありませんでした。曲の練習に入る前にロングトーンを一時間くらいやってましたから、、、練習量が人一倍多かったのは恐らく、自分は準備運動に時間がかかるタイプなのだと頑なに思い込んでいたからでしょう。

 

長いブランク明けで、今ファゴットを吹いていて

もちろん現役の時のような音が出ているか?と問われればまだまだです。

練習時間だって、今はたったの1時間くらいなものです。

 

 

それでも、実は、昔よりもできている事というか、理解していること、見える事が結構あるのです。

 

レッスンで、何度も何度も何度も「やり直し」になった練習曲も、今の方が吹けているんじゃないだろうか、、、?と思ったりするくらいです。

 

昔の私は、数え上げればキリが無いほどに、自分にダメ出しをしていました。

 

そして、人一倍の練習量だったにも関わらず、テクニック的な事がいつまでも解消できず、完成度の低いエチュードを持っていく事になり、先生からは「お前は練習の質が悪すぎる」「持っているイメージが悪すぎる」と言われていました。私も当時は厳しい先生に対して素直に心を開けず、本当に先生とのやり取りは全然上手く行っていなかったと思います。

 

20数年経ってわかったのは

「不器用だと思っていたのは、私の思い込みだった」ということです。

 

ファゴットは運指が管楽器一難しい楽器ですが、皆は生れながらにテクニックがある、幸運にも指が回るタイプなんだと信じ込んでいました。

 

けれどそれは全然違っていて、超上手い人も、プロの奏者も、難しいパッセージならば何度も何度も地道に練習するんです。リズムを変えて、何パターンも変えて、それを指と脳に覚え込ませる。そいういう事を地道にやっているから次第にテクニックが付いてくる………という、今思えば当たり前の事を、当時は想像できずに、彼らは恵まれた人なんだと信じていました。

 

器用な人と不器用な人の差は、もちろんあります。

でもそれは、昔の私が思っていたほど「絶対的なもの」では無かったようです。

 

頭を柔らかくして、心が素直になって

柔軟な練習、地道に繰り返し、をすれば、必ず誰もができるようになる程度のものだったのです。もちろん、かける時間の長さは人それぞれでしょうが、それでも「絶対にできない、才能がモノを言う」様なものでは無かったです。。。

 

息の長さも、吸い方でだいぶ変わってくることも分かったし、指がもつれなくなってきたから歌う氣持ちが遮断されずに結果フレーズを長く取れるようになった、、、という側面もあります。

 

自分は足りない、自分には持っていない、ずっとそう思いながら、、、あの頃はよくやっていたなーと。それは凄く苦しい思考だったなと、、、思います。

 

 

20年以上、音楽に何も関係ない日々を送っていたのに、ただの何てこと無いこの日常の積み重ねでさえも、実はかなりのお土産を手にしていたんだ……と。ファゴットを手にして感じられた………っていうお話です。

 

若いころやっていたけれど、今はもう辞めちゃった……って事が、みなさんもあるかもしれません。機会があったら是非やってみてください。なんだかとても感慨深くなりますよ。