あらゆるものは、そのままで良いから

 

私は、多分HSPだと思うのですが、割と場の空気のピリつく時とか、その時の相手の精神状態とか、一瞬で感じ取ってしまいます。

 

それは、みんなそうなんだと思っていたのですが、必ずしもそうではなく、私が人の心理に敏感に反応しすぎていたらしい、と大人になってわかりました。

 

今でこそ、HSP(繊細さん)などと言われていますが、長年ただただ生き辛さを抱えていたような気がします。

 

そんな風に、人の感情に敏感であるが故に「とにかく、この場が和やかであるように」その一心で、険悪になりそうな空気を察知すれば素早くその人が心が和むような言葉がけをしたり、「ああ、それ以上言ったらマズイことになる」と感じれば直ぐさま、全く関係の無い質問をして高まるエネルギーをそらしたり、そんな風に場を調整して生きてきた気がします。

 

とにかく、私にとっては、誰かの苦しさや、恥ずかしさや、怒りや、悲しみなどを感知するといたたまれなくなるので、「逸らす」「和ませる」「調律する」をしていました。なので、ものすごく疲労が蓄積していました(昔の話です)

 

また、誰かが私の行動に対して「困ったり」「期待が外れたり」「ガッカリしたり」されると、もの凄く傷ついていて、どうすれば良かったのだろう……やり直したい……消えてしまいたい……のように胸が苦しくなりました。

 

5年前から、私の意識の覚醒が始まりましたが、初期の頃はそういう他人の感情にヤラれて精神が波打っていたと思います。

 

その頃から、自分の本当の氣持ちを受け入れる、ご自愛することを何よりも優先する生き方にシフトしました。

 

 

最初は慣れていませんから(むしろ逆に人の顔色に右往左往して生きてきた)ご自愛活動もえっちらおっちら一歩一歩という感じで、人から言われてようやく「え?これって我慢してた?」と気づくくらいでした。

 

ヨチヨチ歩きのご自愛さんは、まさに生まれ直して自分の氣持ちを優先することを始めました。ご自愛への道のりは長かった…それたけ自分の感情を虐げて生きてきたってことです。

 

しかし、日常の様々なネガティブ感情が、私に過去の我慢してきた記憶を知らせてくれました。

 

カッコよくない自分、情けない自分、優しくなんてない自分、ズルい自分、逃げる自分、見たくもない自分をその都度、その都度、全部まるごと何の条件もなく受け入れてきました。

 

そうしているうちに、だんだん「相手の課題は、相手のもの」と思えるようになり始めました。あとから知ったのですが、有名なアドラー心理学の「課題の分離」のいう考え方があった様です。

 

出来事を境界線として、相手の課題は相手のもの、私は自分の課題だけに対峙すれば良い、という感じでしょうか。 

 

しかし、アドラー心理学は私にとってはやはり三次元的というか、自分へのエゴのコントロールを感じる部分があり、ちょっと方向性が私の好みではないです。

 

ヨチヨチ歩きのご自愛街道を進んでいた頃は、精神的にヤラれた…💦という場面では、ネガティブ寄りになりそうになった場合に「相手の課題まで勝手に引き受けない!!」と、意識して思おうとしていた節がありました。

 

 

しかし。

 

 

つい、最近気づいたのですが。。。

 

 

もちろん、HSP的な特徴はあるので、以前と同じく人の感情はわかるんですが……

 

 

意図せずとも

相手の課題を自分に取り込んでもいなければ、

そもそもそれ以前に

相手がどんな感情になっていようとも、その事によって自分の感情が揺れていない事に気づいたのです…!!ビックリ。

 

 

相手が怒りを感じようとも

相手が悲しんでいても

相手がどんな感情に苛まれていても

 

 

それはそれ、

何とも感じていない……。

 

 

 

そうなってみて初めてわかりました。

 

 

なぜ、そう思えたのか?というと。

 

 

私が、私の感じるあらゆる感情に対して、良いとか悪いとかの区分けもしていないし、全ての感情にそのままで良し!としているので、

 

相手がどんな感情をもっても、「可哀想」だとか「申し訳ない」とか、感じないのです。

 

そもそも可愛そうな人などこの世に存在しません。

 

相手がどう感じているのか、直接テレパシーのようにやってきても、もう揺れることも無く、刺さることもなく、

 

ああ、そういう感情なんだな……

いろんな過去の経験、バックボーンがあっての、今の感情なんだな……

それに良いも悪いも無いな……

それをどう感じていくのかも 

その人の人生だな……

 

 

という感じで。。。

 

ですから

HSPだから、人の感情に敏感で、感情の変化にいちいち振られて疲れ果てる(もちろんわかりますけれども)のではなくて、その特性を有したまま、ラクに生きることができます。

 

テレパシーのように伝わってしまっても、苦しくなく、それが自分の人生を豊かにしていくパーツであったりもするのです。

 

自分のあらゆる感情に、全てOKを出す。

 

 

これが、すべての人が幸せを感じて生きる鍵🔑であると、確信しています。

 

 

そして、その鍵を使うかどうかも、本人に委ねられています………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空(くう)は、いまここに

 

毎日、YouTubeの動画を見ながら筋トレをするようになって、もう一か月以上になりました。肉体の調子は、今までの人生の中で味わった事の無いくらい好調かもしれません。

 

筋トレしている人で、暗い顔をした人ってあまり居ないイメージです。身体が強くなると、気持ちも強くなるのでは……と感じます。

 

それと同じくらいの頃から、掃除機をかけるのをやめて、毎朝家じゅうを雑巾がけするようにしました。これも、あきらかに掃除機だけの時より、床から立ち上る「氣」のようなものが変わりますし、床がキュッとなると足裏も喜びます。

 

筋トレも、雑巾がけも、やりだすと心地よさがわかるので、ちょっと今日は忙しくて時間が……💦と思ったとしても、やっぱりやって氣持ち良さを感じたいので、身体が動きます。そうすると、雑巾がけなんてほんの20分で終わるんです。ああ、やっぱりやって良かった、と。。。そうしていくうちに習慣となりました。

 

また、以前は水分と言えば「緑茶」「紅茶」「ハーブティー」などが主でしたが、最近は「水」です。もちろん、他のものも飲むのですが、90%は水なんじゃないかな…。

 

で、毎日いろいろと忙しかったりすると思うのですが、バタバタしている時に「水が飲みたい」って思ったとするじゃないですか。。

 

例えば、お米を研いでいる最中に「喉乾いた…水飲みたい」って。そうすると、以前は「キリが悪いのでお米を研ぎ終えてから飲もう」となっていました。

 

でも、そう思っていたら、次のやる事が出てきたりして、そうしているうちに「水が飲みたかったことを忘れてしまう」とう事象が起きたりしませんか?

 

私は、最近は意識して、とにかく何をしている最中でも「水飲みたい」と身体の声が聞こえたら「即座に水を飲む」ことにしているのです。

 

これは、何故かというと、せっかくの身体の声を蔑ろにしたくないからなのです。身体の声って、頭の声に消されてしまいがちだと思ったのです。(思考の都合で後回しにされる、というか)

 

自分としては、「思考」「感情」「肉体」は、やはり仲良しである事が心地よいと思っていて、「思考の声」は誰しも常に頭の中で響いているので聞き取りやすいじゃないですか?

 

けど、「肉体の声」は思考の都合で我慢を強いられる事が多いし「感情の声」も、これも思考によって押さえつけられる事が多い。

 

その状況に対して、最近は「それは、あまり、心地よくない」と感じているので、わかりやすい最初の一歩と言う事で、「どんな最中でも、水が飲みたいときには、飲む」を心がけています。

 

そうしていくうちに、ちょっと肉体と仲良しになってきた、というか。。。

 

先日は、娘を駅まで送るのに車の運転をしていたのですが、意識としては「電車に間に合うこと」が最優先事項であって、集中した気持ちで運転していたのです。で、右折する時に、それまで視界に入っていなかったスピードで自転車が通過していきました。すぐにわかってブレーキを踏んだので、危ない状況では全く無かったのですが、

 

流石に、ちょっとドキドキした……(;'∀')💦

 

のです。でも、次の瞬間には思考はもう「駅に向かう」事に全集中していましたので、平然と通常運転に戻りました。

 

ですが、心臓がかなり大きく脈打ったままだったのです……٩( ''ω'' )و

 

これは、自転車に「ドキッ!!」とした事実があって、いくら思考が次の瞬間に「もう安全だ、さあ運転、運転!」と切り替えたとしても、肉体としては緊張によって「鼓動が早まった」わけですから、急に正常の脈み戻るという事にはならないんだ、と。

 

戻る時は、徐々に、ゆっくり、戻っていくんだ。。。肉体の安全の為に。。

 

それが、自分の肉体で感じられた事が、めちゃめちゃ嬉しくてですね。「ああ、直ぐに水を飲むようにして良かったーー」と思ったのでした。

 

身体って、宿主を健全に生かすために、全力で生命活動を行っているんだ、って。思考がどんなに無茶ぶりをしようが、感情がどんなに荒れようが、とにかく、生きる為の最善の活動を、常に、常に、してくれているんだ………って、あらためて感じたのです。

 

身体、、、ありがとう。

 

「思考・感情・肉体」全てが大切で、全てが自分。それぞれが、思い合っているのが理想の状態ですよね。

 

 

でも、ほとんどの人が、これら3つのバランスは同じではないはず。

 

私の場合は、無意識でいれば「思考優位」です。だから「肉体の要求を聞いてあげる」とか、「湧いてきた感情に抗わない」というのは、意識しないと蔑ろにされがちなのです。

 

それが、最近は「思考」がとっても大人しいですね(笑)脳内で言葉が展開されない時間もかなり長いし、一日の内に何度か、完全なる「無……」になる時があります。

 

そういう時は、

視力は風景を捉えているけど、凝視はしていない。

自然の音がよりクリアに聞こえてくるけれど、聞いているわけではない。

風が頬にあたる感触をただ感じる……

思考が無く、

ただ「空(くう)」になり

「私」は無く、

存在が風景に溶けている

 

ような感覚になります。

 

「今」だけがある、これが「いまここ」だなとわかる

 

この感覚を知ると、

本当に人って、何もしなくてもいいんだなーって思います。

ただ、生きているだけで、それだけでいいんだな、って思います。

 

 

 

一つの終わり

 

今日は、心に引っかかっていた荷物を一つ、降ろしました。

 

 

……って、大げさな書き方をしましたが、本日「陶芸教室」を辞めてきた…ってだけなのですが💦

 

自分の中の「違和感」をそのままにできない流れなもので、(湧いてきた感情をごまかしたり、我慢したりが、もう、できないってこと)「もう、無理だな……」と心の中に種ができたら、それが消えることは無いので、行動に移すしかありません。

 

それでも、今回は私にしては珍しく、八月に体調を崩したりした事もあり、ちょっと時間がかかりましたけど……。

 

去年通っていた教室は、制作品数に制限があったり、時間が短かったりして、そういう自由度が無いのがネックで、楽しめない理由はそこかな?と思っていました。

 

なので、こんどは作品に制限の無い教室を選んだのです。……けど、今回は逆にいっぱい作品を作らなきゃいけない目標値があった(笑)

 

4月から通うようになったんですが、その頃から直傳靈氣が忙しくなってきて、思うように時間が取れなくなりました。。。

 

陶芸って、形を作って➡削って➡素焼きして➡釉薬かけて➡本焼き みたいに工程があり、土は固くなるから、ちゃんとこまめに通って作品にしていかねばならんのです。だから、作り続けるかぎり、休みが無いっていうか。

 

………それが、苦痛になってきたのです(正直にいうと)

 

 

作品に制限をかけられることも

たくさん作るノルマを課せられることも

 

どっちも、

私にとっては「自由度」が無いという点では同じだった。

……みたいです。

 

 

 

 

 

 

「余白」

 

余白を感じられない事が、もう……無理、っていう

まあ、普通に生きている人間としては、ワガママなのかもしれないですが

いやー、本当に、我慢が効かない人になったもんだ、と。

この5年の変化を感じる。

 

 

……とうか、これだけ自分の感情に抗えないというのに、

よく5年前までは我慢できたもんだ……と、昔の自分の窮屈さを思う…(-_-;)

苦しかっただろうな、、、って。

 

 

 

余白が好きなんだ

何もないことが心地いいんだ

 

 

……って、どうしようもなく、思う。

そこに、あらがえない。。。

 

療術所のキャラクターのとおり「ナマケモノ

 

 

寝るの好きだし……

昼寝しても、夜もしっかり寝れるし。

夜寝る時に毎晩「しあわせーーー」って思う。

眠い時に寝れないと

機嫌悪くなるし(-_-;)

家族のだれよりも早く寝る( ̄▽ ̄;)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

 

心のままに生きると、

こうやって、私のように、「あ、もう無理」って辞めちゃったりする。

 

その時、「でも、迷惑かけるから」とか、「嫌われたくない」とか、「もうちょっと頑張れば何とかできるかも」とか、思うかもしれないけど……

 

( ↑ 以前の私はそうでした)

 

「いい人」で居たかったし、「嫌われたくなかった」し、「穏便に済ませたかった」けれど、それって、先を想像して勝手に危険を回避しているだけなのでは……?

 

しかも、実はそれも「勝手な想像」でしかないので、そもそも危険でも無いかもしれない事に対して、必死で対策を練ったり、怖くて逃げたりしているわけです。

 

自分の内側にある、期待とか、不安とかが、未来に対して誇大妄想をして、右往左往している状態です。

 

本当に嫌われるかどうかなんて、わからない

 

自分の正直を伝えずに勝手に我慢して、疲れたり、不機嫌になるのは、誰かの為になるの?

 

素直な気持ちを伝えてぶつかったとしても、じゃあ伝えなければ平穏なのか?

 

……いや、そんなはずは無い。言葉にする以前に「感情が湧いた時点でエネルギーが発現する」言葉にしなければ、それを周りの人が氣づかないだなんて、それこそ周囲の人を見くびっているというものだ。

 

………もう、湧いてきた違和感ってのは、蓋をして押し込めたって消えやしないんです。自分に降参して、素直に伝えることをオススメします。

 

長い間、我慢をして生きてきた人は、最初はなかなか勇気が出せないと思うけど、その一歩を踏み出せた人は、だんだん悩む時間が短くなって、即行動に移せるようになりますから。そうやって、徐々に……

 

自分自身と仲良し

 

になっていく。

自分に素直に生きるって、シンプルだけどとっても強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

COCOIROレイキの「ようこさん」来院💛

 

昨日、私のレイキティーチャーでもある、白石ようこさんが、直傳靈氣のモニターを受けに来てくださいました。

 

ようこさんのご感想などを、昨日のブログに綴って下さっています(ようこさん、ありがとう☘)

直傳靈氣を受けてきました | レイキ伝授とヒーリング【*COCOIRO*】大分市坂ノ市 (ameblo.jp)

 

 

 

 

白石ようこさんの元で、私は西洋レイキの伝授を受けました。

 

西洋レイキのティーチャーも、いろいろな考えの方がおられますが、ようこさんは、日本の伝統的な考えや、臼井先生の教えの深いところも、私達に伝えてくれました。

 

私はその後、直傳靈氣を選びましたが、そもそもレイキの入口がようこさんで無かったら、「レイキ」を自然なもの、と捉える事ができたかどうか……(それだけ、本来のものとかけ離れた伝え方も多い、ということです)ようこさんと出会えたのは本当に幸運なことでした。

 

直傳靈氣に進んでからも、ようこさんとの関係はずっと良好のまま、、、これも、ようこさんの懐の深さ。

 

私達は、最初からティーチャーと弟子というよりは、多くを説明しなくても通じ合える、同じ感覚を有した仲間…のような所がありました。本質の話が常にできるっていうか。

 

それでいて、お互いの個性や、得意が違うので、尊敬しあえる、尊重しあえるのです。

 

ようこさんの強味は、「種をまき、成長を楽しむ」ところかな、と思います。「人が好き」っていうのも大きいな。そして、そこに意図が無いから、自然に委ねて成長を見守っている感じですね。それができる人って、なかなかいないんですよ。

 

西洋レイキを学びたい人は、私はようこさんをオススメします。本当に。ちゃんと使えるようになりますし、その為のフォローの場があります。レイキカフェとかですね。定期的にレイキの練習をする学び場を提供してくれること、そこにレイキ仲間が集えること、そういうのもなかなかできる人って居ない氣がします。伝授して終わり……みたいな。レイキカフェがあったから、レイキを実生活に活かしてこれた……って方もいっぱいいると思います。

 

私の強みは、ブログに書いていただけたんですけど、ようこさんからは、ずっと「カウンセリング」と言われていました。私自身が、「そうですか??」と思っていた頃からずっと。「これからは、地に足をつけたスピリチュアル」「スピリチュアルは不思議でもなんでもなく、実生活に活かせてこそ」と。それで「ちかげちゃんは、それができる人」と言われていたかも。今でこそ、「確かに」と自分で思えるようになっていますが、自分では当たり前すぎて氣づけない、自分の良さ……みたいなものは、誰にでもあるんですよね。そこを、伝えあえる仲間がいるって、ありがたいなーと、思います。

 

直傳靈氣を受けた後は、時間が経っても身体も軽く、心も軽やか、とお伝えくださいました。これ、結構、他の方にも言っていただけるのです。身体がラクになって、モチベーションがあがり、仕事が一気に片付いた、なんて方も(笑)嬉しいですよね、本当に。直傳靈氣をやっていて、良かったなって思います。

 

モニターさん、まだまだ募集していますので、氣になられた方はぜひ💛

お待ちしています。

 

 

 

 

 

直傳靈氣モニターさん募集 (※再掲)

 

 

🌟直傳靈氣のモニターさん、まだまだ募集しています (∩´∀`)∩~♥

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ご予約時に「イトオテルミー」か、「直傳靈氣」のどちらかをお選びいただきます。

 

 

 直傳靈氣は、施術人数40名以上時間の累計が120時間を超えるまではモニター価格で行い、その後価格改定があります。

 

 

🌟直傳靈氣の施術(モニター価格)🌟

 (※女性限定/予約制、※対面のみ) 

💙初回に直傳靈氣についての説明と簡単な問診をします(15分程度)

💙エネルギーが全身に回るので、クールダウンを兼ねて施術後にカウンセリングの時間をとります(30分程度)

 💙各3回コース終了後に、施術についてのアンケートにご協力をお願いします。

 

①60分✕3回コース(施術時間60分+カウンセリング30分)・・・8000円

 施術ベッドを使用します。直傳靈氣は、1時間でも、2時間でも施術する場合もあり、60分が決して長いわけではありませんが、うつ伏せ〜仰向けまで、主要箇所に手を当てることができます。病腺を捉えた場合はそこで長く手を置く事になります。ご希望を伺いながら60分でできることをさせていただきます。最後に血液交換法(下記に説明あり)をして終わります。

 

①90分✕3回コース(施術時間90分+カウンセリング30分)・・・12000円

 施術ベッドを使用します。60分コースよりも氣になる病腺に長く手を置くことができます。疲れが溜まっている方、痛みがある方は90分コースをオススメします。60分コースを体験されて「もう少し長かったら良かったな」と思われた方、リピーター様も大歓迎です。血液交換法あり

 

靈氣は、軽い症状や、急性の症状には、一回の施術で改善が見られる場合も多いです。しかし、慢性的な症状は、治癒に時間がかかります。繰り返し、繰り返し、靈氣をすることで、薄皮を一枚一枚剥いでいくように、だんだんと良い状態になってきます。今回は3回コースをご用意させていただいておりますが、状態によってはその後も継続されることもおすすめします。

 

直傳靈氣の一番の特徴は「病腺」

 直傳靈氣は、身体の病腺に対して直に手を当てエネルギーを送る、治療としての靈氣です。人間の身体は自然な状態へ戻ろうとするホメオスタシスがあり、ちゃんと治り方を知っていますから、入ってきた靈氣を利用して、不調の原因となる滞りを解消していくのです。血液交換法は、靈氣をしながら全身をマッサージすることで、血液中の老廃物の代謝を促進する効果が期待できます。

 

 

 

 

 

 

♥これまで通りイトオテルミーの施術も行っています

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テルミーの施術 女性限定(予約制)

4000円/90分

※90分は、入室から退室までの、お着替えを含むおおよその時間です。

※施術時間変更に伴い価格改定ありました。ご了承ください。

 

🌟お得な回数券あります🌟

5回チケット=18000円

10回チケット=33000円

 

 

 お申込みについて

 

⭐️お名前(ふりがな)

⭐️ご住所

⭐️電話番号

⭐️メールアドレス

⭐️ご希望メニューの選択

  ①直傳靈氣 60分✕3回コース

  ②直傳靈氣 90分✕3回コース

  ③イトオテルミー施術 90分

⭐️ご希望日時

(各コースとも初回の日時のみ、ご希望をお知らせください。第三希望日くらいまでご記入いただけると、こちらと予定が合わせやすいですm(_ _)m。)

  

以上を明記の上、メールにてお申込みください。こちらから折り返し返信させていただきます。

 

 

 

 Slothの森療術所大分県大分市
 thermie.sloth☆gmail.com

(☆を@に変えてください)

 
 

 

筋トレは楽しい

 

 

最近、ブログの更新頻度が落ちております……。

理由は単純に書きたい内容が無いからなんですが、とても元気に過ごしています。

 

書きたい内容がある時というのは、考えたいようなテーマがあったり、自分の中で内観が深まる、自問自答するような時なのかもしれません。

 

最近は、毎日YouTubeの動画で筋トレしており(みお部長💛)それが、本当に楽しくてですね、たぶん、二週間弱なんですが毎日やっていて、あきらかに身体が変化しましたし、万年の肩こりまで治りました( *´艸`)!k筋肉は連動していて、他の部位を鍛えたら肩こりが治るという……勉強になるなーと思います。

 

筋トレのおかげで、筋トレしていない普段の姿勢も、意識せずともすごく良くなりました。

 

本当に、みお部長💛に出会えて、本当に本当に良かったです。身体は鍛えれば誰でも変わるんだと、わかりやすく、面白く教えてくれるのです。ストレッチを頑張った自分も偉いし、鏡を見るたびに、日々、確実に、変化が見られて、だんだん自分の身体が好きになってくるのです。

 

精神の変化も、肉体の変化も、コツコツ、ジワジワ進むものですが、精神よりも、肉体の方が、変化が目に見えてわかりやすいですよね。

 

不健康な思考とか、凝り固まった概念とかあったとしたら、悩んだ挙句にスピに全振りするよりも、むしろ筋肉を緩めること、そして鍛える事の方が有効かもしれないですよ。そっちの方が案外早く悩みも解決するんじゃないかと思うくらいです。

 

おかげで、「趣味・内観」「特技・内観」のこの私が、最近全く内観してないですからね。考える事象が起きても、割と早く結論が出るっていうか……。(単に、深い内観に至る出来事が来ていないだけかもしれませんけど💦)

 

とにかく、全ての方に肉体を強くすることをオススメしたいです( *´艸`)

 

 

 

 

 

心身ともにようやく……

 

 

ご無沙汰しています………。

ずっとブログを開いていなかった……。

 

この8月は、体調も良くなかったですし、ぎっくり腰とかもあって、そのうちに氣力もだんだん落ちて来て……な感じでした。

 

「何かをやろう」という楽しい発想が沸いてこないし、雨も長く続いたのもありますけど、8月の後半をもともとお休みにしていて、本当に助かったと思ったくらい、力が湧いてこなかったです。

 

それも、ここにきて抜けてきました。ようやく普通に生活できる!!ような氣力になってきました。

 

これ、氣力が先か?体力が先か?わからないのですけど、、、キッカケはもしかしたら、たまたま上がってきたYouTubeの動画かもしれません。「筋トレ」のユーチューバーさん(笑)

 

私、とってもインドア派で、自然が多くあるところを散歩するくらいしか運動していないかったのですけど、なんとなく、「筋トレ」やってみたんです。そしたら、キツイけど、楽しくて(笑)今週ずっとちょこちょこやっているのです。食生活も変化しました。

 

たった4日くらいなものなのですが、少しずつ身体のラインが変化してきて、ますます楽しくなってきて、1日の中でちょこちょこ筋トレしているのです。こんな自分、初めてです(笑)

 

ムキムキになりたいわけではないのですが、引き締まった健康的な身体になれれば嬉しいです(∩´∀`)∩

 

今回感じたのは、「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」まさに、これです。肉体をないがしろにして、氣力の充実はありえない。

 

それはわかっていたつもりで、だからウォーキングとかしていたのですけど、やっぱり大事なのは「筋力」かもしれない。身体の軸がしっかりしていること、筋肉がしっかり骨格を支えていること、姿勢よくいられること、、、。

 

この1か月、ぜんぜんスピリチュアル寄りな考えに至ることはありませんでした。氣づきも降りてこないので、ブログを更新する頻度も落ちて、普通の人間として生活していました。家の塗装もしたし、友人が泊まりに来る予定で(残念ながら無くなりましたが)大がかりな家の片づけをしたり、外側の掃除をするのと同時に、内側もザワザワする現象も続き、内面のお掃除をしたり……、そんな8月。

 

そして、最後に「肉体の強化」が来たんだなーと、なんとなくブログを書き始めて見えてきたところもあります……。

 

9月は、直傳靈氣の再受講を受けに行ったり、他にも楽しみにしている項目があって、変化変容の大きな月になると思っています。その為の8月だったのかもしれないし、たまたまなのかもしれない。けど、9月に向けて、準備は整ったな!という感覚でいます。

 

直傳靈氣、テルミーの施術でお待たせしてしまっていたお客様、ご迷惑・ご心配をおかけしました。とりあえず、8月30日~9月14日まで療術所を開けていますm(__)m💦良かったら、ご予約お待ちしています。