3か月ぶりに、母にテルミーをかけました。
3か月ぶりになる前は、
母に週に一度テルミーをしていました。
この療術所ができてから、毎週です。
母はとても元気ですが、
腎臓や胆管を、定期的に検査している状態で、
偏頭痛もあります。
それが、毎月の定期健診の時に、看護師さんから
「血液が若いですね( ゚Д゚)!!」
と驚かれたそうなんです。
その場で私に病院から電話をかけてきて、
「そんな事、何年も通っていて初めて言われたのよ。けど、生活は何も変わっていないから、テルミーしか考えられないのよ。」と。
その後の診察で、主治医からも
「全く問題ないね・・(=゚ω゚)ノ」
と言われたそうです。
テルミーをかけて、体感として楽になったとか、
気持ちがいいというのは、すぐに感じられますよね。
けれど、このように数値として現れると、
あらためて嬉しく思ったのです。
母も、テルミーに対する信頼が更に増したようで、楽しそうに毎週通ってくれました。
私は、母の健康と長寿に、自分の手で出来ることがあるのが嬉しく、こうやってずっと母にテルミーをかけられるのは、幸せなことだな・・・と思いながら施術しました。
そして、コロナ騒ぎとなりました。
母はとても怯えており、毎日テレビから情報を得て、細心の注意を払って生活をするようになりました。
そして「今は怖いから、落ち着くまでテルミーに通うのを休むわ」と言いました。
以前の私であれば、「そんな時こそ免疫を上げるためにテルミーをしたらいいよ。」と言っていたと思います。
けれど、そんな言葉は出てきませんでした。
「そうなんだね。また来れる感じになったら来たらいいよ。」と言いました。
このことが、私の中では「シフトしていた」と気づく大きな出来事だった気がします。つまり、「〇〇したほうがいい」「〇〇すべき」のような概念が自分の中に希薄になったと知るキッカケになったのです。ああ、違うエリアに来たな・・・という感じです。
テルミーなど、療術を受ける時は、やはり本人が望んでいる状態でなければ、心地よさを享受できませんし、効果も半減するでしょう。なので、母が自然にまたテルミーを受けたいと思うまで、のんびり待とうと思いました。
3月ころは、母もとても怯えていて、買い物に行くのも最短の時間で、とにかく人と接触したくない、と強く思っているのを感じました。私と会う事もほぼなくなりました。
けれど、それが悲しいとは感じず、母は母で、自分の「恐れ」と向き合う出来事の中にいると、私は知っていました。それは、不幸でも何でもなく、それぞれに起きる必然であり、自然な流れであり、喜ばしいことです。だから、ただ静観しているだけでした。
5月になり、少し母の心が緩み始めたのを感じました。6月になり、以前の母が戻ってきているな、と思いました。そして昨日「明日テルミーしてもらえる?」と電話があったのです。
身体はしんどかったらしいのですが、テルミーをかけたら楽になった様です。これからまた毎週、母にテルミーをかけられそうです。