流れに乗る…とは。

 

 

「流れ」のようなものがあるとするならば、「流れ」に逆らわずに生きる方がラクではありますよね。

 

流れに逆らったり、流れが来ても岩にしがみついてその場を離れない、とかだと凄く体力を消耗する氣がします。

 

これは、川の流れであれば誰でも「そりゃそうだ。流された方がラクだ。」とわかるんです。

 

けど、これを人生に例えたらどうでしょうか……。目には見えないエネルギーの大河のような中で生きている私達です。

 

特に何も問題のない、平和な時期を過ごしている時もありますが、急に環境が変わったり、何等かの選択を迫られたりすることもありますね。

 

その時に、今の環境から変化することを恐れて拒否することはよくあると思うのです。数年前までは私自身がそうでしたし、自分に合わないものは避けて生きていました。

 

しかし、この「自分に合うもの」というのは、「これまでの自分に馴染みがあるもの」というだけの話で、それが真に自分にとって合っているか、本当の意味で自分の心地よさに通じているのかと問われると、実際はそうでもなかったりします。

 

変化するのが怖い。

予測のできる状態の方が安心できる。

 

 

しかし、ちょっと前にブログに書いたと思うのですが、今の私は目の前にやって来た事に対して、例えばそれを食べ物だとすると、「これは苦手な味だ」とか、「これを食べたらお腹を壊すに違いない」とか、あまり考えなくなりました。

 

ちょっと氣乗りしなかったとしても、「目の前に流れてきたものは、とりあえず食べる」を、選択している自分に氣がつきました。

 

 

その時の内側の心理は、

 

「未知であり少しの不安はあるけれど、食べなかった未来は予測できる。しかし、食べたらお腹を壊すかもしれないけれど、食べた先のことは食べないと知ることができない。」

 

食べなかったら「食べていたらどうなっていたんだろう?」と思ってしまうだろうし、それが凄くモヤモヤする。

 

しかも、目の前に、このタイミングでその食べ物がやって来たということは、ハイヤーセルフとしては「今、それを食べさせたい」わけです。

 

例えば、内側に手放せる何等かの重たい荷物に氣づかせたいのかもしれないし、何かを昇華させたいのかもしれない。

 

いずれにせよハイヤーとしては理由があって目の前に出していると、わかるのです。

 

「たとえお腹を壊したとしても、それは流れの中で良きことなのだ」と完全に安心しきっているのです。

 

そんな自分の内側の変化について、息子と話をしました。ハイヤーセルフとか言ってもチンプンカンプンなので、現実的なたとえ話として、「苦手なモノ、嫌いなモノが目の前にやってきても、とりあえずそれをやる事にしている。なぜなら、失敗というものが存在せず、全てがただの経験だから」のような説明だったと思いますが。。

 

そうしたら、息子が「でもねー、それが難しいんですよ。それができたらもう、”卒業”だね。」と。

 

「そう、そうなんだよ。卒業なんだよね(笑)」と一緒に笑いまして。いや、確かに卒業の流れなんですけど、息子から「卒業」というワードが出た事に感動したのです。。私が14歳の時にそんな感覚ありませんでしたから、、、今の子供たちって本当に洗練されているし、先を行ってるなぁ……と。

 

地球はどんどん、軽くなりますね。喜ばしいことです。

 

 

一見、苦手な食べ物を食べる状況になった時。

 

「迷わず、食べない」という選択も可能だし、「ものすごく抵抗を感じて疲れる」のも可能だし、「氣は進まないけどとりあえず食べてみる」のも可能。どんな選択もアリですね。

 

自分としては自然と「とりあえず食べる」という一択になっている事に氣がつきましたが、これは内側のお掃除が進むと、恐れや不安が減るので、「どうなっても大丈夫なんだから、どっちでもいい」という心境になり、だったら自然と「やる、を選ぶ」になるのだと思います。

 

少しのモヤモヤや、少しの不安はあれど、全てが完璧なのだと委ねられれば、ハイヤーセルフの流れのままに進む。

 

 

「全ては完璧」って、スピリチュアルではよく言われます。しかし昔は心の底からそうは思えず、頭で理解しようと頑張っていた時期もありました。

 

しかし、自然と「本当にそうなんだ」と思えている自分になっていました。それもこれも、全てが良きタイミングで、必要な学びを重ねてきたから。例えその当時に完璧だと思えなかったとしても、後になって思い返せば、全てが必要だったのです。

 

わからないながらも懸命に歩んだ小さな自分にありがとう。そして、大きな自分(ハイヤーセルフ)に感謝です。