自信がないと……

 

 

これまでの人生で、経験したことの無い事をしようとするとき

「自信がない」という氣持ちがわいてくる人は多いと思います。

 

昔は、私もそうだったかも……と懐かしく感じたときに、ある感覚が降りてきました(車の運転中です笑)

 

 

それは、「自信が無くて困るのはエゴ」……という感覚です。

 

 

自信が無いと感じる時。

「上手くできなかったら、どうしよう」

「ちゃんと出来なかったら、どうしよう」

 

……と、思いませんか?

 

けれど、

「上手くできなくても、問題ない」「ちゃんと出来なくても、大丈夫」と思っている人だったら「自信がなくて不安」という感覚になる事がありませんよね。

 

つまり、上手くできなかったり、ちゃんと伝わらなかったり、期待している結果を得られなかったりすると、「困る」と思うから、自信が無いと不安になるのです。

 

 

ちなみに、自信が無いと言っている時は、当たり前ですけれど、まだその事を始めていない、行動に起こしていない時です。

 

行動を起こしてしまえば、やった事に対しての体験が得られ、その事によってもっとこうしたい、などの改善策を思いついたりして、試行錯誤しながら経験値が増えていきます。ただ、それだけの事(^^)

 

 

上手くできないと、誰かに迷惑をかけるから?

…………迷惑をかけたら、何故いけないの?

 

ちゃんと出来ないと、ダメな人だと思われるから?

…………ダメな人だと、何故いけないの?

 

 

自信がないから、どうしよう……となる時は、エゴが不安に対して防御している時です。

 

自分が、自分に対して

「ダメな自分はよくない」「上手くできない自分は良くない」「ちゃんとしていないと、人から後ろ指をさされる」このように思い込んでいるのです。

 

自分が、自分に対して、がんじがらめのルールをいっぱい持っています。

 

自分が傷つかないように。

必死になって

 

ルールをたくさん、握りしめる。

自分にルールをたくさん課す。

 

怖いから。責められたくないから。

上手に生きる事が最優先事項になる。

 

 

けれど………。

それって、そもそも誰が決めたルールでしょうか。

 

 

これまでに傷ついたり、恥ずかしい思いをしたりして、もう、そんな思いをしたくないから採用した、自分が上手く生きる為の、自分が決めたルールですよね。

 

恐れをギュッと握りしめて生きている。

それを、「エゴ」と言います。

 

自信が無くて困るのは「エゴさん」だけです。

ちなみに、エゴ=自我、とも言います。

 

 

エゴさんは、傷つきたくなくて、一生懸命に立ち回るのです。必死に守りたいのです。ちょっと可愛らしいですよね。

 

だからね。

実は、自信なんて無くても、いいんですよ。

上手くできなくても、大丈夫なんです。

 

情けなくても、ダメダメでも

私はそのまんまの私で大丈夫♡

 

そんな風に自分に言ってあげられる。 自分だけはいつも自分の味方で、どんな自分も愛おしく、どんな自分も自分の一部だと決めること。

 

実は「本当のあなた」は、上手くできない経験も、恥ずかしい氣持ちになる事も、初めてにドキドキする氣持ちも……ただ、純粋に、体験しているだけです。そこにジャッジはありません。どんな感情も、どんな体験も、全てをただ味わっているだけです。

 

だから、あなたさえ、あなたの事を否定しなければ、あなたは満たされているのです。外側の誰かが自分を傷つける事など、不可能なんです……。

 

そもそも「上手くいく」なんてものもありません。

そんな絶対的なものが存在しません。

人によって、見える景色は様々です。

ただ、体験と感情があるだけです。

 

自分が、自分に対して

何の条件も課していない人は………

 

始める前のドキドキを感じても

それをネガティブなものと判断することが無く

経験を積んで自信のようなものが育ちます。

 

やる前に自信なんて、いらないのです。

 

 

自信が無いからできない

自信ができたら、やろう。

 

………「エゴ」さんの、モジモジした氣持ち。

わかると、笑っちゃいます。

 

ちなみに、身動きが取れない感じがする人……人生がなかなかスムーズに進まない人……も、無意識に上手く行かせようとしています。エゴさんが恐れを握りしめて頑張ってるから、動けないわけです……。

 

自分さえ「失敗の認定」としなければ、それは失敗ではなく、ただの経験、です。

 

 

……上手く生きようとしないでください(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの守備範囲

 

 

私はここ数年間、テレビ、特にニュースを見ることが無く、世の中でどんな事が起きているか、実は詳しくわかりません。  

 

それでも、家族がそれぞれ、仕事や学校で社会と接点がありますから、お友達と話したり、先生からお話があったり、スマホに食らいついていたりして、、、難しい話を、私に振られたりする事があります。

 

意見を聞きたいのかなぁ…それとも、共感をして欲しいのかなぁ………などと感じます。しかし、正直なところ、私の今の感覚が一般的ではない事も、万人に理解できない事も、わかっているので、返答ができません。

 

私の感覚、というのは、これまでの地球の概念からしたらかなり外れているので、率直な物言いをしてしまえば「冷たい人」「非人道的」「思いやりが無い」っていうか、「とにかく酷い……」と、感じるでしょう。

 

現段階では咀嚼できないだろうと思うので、そこを敢えて説明してわかってもらう氣もなく、ただ、ぼんやりと……子どもらの話す事を「ふーーーん」「そうなんだーー」と相槌をうつだけです。それも早々に切り上げる……(◎_◎;)

 

そんな訳で、母親との物足りない会話には見切りをつけて(笑)社会情勢の話などは、私が寝た後で、たまに父親と三人で会話しているみたいです。

 

今の子供たちは、私の世代よりもよっぽど波動が軽く、…エネルギー的には、ずっとずっと洗練された状態で生まれてきます。親世代が不器用にえっちらおっちら昇って来た山など最初から存在していません。地球自体も波動が上がっています。

 

とはいえ、地球で肉体を持っている以上多少なりとも外側の影響を受けるのかもしれないですね。一日の大半を過ごす学校も、社会や集合意識にまみれているし、教える立場も、魂の成熟度がどうかという点で言えば、必ずしもそこは実年齢とは関係ないわけで、

 

どういう人の話を鵜呑みにしているか………どんな場に長い時間身を置くか……それも、まあ、いづれ自分の意識で取捨選択していけるので、そんなに問題でもないですけど。

 

ただ、そもそもの波動が軽いくせに意外な事を思うんだなぁ……と、ぼんやり感じる今日この頃です。

 

波動の軽い彼らが、不安とか、心配をしている………というのは、一体どういう現象なんだろうか。。。

 

 

 

「今」に生きる

 

この感覚が、本当に大切なのです。

とっても、シンプルな話です。

 

けど、この「今」「今」「今」という瞬間を感じることは、人間にとっては難しかったりします。  

 

思考は常に、今日の予定や、ルーティーンや、未来の不安や、過去に囚われ、、、脳内は、あっちこっちに大忙しで、「今」を感じることができません。

 

目線はどうでしょうか。

テレビ…スマホ…様々な情報を追うことに忙しく、「今、この瞬間、自分の半径1メートル」の出来事を見ていません。

 

空気の乾燥している冬には、〇〇県で、火事があり、家屋が全焼……とか、、。もちろん、当事者や、ご近所の方にとっては一大事ですよ。でも、なんで全国ニュースでそれをお伝えするのでしょうか。。。私には凄く不思議です。遠くの町、お会いした事の無い人々の、事件や事故を流すばかりだと、世の中は怖い事だらけだ……と勘違いしてしまいます。

 

私の目の前には、今、あたたかいお茶をいれたコップがあり……あれ、せっかく適温のお茶を入れたのに、ブログを書いているうちにぬるくなっちゃった(;'∀')💦そういえば、背中が痛い??あ、変な態勢で座ってる(笑)後ろを振り返ると、枕の上でネコ(=^・^=)が氣持ち良さそうに寝ていて、可愛くて心がホワホワする……。

 

そんな穏やかな、そんな普通の、私の日常。

 

………これが私の目に映る事実なのですが。

 

こんな日常の、温かさや、面白さ、驚きや、幸せ。実はそちらの方が、怖い事よりもはるかに多く存在しているのに。そんな小さな幸せは、ニュースでは流れない。

 

「今に生きる」と、なんでもないシアワセ、ほんの小さな発見、風の冷たさや、日向の温かさ、そんな、自分の半径1メートルくらいしか目に入りません。そして、それが私の全てです。

 

私の目の前の風景に、突然の恐怖が現れたりしたら、その時に私はそれを味わいます。そして、自分の内側と対話をします。

 

しかし、目の前には今、なんの恐怖もありません。だから、ただ、自分の目の前に見えるもの、感じる事だけを味わいます。だから、私はいつも、安心安全の中で生きています。

 

あなたの守備範囲は、あなたの内面の世界であり、眼球を通して映し出された目の前の風景だけです。そんな、小さな世界を、心から味わう。それは、あなたにしか出来ない、素晴らしいこと。

 

実際、自分の内側が整っていれば、目の前の景色も穏やかにしかならず、心配も恐怖も無縁です。

 

自分軸で生きる事、今を生きる事、

 

それが最高の波動貢献ですから、もう、それだけで素晴らしい波を放っているわけです。これ以上に何かやる事ってあるでしょうか。

 

でも、でも、私の目の前にはテレビがあって、そこにはいろんなニュースが流れ、心配したり、不安になったり、怒りが込み上げたりするんですけど!!!!

 

……っていう人も居るのかなぁ……。確かに、半径1メートルにテレビがあって、その映像に引き込まれているって人も多いのかなぁ。でも、それも波動の共鳴だから、自分の中に不安や心配があるから、同じ波動を放っているテレビの内容に反応するの。

 

同じ環境にいたとしても、あなたの隣に座っている人は、もしかしたら、テレビの内容は全く入って来なくて、膝の上で眠っているネコをウフフ……(*´艸`*)…えへへ…(*´艸`*)……って眺めて幸せを感じているかもしれない。

 

そういう事なんです。

どこに、意識があるか。

 

 

あなたの守備範囲を、地球の裏側まで広げなくてもいいんです。

 

宇宙的な視野で見れば。

 

目の前に無いことに意識を向けて心配したり、怒ったりして、内側が激しく波打っているよりも……

 

今に安心して、膝の上のネコを愛でている人の方が、本来の自分と一致した調和的で美しい波動を宇宙に放っているのです。

 

 

 

ただ、今この瞬間

あなたが触れられる範囲の

小さな世界を

味わい……愛でる。

 

世界中の人がそれをやったら……

どんな地球になっていくかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輪廻転生のサイクルから抜けて

 

意識のエリアが変化している、というお話を、数日前に書いたのですが、

そのエリアに安定すると、それまで感じていた

 

ひどく退屈である

ひどくつまらない

 

に対して、抵抗がなくなります。

 

 

確かに、それはそうなのですが、やはり地球で肉体をもって生きている以上、白か黒か、、0か100か、のようにスッキリする事は難しく、

 

行ったり来たり

揺り戻しがあったりしながら

 

徐々に、徐々に、エリアが変化していくものであると思われます。

 

 

私は以前、音楽をやっていましたが、楽器の練習でも、難しいパッセージを習得する為に、練習して、練習して、、、、ある時「できた!」となる瞬間があります。

 

その時の自分にしてみれば、練習を重ねた成果として完全に習得できたから「できた」のだ、と錯覚します。

 

しかし、その後も100%の確率でそれができるようになるわけではなく………。ある瞬間にその完成形を体感させてもらえただけ、、、という現象なのです。もちろん、これは努力を重ねた結果にやってくるものですが。

 

その現象は、「ほら、これが、完成のイメージだよ!!」とヒントをくれたに過ぎず、その「できた時のイメージ」を追いかけて、更に練習を重ねていくと、「できた!」の割合が少しずつ高くなる、精度が上がってくるのです。

 

最初の「できた!」は偶然であり、「君はそこに到達する可能性があるよ」、ということ。その後に精進を重ねなければ、「できた」はただの偶然のまま、終わってしまいます。

 

 

これは、音楽の習得の中で得た経験値ですが、精神的な成長、アセンション、悟りにも、同じ事が言えると思います。

 

退屈や、つまらないという感じが続く事に対して、あらがわずにいると、「それでいいんだった」となり、静寂が訪れ………あるとき「喜び」とか「祝福」の状態だけがただ溢れていく………という感覚を味わいました。

 

これは「常に喜びや祝福の状態になる可能性がある」と教えられただけであり、そこに定着するには、まだ何らかの経験を重ねていく必要があるのだと思います。

 

楽器の練習のように、いろいろなリズムを試したり、テンポを変えてみたりして習得する……というような、セオリーがあるわけではないので、ああやればきっと上手く行く、というものがあるわけではありません。つまり、何をどうすればいいのかは、人間の思考程度ではわかりません。

 

 

退屈でも、つまらなくても、いいと思っているのに、

氣持ちがモヤモヤ、モヤモヤすることもあります。

 

 

せっかく「喜び」や「祝福」の状態を知った……というのに、また退屈に戻るのです。できたはずのパッセージなのに、成功率がまだ低いような感じで、地球にいてもつまらない……となったりするのです。

 

それで、なんとなく、瞑想をしてみました。何年ぶりだろう……。

 

今の、私のこの状態について、どういう事なのか教えて欲しいと、ハイヤーセルフに聞いてみたのです。このひどくつまらない感覚のまま地球に居続ける意味がわからなかったからです。

 

しばらくして、感覚がやってきました。

 

「地球」という星があり、そこで人類は輪廻転生を繰り返しているようなビジョンです。それはメリーゴーランドの様です。そこで夢中で楽しむには、眠っている必要があるります。自我が自分であると信じ込んで、世の中と私、という価値観の中で生きる事が必要なのです。叶えたいことや、報われなかったこと、欲しいものや、幸せや不幸を感じること、生きがいや、やりがい、やるせなさ、あらゆる感情を味わいます。

 

自我=自分(意識が眠った状態のまま)で、その一生を終える時、必ず「この世でやり残した事」を抱いたまま死ぬ事になり、それが「次こそ、〇〇のような人生を……」と思いを持つ。これが輪廻転生のサイクルから抜けられないカラクリです。

 

それを楽しむ(地球では、その方が間違いなく楽しめる)と決めて、輪廻を繰り返しているならば、それでいいのです。そういう生き方もあるし、今、地球に居る人の大半はそうやって輪廻しているのです。私もそうやって何回も、何回も、生まれ変わってきたはずなのです。

 

しかし、瞑想して何となく感じたのは、今世ではこの「輪廻転生のサイクルから抜ける」と決めてやってきたという意識を感じました。

 

地球でクルクルと回転している楽しそうなメリーゴーランドを、遠くから眺めている自分が見えました。

 

今の私は、当初の目的を達成した状態にあり、そのことを魂は喜んでいる……わけです。

 

どんなに、私が退屈で紋々としていても、本来の私の魂としては、スッキリしているようなのです。そして、今の私にとても満足している。(私がつまらなくても)

 

そこで、魂の私に聞いてみたのです。この退屈について、どう思えばいいのだろうか?と。そうしたら、「肉体を持ったままで、輪廻転生のサイクルを抜けるのがどういう感覚なのかを、まさに今、肉体をまとったまま感じる経験をしている」……のような感覚がやってきたのです。

 

つまり、肉体を持った状態で輪廻転生を抜けると、退屈だ……とか、つまらんなぁ………などと、感じるものなのだ。。。と。それは、自分史上初めての経験であり、まさに「今の私にしかできない」経験なのだと。。

 

なーーーるーーーほーーーどーーーぉ。。。。( 一一)

 

退屈や、つならなさを、あまり楽しくない……と感じるのは、自我であって(知ってるけど)魂的には、それすら初めての体験であり、「今」感じている、「それ」が、理由もなく、素晴らしい様なのです。

 

……いやぁ………納得しました。

 

モヤモヤがスッキリして、良かったです。

たまには、瞑想も良いですね。

 

 

……またモヤモヤしたら、瞑想してみよ。"(-""-)"💦

 

 

 

 

 

毎回、毎回、新しい出会い

 

 

 

 

以前ブログに書いたこともあるのですが、結構前から、過去~現在~未来………のように時間が経過していく感覚がなくなっています。

 

つまり、今より昔に「過去」があって、今の先に「未来」がある、とは思えず、

瞬間、瞬間、あるだけ、という感じです。

 

 

それで、最近あらためて氣づいた事があるのですが、

 

実は、人と会う時に、その人と前に会った時の話の内容とか、その人に対する印象とかが私の中にほとんど残っていない状態で会っています。。。

 

よく知っている人であったとしても、毎回、初めて会うような(?)いや、認知はしているのですが、過去の出来事に囚われる感覚が全く無く、毎回リセットされていて、毎回新しい氣持ちで会っているのです。

 

流石に、毎日会う家族に対しては違うでしょー???と思われると思うのですが、同じなのです。。。なんというか、過去にあった事とか、それに対する印象とかが、無いんです……。

 

どうですか、この感覚は……(笑)

 

 

以前話した内容を覚えていないとか、以前確かに交流し、心を通わせ合えたその経験を無かった事にするなんて。

ちょっと「人間」としては、酷いのかな……?

冷たいように思われるかもしれません。

 

過去を踏まえての今、という捉え方が今までの地球のスタンダードで、みんな何の疑問も感じずにそうして人間関係を構築しています。

 

 

思うに、なぜ私がこんな風に感じるのかと言うと、、、会話していても、相手の考えに対して、いちいち感情が反応してジャッジしたりだとか、相手の言動に傷ついたり……とか、そういう揺れが無いもので、

 

その人と会話して過ごしたその時間の事は、その瞬間に昇華してしまうのです……。

 

なので、次に会う時も、腹の中に何にもない状態で、なんなら初対面くらいの新鮮さで、再会するんです。

 

そんな時、私の状態がどうなっているかというと、「思考がほとんど働いていない」感じがしています。脳内で思考や、言葉が無く、「無………」となっている時間がかなり増えました。あまり考えなくなるというのは脳機能的には運動していないようなものなので、老化が進むのか?(笑)

 

 

昔は、違いましたよ?

昔は私も、毎日会う同級生にしても、久しぶりに再会した旧友に対しても、過去にあった出来事により、私がその相手に対して感じた感情を内包して対面していました。こっちの方が「普通」ですよね。

 

けれど、どうでしょうか………。

 

例えば、何年か前に意見の食い違いで、苦い思いを抱き、嫌な印象を残したまま会っていない友人が居るとします…。数年ぶりにその友人と再会する場面がやってきたとします…。その友人に対して、「ちょっと苦手だな…氣が重いな……」と思いながら会う人が多いと思います。。。

 

でも、考えてみて欲しいのですが。

 

人がその時と全く同じ状態を留めたままだと思う方が、不自然ではありませんか?………何年間も全く何の経験もせず、変化もしないなんてあり得ますか?その友人は冷凍保存されていて、数年後に瞬間解凍されて、あなたの目の前に現れるのでしょうか………。

 

あなたが日々、変化しているのと同じように、他人も毎瞬、毎瞬、変化しているのです。。。同じ状態などあり得ません。過去に出会ったと思っている「その人」は、あなたの脳内に記憶としてあるだけで、実際には今、存在していません。

 

それに、もっと言えば、過去に抱いた相手の印象というのは、動かしようのない絶対的な真実、ではありません。。。あなたのフィルターを通して見た、あなたにしか感じる事のできない、あなたが作り上げた幻想なのです。。。あなただけが思い込んでいる、あなただけの相手の姿なのです。

 

だから。

 

数年ぶりに会う人であっても

たまに会う人であっても

毎日一緒に生活している人であっても

 

毎瞬、毎瞬、その人は変化しており………

 

 

「毎瞬、毎瞬、新しい私」

「毎瞬、毎瞬、新しいあなた」

 

として、出会いなおす。

むしろ、その方が自然だと……今の私は感じています。

 

 

「過去」は自分が作った幻想です。

 

 

自分のフィルターを通して、自分の思い込みが付着した、「印象」です。

絶対的なものでも、真実でも、客観的なものでも何でもなく、

その時の、その瞬間の自分が判断した、思い込みの映像です。

 

 

そんなものを握りしめて、目の前の人と対峙しますか?

 

 

いつも、真新しい私で

さっきまでとは違う

今、出会う、初めてのあなたと

 

いつも、いつも、

出会いなおす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい」を手放すと

 

またまた……結構長い間、ブログを開くことなく過ごしていました。

 

 

その間に、また自分の意識のエリアが変わりました。

ようやく、そのエリアに定着してきたところです。

 

 

意識のエリアがグン……と大きく変わったのは2年ぶりくらいなのですが、初めてではなかったので、途中から「ああそういう事か…」と大人しく観念しました。

 

 

スピリチュアルではよく「覚醒」とか「目覚め」とか「アセンション」とか、いろんな言葉で表現されたりすると思うのですが、これは段階的であって、一気にゼロから100になる、とかではないです。

 

それで、覚醒も「これで完了」とかは無く、また覚醒すれば夢のような、煌びやかなな、恍惚の世界が待っている、とか、そんな風にイメージしてしまうかもしれませんが、私は違うと感じています。ブッダを想像してみてください。。。キラキラ✨フワフワ〜してないでしょ(笑)

 

ブッダも、弟子に悟りを学びたいと請われた時に、あまり他の人にはオススメしないよ的な話をしたそうですよね💧この状態が、万人に勧められないのもわかります。

 

 

意識のエリアが変わるのは、2年前も経験しましたが、今回も似たような経路を辿りました。

 

どういう感じかというと、

 

「なんだか、最近、テンションが下がっている」

 

という、あまり楽しくない感じが続くのです。理由は特にありません。何があったとかではなく、ただ、テンションが低いままが続く、というものです。

 

「つまらない」

「楽しくない」

「退屈である」

 

という感覚に対して、それをそのまま受け止めている状態が続きました。その時、何らかの行動を起こしてみて「楽しい」をやってみよう、という前向きな(?)気持ちにはなりませんでした。

 

これでは、ますます「世捨て人」「ご隠居」まっしぐらだな……と思いました。

 

地球に生きている意味があるんだろうか……と思いました。

 

例えていうならば、プロ野球で順位は決まっているのだけど、残りの試合があるため、しかたなく消化試合をしているような感じです。

 

 

「楽しい」を感じたいと思えずに、地球に居続ける………って。

 

 

悟り、や

覚醒、というのは

 

実は、「楽しい」とは真逆に位置するものかもしれません。その「楽しい」は眠っているからこそ、一喜一憂して楽しめるわけです。ブッダでなくても、オススメできないなーと思う…。

 

言葉で表現するのは限界がありますが、誤解を恐れずに言うならば、「楽しい」は、エゴが満足したその一瞬の反応です。ですから、エゴに振り回されずに一喜一憂しなくなる、感情の浮き沈みが極端に減ると(つまり、目覚めた状態で俯瞰していると)「楽しい」が無くなっていくのです。

 

しばらく、「楽しくないエリア」で悶々としているうちに、「悶々とする」のも、エゴが抵抗している状態であるのですが、「つまらない」を受け入れるようになってきました。というか……その状態に「慣れ」て、「抵抗しなくなった」感じです。

 

とても静かでした。

もともと静かな内面ですが、もっともっと、淡々と波が立たないエリアです。

 

 

楽しい、はとても三次元的な感情

 

欲望が芽生える → 叶う 

「楽しい」

 

 

欲望が芽生える →叶わない

「楽しくない」

 

 

楽しいを求めるから
楽しくないがセットになる

 

 

 

 

地球で生きるには
楽しい、は醍醐味のようなもの


感情が動き、一喜一憂することによる
生の実感。

 

それを大きく感じる事ができるには

「眠っている」必要があります。(つまり、覚醒の反対)

 

 

俯瞰している状態が深まれば深まるほど……三次元的には


楽しくなくなって
つまらなくなって


…つまらない、退屈な余生を
淡々と受け入れはじめて

 

そのエリアに定住していく

 

 


つまらない、と思うのはエゴの声なのだけど、
それで構わない、となっていく。

 

 

エゴが完全に沈静化する

 



楽しい、を手放して生きていくのは

感情の落差を味わうことを

地球での生きがいや、醍醐味を手放すことになるのだけど。。。

 

 

それって………つまらない生き方だと思われますか?

せっかく地球に生きているのに、それでは勿体ないと思われますか?

 

 

けれど

 

「楽しい」を追い求める生き方を辞めると

 


言葉であえて表現するならば

 

喜び…とか
祝福…のような

 

「状態」が在るのがわかります。

 

それらは、ただ湧いていて
ただ、溢れている

 


湧いたり、消えたり

浮かんだり、沈んだり

 

 

一喜一憂もしない

 


ただ淡々と 

湧き水のように

滾々と

在る

 

 

 

抵抗しないで身を任せると
最短でエリアの移行が完了し
定着します

 

 

淡々と、淡々と。

 

生きている間に、こういう意識のエリアの変化が

忘れたころにまたやってくる。

 

この繰り返し。

 

 

 

 

 

 

直傳靈氣モニターさんのご感想⑨

 

直傳靈氣モニターさんのご感想、9回目です。

 

 

①直傳靈氣はいかがでしたか?(受ける前のイメージや、実際に受けてみての感想など)

 

手を当てられた瞬間から、熱が伝わって、なんとパワフルなんだろう…!と思いました。

あきらかに体温ではない、熱の伝わり…すごかったです!
そして、とっても心地よくて、よく寝ました(笑)

 


②施術時間について
60分は長い、もっと長くても良い、ちょうど良かった

あっという間の60分でした!!
もっと受けたい(寝ていたい!)ので、90分を受けるのが楽しみです。

 

 

③3回を経て、身体・精神面など、何か変化を感じられた場合は教えてください


施術を受けた後は、排尿が多くなり、からだが軽くなります。
夜も熟睡できます。

今回は3回の施術の間隔が空いたので、間隔を詰めて定期的に受けようと思いました。

 

 

④今後も直傳靈氣を受けてみたいと思われましたか?あるいはご自身が直傳靈氣をやってみたいと思われますか?

ぜひ!受けたいです!
学ぶなら、千景ちゃんから学びたいと思いました。

 


⑤施術者への感想、ご要望などいただけると嬉しいです


パワフルな施術をありがとうございました(*´ω`*)

安心して任せられ、しっかり癒やされます。

わたしのメンテナンス場にします💗

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

今回のモニター様は、お仕事の関係で、エネルギーのこと、体感の事など、とっても熟知されている方だったので、私も「答え合わせ」的な感覚を感じながらの施術となりました。

 

直傳靈氣は、手のひらを身体にあてて靈氣を流していくのですが、手のひらに様々な反応を感じます。あったかかったり、熱くなったり……ビリビリ…ビリビリ…と感じたり、脈打つようにドクン、ドクン、となったり。その反応によって、手を置く時間を判断したりしているのですが、それとは違う「感覚」をいつも感じていまして……

 

それは、私の脳天がブワワワ………と開くような感覚です。

 

その時、手の平は、気持ちよく微細なビリビリ…を感じているのです。なんとなく、靈氣がとてもよく浸透しているような感覚なのです。

 

それで、短い施術時間の中で、本当なら反応の大きいドクン、ドクンの場所に長く手を置きたいのですが、私の中でこの「脳天ブワワ……手のひら優しくピリピリ……」の感覚は、なんだかとっても大切な氣がして、自分の感覚を信じて手をあて続けていました。

 

限られた60分、あるいは90分の施術の中で、全身の病腺に手を置いていく方法を取っているので、時間配分も必要なのですが、そこに関しては完全に「感覚」に従っています。なんとなく、もう少し……とか、この辺でヨシ……とか、感じるのです。

 

それで、今回も、最初に後頭部に手をあてた瞬間「脳天ブワワ……」があり、「あ、これ、来た……」と思った途端に、お客様が

 

「あ……いま、全身に流れた」………と仰ったのです!!!( ゚Д゚)!!!!!

整合性が取れた瞬間でした🌟🌟🌟

 

そうかー、あの感覚は、やっぱり氣持ちよく全身に靈氣が流れていく感じなんだーーーーーーと。本当に嬉しかったのです。

 

この不思議な感覚なのですが、体調の良い人、悪い人、疲れている人、悩んでいる人、に関わらず、起きる時は起きるのです…。

 

たとえ調子が悪くてヒビキがドクドクなっていたとしても、よくよく靈氣が通っていく人っているのです。

 

共通しているのは、「委ねる事ができている」って所かな……と思います。何度も施術を受けてくださって、信頼してくださるお客様にも起こりますし、初めてでも委ねて生きているフワッと軽い人にも同じことが起きます。

 

本当に面白いです。

 

今回のモニター様も、もちろん、日常から自然に委ねて生きていらっしゃる方なので、もう最初からサーーーーッと流れていく感じで、また足に靈氣している時に「腰に熱を感じたり」離れた場所に反応があるよ(・∀・)💛と教えてくださったりして。。とても勉強になりました。

 

毎回、施術を終えたあと、温泉から上がったような……ポワワワ💗と幸せそうなお顔をされていたのが印象的でした。「靈氣を全身で堪能されている…」一流のヒーラーさんは、施術を受ける時も120%享受されるというか……。そして「ああ、やっぱり、靈氣はいいわ…🍀」と幸せそうにつぶやかれて、ほんのり赤らんだ頬がとても愛らしかったです……。

 

こうやって、施術してもらう事も、、、実は、施術をする以上に凄く勉強になるんだな………と、教えてもらえた氣がしました。

 

ぜひぜひ、また、施術にいらしてくださいね♡

アンケートにお答えいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テルミーの会員さんとかけあいこ

 

イトオテルミーは、会員制度となっておりまして……継続される方は、年会費3000円を納めます。私は、その3000円をお預かりして、会員さんに軽く全身にテルミーをかけさせていただいています。

 

昨年は私がかけさせていただくのではなく、自分で自分にテルミーをする「自働テルミー」の練習会にしてみました。(会員さんにアンケートをとり、そのようにやってみたり。)

 

今年は、私がサラサラッと全身にテルミーした後に、二人の会員さんで互いにテルミーをかけあいこをしてみよう!の会になりました。

 

お二人とも、テルミーの会員さんでもあり、レイキヒーラーさんでもあるという(笑)そんな繋がりのメンバーです。

 

レイキは、手があればいつでもどこでもできるし、服を着たままでもできて、便利。

 

テルミーは、火を使うし🔥、器具の操作に少し慣れが必要で、全身に施術するには衣服を脱がねばなりません。

 

とは言え、はだけないように保護しますから、実際は恥ずかしさはあまり無いと思われますが、まず着換えをする、皮膚を露出する、というところで躊躇される方もいらっしゃいますよね。

 

けれど、今日も互いにテルミーをかけあいこして、あらためて実感されたと思います。

 

テルミーの温もり

テルミーの香りによる癒し

テルミーの心地よさ

 

………ちょっと他では味わえない良さがあるんですよ。心も体もとろけるような、なんともシアワセな温もりなのです。。

 

なので、うちの母などは、やっぱりテルミーが好きなんです。特に年をとるとテルミーの栄養熱による回復力に助けられます。

 

近年は、時代の流れか、一昔前は目に見えないものなど胡散臭いと思われ、怪しまれ、敬遠されていたような、エネルギーヒーリング、レイキなども、自然に受け入れられていますよね。

 

うちの療術所でも、直傳靈氣が何かわからなくても、知り合いから良かったと聞いたから受けてみたい!と、軽やかに訪問してくださるお客様がたくさんいます。

 

ありがたいことです……

 

今後ますます、レイキは多くの人に広がって行くと思います。

 

テルミーも、広がって行けたらいいなぁ……。時代が流れていっても、

 

変わらない本質がありながらも

変化していくことの大切さ

 

 

そう、時代に合わせて、受け入れられやすいように変わっていく事も必要なんだろうな。。。