自分の事は自分でしなければいけないのか?

 

 


夏休みですね。

 


お子さまの宿題ははかどっていますか?

 


めんどくさい事はサッサと片付ける子もいれば、

やりたくない事は後回し、という子もいます。

 

 

 

うちの子は後者で

 


特に苦手な国語はどうしても進まない。

できないものはできない。

やりたくないものはやりたくない。

 


宿題なので…

そうは言っても、やらなきゃいけません。

 

 

 

感想を書こう、

という問題で答えが何も浮かばず

 

 


適当に書いたら?と言っても

その適当ができない。

 


真面目すぎるのか、

あーすれば?こういうのもあるよ?

案を出すけど、全て却下。

 


できない!めんどくさい!

無理!あー無理、無理!!

 

 

 

だんだんこちらも頭にきて、

 



自分の気持ちはいいから!

適当にそれらしい事を書くのっ!!(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

 


しかし

彼には通じません…(-_-;)

 

 


あーわからない。もうわからない。

感想は「めんどくさい」だけ!! 

終わり!!!

 

 

 

…それって!感想じゃなくて!!

あなたの今の気持ちでしょーが!!!

٩(๑`^´๑)۶

 

 


私も大人気ないので、喧嘩ごしで

 


じゃあ、もうそのまんま「めんどくさい」

って書けば???

でも、そんなんで、本当にめんどくさいなんて書いてたら、もう行く高校なくなるからねっ!!」

 


…という最低な捨て台詞を吐いて、匙を投げたんです。

(大人気ない大人なんですよ…)

 

 


息子はプイッと去って行きました。

 

 


しかし……

 

 

半日くらいして私は思いました。

 

 

 

やりたくない事を、

本当にやらなきゃいけないのかな…?

 

 

 

 

息子は国語はめちゃくちゃですが

算数、理科、社会は好きです。

 


全てが平均的に出来ることは凄い事ですが、

みんなが同じでないとダメなの?

 


それに、希望の高校に入れない事で、人生が終わるのでしょうか。

 


または、希望の高校に入れたら人生安泰なのでしょうか。。。

 

 

 

日本国民は、教育を受ける権利が保障されています。

それはとても素晴らしい事です。

教育を受けたくても受けれなかった時代が長くありました。

その頃の方が見たら贅沢な悩みです。

 

 

しかし、

その恩恵の裏で

大切な何かを蔑ろにしているかもしれません。

 

 


子供たちは幼い頃から

家庭で、学校で、社会で、

「自分の事は自分でやる」と教わりますね。

 

 

 

私はこれに対しても今、

本当にそれでいいのだろうか…?

と思い始めているのです。

 

 

 

人間て本来凸凹です。

得意な事もあれば、苦手な事もあります。

 


しかし最低限の事はオールマイティに出来るように要求されます。

 

 

 

得意な事は出来て当たり前。

苦手な事は努力で補う。

 

 

 

何も考えずに出来ることって、

実は、持って生まれた凄い才能です。

でもそれは特に褒められはしない。

 


そこはクリアしているね、というだけです。

自分の能力として自覚できる育ち方をしていない。

 


苦手なところは、何度も怒られ

自分に自信がなくなります。

 


……。

 


凸凹を埋めて、◯にしていく作業をして、

なんとかイビツながら◯になった大人は、

自分の本当の個性や特徴がわからなくなる。

 

就職面接などで、長所と短所を聞かれて

困った事はありませんか?

本当に自分の事を理解していて、

即答できる人ってどのくらいいるでしょうか。

 

 

 

自分の事は自分でする、というのは…

ほんの最低限の事でいいのかもしれません。

 

 

 

苦手な事は、得意な誰かに助けてもらう

自分が得意な事で誰かの助けになる

 

 

 

自立とは、

自分で何でも出来るようになる事ではなく


できなかった自分を許し、認め、

人に助けを求める事を躊躇しない事。

 

 

それができる人は

同じように助けを求める人間を許せるし、

得意な事では惜しみなく自分の力を発揮して誰かを助ける事ができます。

 

 

 

それは個性の認め合いだし、

愛が円環する世の中です。

 

 

 

凸凹でいきましょう。

自分の凹みを卑下しなくていい。

 

そして、

凸の部分はあなたの強みであり

使命として活かせるものです。

 

 

 

子どもの凸凹を認められますか?

凸凹である事を心配や不安材料にせず、

個性としてありのままに伸ばす事ができますか?

 


自分の個性を伸ばしてもらえなかった親世代にとって、

子どもの凸凹を認めるのは難しいかもしれません。

 

 

それは、目の前の子どもの姿に

自分の子供の頃の抑圧が投影されるからです。

 


しかし、私達親世代は

それを叶えていく大切な使命があるように思うのです。