無償の愛、についての考察

 


無償の愛。

そんな高尚なことは

とても難しいことのように思える。

 


全てのエゴを削ぎ落とさないとできないのでは?

私はまだまだその域ではない。

そもそも人間でいる間は完全にエゴが無くなるなんてことはない。

 

 

 

無償の愛、ってなんだろう。

 

 

 

愛、なんて縁遠い。こっぱずかしい。

私には遠い遠い言葉。

 


そう思って生きていた何年か前のこと。

ちょっと不思議な出来事がありました。

 


ある早朝。

まだ半分眠っていた時、意識がぐんぐん上昇して…

辿り着いたのは、光る雲の世界でした。

そこで無償の愛、というものを体感したのです。

 

それはただ、ただ、

与えるばかりで幸せに満ちていて

とめどもなく愛が懇々と湧き続け

満ちて溢れ続けていました。

 


与えるだけ、漏れ出るだけ、

何も奪わず、

ただ自分の愛だけで満ち溢れて完全なのです。

 

 

 

その域にいけ、という事だ。

直感的にそう思いました。

 


しかし、その時の私には遠い世界の感覚で。

到達できるのかどうかもわからないけれど

とにかく行くしかない、と思ったのです。

 

 

その後からずっと

螺旋階段を昇るように

小さな気づきを重ねて過ごしてきました。

 

 

今朝なんですが、

夢を見た感覚がありました。

それは不思議な夢でもなんでもなかったんですが、

テーマは無償の愛について、でした。

 


細かな設定は起きたら忘れていたのですが、

起きてから、ある考えが湧きました。

 

 

 

あ、私は…

難しいと思っていた無償の愛が、

動物に対しては、

いとも簡単にできているじゃないか、と。

(子どもに対しても、です)

 

 

 

彼らが何かしてくれなくても

彼らの存在そのものが私の喜びで

 


ただ愛している

という幸せに満たされる。

 


そして彼らが

私を無条件に愛してくれていることも

しっかりと伝わってくる

 


お互いに束縛し合わなくても

愛で繋がっている

 


動物は言葉で言ってくれなくても

なんで伝わるんだろう

 

 

それは、

彼らの心と態度が一致しているからだ。

 


彼らの心の中の幸せが満タンで

愛が溢れて漏れ出ている。

 


私はただそれを感じるだけ。

 

 

人間同士は…

どうして無償の愛が難しいのだろう

 

 

それはきっと

 


心と、言葉や態度が一致していないからだ。

だから伝わらないんだ

 

 

 

そもそも

心のままにと言っても

その肝心な「自分の本音」がわからない人がたくさんいる

 

 

 

もし、心のままに生きている人がいたら

 


この人は嘘がない

この人は心から楽しんでいる

この人は心から悲しんでいる、とわかるから

 

 

そんな人の側には安心して居られる

心のままに生きていている人の周りは

安心と幸福に満ち溢れる

 

動物が与えてくれる安心感と同じように。

 


無償の愛は

まずは自分から。

自分が自分に対してしてあげよう。

 

それが最初。


心のままに生きる

ただ自分の本音と一致して生きる

動物のように。

 

自分が自分に対して無償の愛でいられたら。

その円環は自分を中心にして

波紋のように勝手に広がっていく。

 

人間同士だって

無償の愛になれる。