親子関係から魂の成長を

 

今日は雨の中、

父を会社まで送りました。

 

父は一代で自分の会社を作り

不景気が続く中も潰れずにきた。

そして今も会社へ通っています。

 

私は恥ずかしながら

父がどんな仕事をしていたのか全く興味がなく

会社を見たこともありませんでした。

 

幼い頃からなんだかうまく話せず

父と会話を避けて生きていた私でした

 

今日は

助手席に座っていた父に

父のお父さん、つまり私の祖父について

質問してみました

 

幼い頃にしょっちゅう聞かされていた祖父の話

酒乱だったこと、小学生の父が新聞配達で貯めたお金まで酒代に消えたこと、若くして亡くなったが、お葬式で涙も出なかった、と聞いていました。

 

祖父との思い出話をふってみると

父から出た言葉は

「腕のいいブリキ職人で、自慢の父だった」

「好きだった」

…でした。

 

幼い頃から苦労話を聞かされていたので

この言葉は本当にビックリしました。

 

昔の名古屋城金のシャチホコを作ったのは

祖父だったらしいです。

真実かはわかりませんが、

腕の良い職人であったことと、父にそう言われた記憶が残っているのは事実です。

 

私は

「お父さんは、酒乱だったり殴られたり、苦労ばっかりだったから、お爺ちゃんが嫌いなんだと思っていたよ。だからお話聞けて嬉しかったよ。」

と伝えました。

 

父は嬉しそうでした。

 

 

会社に到着しました。

私は初めて来た父の会社を一周回って見学してみたい、と言いました。

 

父は、「いいよ」

と言って、自分は仕事のために建物内へ消えて行きました。

 

私は一人で敷地内を歩きました。

工場や…働く技術者さん達。外から会社で働く社員さん方を覗き込み、

 

父は、一人で、この会社を作り

沢山の人が働き

様々な製品を世に送り出して…

私を音大に通わせてくれた。。。

そう思うと胸が熱くなりました。

 

車に戻ろうとすると

建物から父が出てきたので

 

「凄いね、お父さん。お父さんが1人でこの会社を作って、私を音大に行かせてくれたって思ったら胸が熱くなったよ。ありがとう。」

 

と、思った事をそのまま伝えました。

偏屈で不器用だった父は、笑顔で何度も頷き、

 

私が車を発進させるまで窓際に立ち、

込み上げる感情を噛みしめたような表情で

ずっと見ていました。

 

その顔を見て私も車の中で

胸に込み上げるものを感じながら

涙が滲みながら車を走らせました。

 

私は今日、父と魂が触れ合う会話ができて

互いの内にある何かが雪解けて浄化されたように感じました。

 

自分の人生を生きる

純度100%の私で生きる

 

その為に、親との関係性は

とても、とても、大きなものです。

多くの人がその課題を持っています。

 

時間がかかっても、逃げずに

向き合って欲しいと思います。

 

そこには魂が震える喜びがあると

私は思います。