「人は鏡」って聞いた事ありますか?
よく、昔の人が「人の振り見て我が振り直せ」なんて言いますよね。それは、誰かの行動でそれは良くないワ~と感じたとしたら、相手を批判するのではなく、自分はそんな行いをしないように氣をつけよう、という感じでしょうか。
小学校で先生から言われる「自分がされて嫌な事は、人にもしない!!」という教えのような雰囲氣を感じます。
でも、これは昔の地球の社会性が色濃く反映されていることわざに感じます。つまり、「自分の感情へのコントロール」が生じるわけです。心からそう思っているわけでもないのに、良い人間であるために自分を矯正するような……。
私がここでお話する「人は鏡」というのは、これとは全く違う使い方です。
みなさん、眼がありますから、自分の周りにいる他人の事はよく見えますよね。しかし、自分の姿を見るには鏡を見るしかありません。
しかも、鏡は左右逆に映しますから、他人が自分の姿を見るのと同じように客観的に見ることは一生できません。
つまり、人は「自分の姿を目視することは不可能」なのですね。
では、どうやって見るのか???
それは、「他人」を鏡として、自分の姿を映すのです。これは、姿かたちの外見的な事を言っているのではなく、内面的な事です。
誰かの話す内容、誰かの態度、誰かの起こす行動、そういう他人がやってくれるその姿を見て、自分の感情が動いた時……。相手の言動の中に、自分が「反応している」ことになりますね。それは、万人にとって反応するかというと、そうではなくて、自分がその言動に対して反応するタネを内面の世界に有しているから、感情が動きます。
内側の世界というのは、目視することはできないので、人を鏡として自分を知るのです。ああ、私は、こんなことを嬉しく感じるんだな……。ああ、なんて嫌な態度なんだろう……。どうしてこの人のこの言葉にイライラするんだろう……。
他人は、自分の内面を知るキッカケになってくれます。そうやって、自分も誰かの鏡になっていて、誰かの心の内側に氣づくキッカケを与える事に協力したりしています。
自分では見えない自分の内面世界を、他人が見せてくれる。
だからですね……
私は、基本的に独りで居るのが好きです。家族が居ても、一人になる時間がないとダメなタイプなんですが……、夏休みで主人と子供らが帰省して6日間留守にしていたのです。最初はめちゃめちゃ嬉しくて(笑)やっほー家事やらなくていいー♪部屋も散らからない~💛静か~(∩´∀`)∩とノンビリやっていました。
独りが心地よい私なので、寂しいとはほぼ無いんですが、内面が動かないんです……。ちょっと日本語がオカシイかな。感情が動くような事があまりない、というのかな。
他人と生活していると、100%マイペースの生きる事は難しいですね。3度の食事、買い物、送り迎え、掃除洗濯、べつにやりたいわけではないけど、生活していく中で必要な事があります。
100%マイペースに生きていたら、私はひたすらボーーーーッとして、ひたすらノンビリして、ひたすら犬猫とノンビリして、マンガやアニメみています。実際にそのように6日間やっていました。(テルミーや靈氣のお仕事以外は)
私のように、元々、外に出かけたい欲求もなく、人に会いに行きたいわけでも無い人は、好きな事やっていいよと言われたら、ひたすら独りでボンヤリして過ごすのです。そうすると、、、感情が動くような場面がほぼありません。
ひたすら静かな空間にノンビリ漂っていた6日間でした……。独りで居るので、感情が動かなかったり、熟考するような出来事が起きなかったりします。ひたすら平和ではありますが、それは、宇宙に帰ってからずっとそういう意識状態になるのかもしれません。
せっかく地球にいるのなら、ほんの少しでも他人と関わって感情を動かし、他人という鏡を使って自分の内面を知っていく方が有意義ですね。それが、地球でできる魂の成長ですから。
私のように、敢えて人に会いに行こうとしないような超インドア派の人は、家族と暮らしている状態の方が、つまり、鏡となって私の内面を映してくれる存在が身近にいる方が、良いのかもしれないです。
そんな鏡たちが帰ってきます。。。
また忙しい日々が始まります。