受けとる

2023年に入ってから約半年ですが、なぜだかずっとスッキリしない、しっくりこない、そんな期間を過ごしていました。

 

2月から5月までは花粉症で。。。

 

花粉を避けるために外にあまり出ないと、太陽光を浴びることもないし、鼻が詰まると深い呼吸もできない、そんな期間が続けばホルモンバランスも崩れ、幸せを感じにくくなります。

 

GWを過ぎればきっと回復するだろう、と思っていたのですがそんなに劇的に変化もせず、なんだかぼんやり日常を過ごしている。

 

おかしいなぁ、、、私、こんなメンタルじゃなかったはずだけどなぁ、、なんて、、、。

 

そんなある日、我が家の猫さんが布団で氣持ち良さそうに寝ていました。私はその寝姿に癒され、ああ、かわいい、ああ本当に大好き、、、と思いながらそっと撫でました。

 

言葉ではやり取りできないけれど、私は自分のこの「あなたが心の底から大好き」という氣持ちを波動で伝えながら撫でました。

 

猫さんは眠ったまま、何も言いません。

 

大好き、大好き、大好き、、、心のなかで伝え続ける。

 

猫さんはただ寝ている。。。

 

 

その時に、雷に打たれたように「ハッ!!」としました。

 

 

こんなにも・・・氣持ち良さげに寝ている、という事実に氣がついたからです。

 

 


私は、、、ただ自分の氣持ちを伝えたいばかりだったんじゃないか? 

 

 

猫さんにとっては、氣持ちよく寝ている最中に勝手に飼い主に撫でられ、安眠妨害と言われてもおかしくない状況だ。

 

なのに、怒らずに私にヨシヨシさせてくれているじゃないか(うちの猫さんは抱っこキライでツンデレです)

 

しかも、ずっと、ぐるぐるぐる・・・ぐるぐるぐる・・・って心地よい音を鳴らしてくれている。

 

 

心地よさや、幸せのエネルギーを漂わせている。

 

 

 

 

伝えたいばかりでなく、ちゃんと猫さんが私に心を許していることを、感じて、受けとる事ができたのでした。

 

 

 

 

人は自分の氣持ちをわかってほしくて、伝えることばかり、受け取ってもらうことばかり思いがちです。

 

けれど、、、ちゃんと「受けとって」いるだろうか?

 

この微細なエネルギーを、受け取ろうとしているだろうか?

 

 

「うけとる」とは、「感じる」ということ。

 


見えないものを、感じる。見えないけれど確かに在ることに意識を向けて、受けとること。

 

 

理屈でわかっていても、ここを意識していないと、ついつい、本当は在るのに氣づけない・・・ってことが人生には無数にあるのではないでしょうか。

 

 

住む家があること、呼吸ができること、朝日が登ること、当たり前過ぎて、在るのが当然過ぎて、感謝もしないようなことを・・・

 

 

「ちゃんと感じてみる」

 

ちゃんと感じて、受けとる。

 


そうすると、たった今、この瞬間、何も状況は変わっていないのに、こんなにも受けとるものが沢山在るってことに胸がいっぱいになる。

 

 

受けとれるかどうか
それを感じられるかどうか

 

幸せかどうか、ってのは・・・

無いものを手に入れたり、達成感を味わう事ではなくて


氣づき、受けとる・・・その感覚。

ただそれだけなんだ。


だから、今この瞬間、世界中の人が「幸せ」を享受することができる。

 

 

何を感じてもいい理由は

 

我々は、日常生活で絶え間なく

自分を取り巻く環境や、人間関係によって


何かを感じて生きています

 

 

あなたの心に感じたその反応は 

あなただけのものであって


万人に共通するものではありません

ここはわりと勘違いしやすいところだと思います

 

 

これは良くない、

普通はこうする、

人としてその態度はオカシイ、と 

 

私は趣味趣向の話をしているのではなく、人として正しいことを言っているだけなのだから

 

 

………という、思い込みです。

 

 

 

みんながみんな、あなたが正しいと思うことを、その通りだと感じるなんてことは、ありません

 

 

あなたは、自分の正しさを信じて、

あなたの見たい世界を構築しています。

 

 

世の中の全ての人が、

同じように独自の世界を描きます。

 

 

だから、普通は……なんてものは、存在しようがありませんし、

あなたの信じる普通は……の真反対を生きている人も沢山います。

 

 

普通はこうだ
こうするのが当たり前

 

 

こんな観念をたくさん握りしめていればいるほど、日常のあらゆるところで、心が揺れます。

 

正しくない人や、酷い出来事が、あなたを苦しめ、あなたに怒りの感情を抱かせます。

 

 

その時に、氣づくのです。


 
あなたという人間が、どんな観念を持って生きているのか。

 

あなたという人間が、どんな事を美しいと感じて、どんな事を悲しいと感じるのか。  

 

 

楽しい感情を抱くのはどんな時か
何に対して笑ってしまうのか

 


それを…… 

目の前の人や、取り囲む環境が、

 

あなたに教えてくれる

 


そうやって、あなたは、あなたという個性を知っていくのです。

 


同じ人など一人もいない

目に映る、感じる全てが、あなたを映し出す

 


そしてこれは、我々だけに起きている法則ではなくて

 

 

実は宇宙も………

 

 

我々の日々絶え間なく感じているこの心象風景によって

 

宇宙自身を知っていくのです

 

 

我々が揺れるたびに

 

 

無数の宇宙の細胞である私達が
宇宙に自分の姿を感じさせてあげている

 

 

だから

 


いらない感情などないし 

あなたは、ただ体験し

ただ感じるだけでいい

 

 

ただ存するだけでいい理由

 

 

 

役に立たなくても良いのです

 

役に立つ

 

役に立つことで、自分の存在意義を感じる人は多い。

 

例えば、「仕事」があることで。

例えば、「家庭」を持っていることで。

例えば、「社会貢献」をしていることで。

 

その場所で自分が何かの役に立っていると思えたら

自分の存在に対して安心できる

 

 

そこで考えてみる。

 

 

ヒト………って、そもそも

「存在している」ことが、存在意義なのに

 

なぜ、役に立てていないと不安に思うのだろう。

 

 

周りにいる、あなたよりも存在価値がある人を思い出してみよう。

その人は、どんな人?

 

 

安定した職についていて、沢山の収入がある人?

仕事において、いつも頼りにされているひと?

優しくて、いつも誰かを助けているボランティア精神にあふれるひと?

 

 

そんな人が価値がある人だ、って思うとき

その人が持っているその価値を、

……自分は持っていない、と感じるだろう。

 

 

その人がやっている行いが、その人の価値なんだろうか。

その人の持っている財産が、その人の価値だろうか。

その人が多くの人から賞賛される事実が、その人の価値を高めるのだろうか。

 

だとしたら

 

自分がそんな役割を持っていないと感じたら

そんな自分には価値がない、と思ってしまうだろう。

 

 

「存在そのもの」

「ただ、存在している」

 

 

実は、ただそれだけが、全ての人が有している最大の価値なのだけど

 

 

人は「役割」を欲しがるよね。

自分に何等かの「役割」があって、

それを実行していることで、誰かの役に立てれば……

自分の存在に疑問を持たずに済む。

 

 

けれど、

そんな風に世の中を見ているとしたら

 

 

その人の眼に映る世界には

存在価値のある人と、存在価値の無い人が現れる事になる。

 

 

 

職場でも、家庭でも、テレビや、ネットの情報を見ても、

 

「役割としてのその人」を観察することになる。

「役割」ありき、なので、役割以上の功績を上げてる素晴らしい人や、役割をこなす普通の人や、役割を果たしていないダメな人が現れる。

 

 

そうして、そんな見方をする人は、

他人だけでなく、実は自分にも同じ価値観を課しているので、

役に立っていないと、「自分はダメだ」と思いがちだ。

 

 

だから努力して自分の価値を高めてみる。

そうして、今より少し収入が増え、今より少し人の役に立っても、

その時はもっともっと自分より素晴らしい価値がある人が現れて

また「自分なんて……」と思う。

終わりがない。

 

 

あなたが羨むような人が現れた時も

あなたが自分に無価値感を感じた時も

 

 

どちらも、自分が持っているルールに氣づける時なので、

ぜひ、こう考えてみて欲しいです。

 

 

「ああ、私は、〇〇のような人は素晴らしい、価値がある、、、、という概念を持ってい居るんだな」と。

 

そして、

「じゃあ、あの人が〇〇を持っていなかったとしたら、あの人は素晴らしい人では無くなってしまうのかな?」と。

 

 

ああ、私は、あの人の存在そのものではなく、あの人の行いや、あの人の功績を素晴らしいって感じていたのか。。。

 

 

と言う事は、実は自分にも「そんな行いや、功績」を、ボーダーラインに強いていて、それが叶っていない場合、常に自分にダメ出しをしている状態だったのか……。

 

 

そんなものを持っていなくても、ただ存在しているだけで素晴らしいのに、あはは、オカシイ…………(・∀・)

 

 

なんて。

 

 

心が揺れた時は、自分の内面に持っているルールに氣づき

重たい荷物を一つ一つ降ろしていくチャンスです。

 

 

そうやって、自分に何の条件も課さずになったとき

 

 

何にももっていない、このただの私のままでいいんだ、と。

ただ存在している事が、私の最大の価値なのだ、と思えるようになります。

 

 

何度でも

何度でも

 

自分に言ってあげてください。

 

存在している事が価値なのだ~(・∀・)!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「短氣」は性格ではない

 

 

先日、どんな会話の流れからか忘れたのですが、「千景さんは短氣ではないですよね」と言われました。

 

私は、その言葉に対して即答できませんでした。

 

「はい」「いいえ」と言えるような、単純な質問と捉えられなかったのです。しばし、考えてしまいました。

 

「短氣?……短氣………。短氣かぁ………」と呟いて、空白の時が過ぎていきました。すると質問された方が、「氣が長いほうですよね(・∀・)」と助け船を出されるような次なる言葉を発せられました。

 

しかし、その「氣が長い」と言う事に対しても、「そうか……そう……ですねぇ………」とハッキリしない回答になり、「短く……はないかもしれないですね……長い?長いですかねぇ………」と。

 

単なる会話なのだから、そのまま流せば良いだろうと思われるかもしれませんが、この「短氣」とか「氣が長い」という表現に対して、私は「……いや、ちょっと待てよ?」と思ったのです。

 

つまり、それらは「性格」ではない………のではないかと。

 

「あなたの性格を端的に言うと?」と聞かれて「ちょっと、短氣です」とか、普通に言いますよね。

 

けど、そんな性格なんて、存在しないんじゃないか?と思うのです。

 

私が若いころはもっと、いろんなことを問題視していたし、怒りのスイッチが入るような、心がざわついたり、イライラしたりすることもいっぱいありました。

 

その頃の私が答えたとするならば、「短氣……なのかな、結構、ムカッとすることはあります。。。それを言うかどうかは別として」

 

って感じになるでしょうか。

 

 

今は、まず、ムカッとするような事が、日常生活の中でほぼありません。皆無とは言いませんが、感じたとしても冷静に自分の内面を観察するか、ただその感情を味わうか、眺めるか……です。

 

これは何故か?というと、イライラする、怒りを感じる、憤りを覚える………のは、自分の内側に「〇〇するべき」「普通は〇〇する」という概念、ルールが無数にあるからです。これが沢山あればあるほど、普通じゃない出来事や、人間としてあるまじき行為をする人が世の中に沢山現れるわけですから、常にイライラ、常にムカムカ、してしまうわけです。

 

……「短氣」と呼ばれるような氣質になっちゃうわけです。

 

若いころ、許せない事が世の中にいっぱいあって、常にモヤモヤしていた自分が、今となっては、「許す・許せない」の概念から外れた所にいて、感情が乱されるような事が起きず、ただ眺めているのですから………。

 

短氣は、性格とは違う

 

と思います。

 

 

「短氣じゃないですよねー」という質問に、時間を置いて今ならば、「それは内面の浄化の度合いの話であって、性格とは無関係なので、日常であまり怒る事が無いのは浄化が進んだ結果かもしれないですね。」という回答になります。

 

ただ、これも、、、

 

こんな事を言って、「えっと……???」となる方もおられるので、どんな風に表現するか、どこまで説明するか、あるいは言わないか、は、そのお相手によって変えています。

 

「短氣」について考えるキッカケをいただけたこと、考えが深まって面白かったです。

 

 

どんな靈氣(レイキ)を学んだのか、よりも……

 

昨年から直傳靈氣をお伝えしていく立場になったわけですが……

私の靈氣(レイキ)の出発点は、西洋レイキでした。

 

今にして思えば、先に西洋レイキを学んだこと、本当に良かったな……と思っているのです。

 

理由は、「先に西洋レイキを学んだ事によって、西洋レイキを知らない事から生まれる偏見を持たずに済んだから」です。

 

西洋レイキは、教えるティーチャーによって靈氣(レイキ)に対する捉え方や伝え方が様々なので、誰に習うかでかなり変わってくるのは事実なので。。。私の場合は、幸運な事に西洋レイキを白石庸子さんから学べたので、こういう事が言えるのだと思います。

 

 

今や、靈氣(レイキ)と呼ばれる療法やヒーリングは数多く存在しますが、もしもそれらが本当に靈氣(レイキ)エネルギーを利用したものであるならば、やり方や思想は違っても、それは靈氣(レイキ)です。。。

 

自分がしっくりくるものを選べば、それでいいでしょ。。。

 

伝統的な靈氣が凄いとかじゃないです。どの靈氣(レイキ)を選んだとしても、やっている人に依ります。

 

 

靈氣(レイキ)エネルギーは、身体と心を癒し、自然な状態へ、あるべき状態へ促していくもの………

 

靈氣(レイキ)は、靈氣(レイキ)。

 

 

どの靈氣(レイキ)を学んだのか。。。と言う事よりも、それを行っている本人がどんなマインドでやっているのか?が、大切です。

 

水分に例えると、ヒトの細胞が一番欲しているのは「水」です。美味しいからって、ジュースやコーヒーやお茶よりも、「水」が一番良いのです……

 

靈氣(レイキ)も、ただ無になって、ただ手をあてる。光をイメージしたり、美しいものを送ろうとしていたり、良くなって欲しい思いを込めるとそれは、意図が混ざって、純粋な靈氣(レイキ)とは言えなくなります。

 

 

私は、自分が施術する時は、全く何も考えず、何も思わず、ただ無になって手の感覚だけを感じているだけですが、それは上記のように「真水」が一番良いと思っているからなんですね………自分が受け手の立場になっても、その様にして欲しいと思いますし。

 

〇〇靈氣、✖✖レイキ、▲▲レイキ、、、、何でもいいんです。

 

靈氣(レイキ)エネルギーは一つですから。

 

名前に拘り過ぎていると分離の思考が強まり、それは靈氣エネルギーの性質から離れていきます。この意図のない自然な生命を活かすエネルギーは、「ただ、在る」のです。

 

だから、靈氣は愛(あい)と言われている。

 

だからこそ、日本で発祥した靈氣が、手法や考え方が変わっても、世界中の様々な価値観、宗教観の中で広まる事ができたわけです。それは、靈氣(レイキ)が全てに降り注ぐ愛(あい)のエネルギーだからです。

 

「ただ、在る」って、本当に凄いことだし、感謝しかないですよね。

 

 

もし、自分の中に分離の思考があるとしたら、それを手放していくのか、それとも分離に氣がつかずにいくのか………個人の自由なんですけど、本当に氣持ちの良い靈氣(レイキ)が流せるのはどういう状態の人なのか?と考えたら、それはもちろん、分離や二元から解放されている人ですよね。

 

ただそのままの

純粋な靈氣(レイキ)を

ただ流せるパイプになる

 

どの靈氣(レイキ)か?よりも

本質的なことを

 

大切にしたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙に委ね、流れに任せる……そんな。

 

2022年、大晦日です。

 

今年一年、どんな感想が残っていますか?

 

これは、人それぞれ違いますよね。その人の意識が現実を創っている以上、たとえ同じような環境で過ごしたとしても、得た感想はそれぞれですから、地球は一つではなくて人の数だけ地球が存在する……というのが本当のところだと思います。

 

世の中で、どんな事件が起こっていても、どんな問題が大きく取り上げられていたとしても、どこに意識のフォーカスがあるかによって見え方も違えば、そもそも関心もなくて見てもいない人もいるわけで、

 

つまり、

 

あなたは、何を、感じたいですか?

 

ってだけの話なのですが、これは他人軸で生きているか、自分軸でいきているか、そしてその度合いはどのくらいのものか?によっても変わってくると思います。

 

ここは地球であり、目の前には三次元の物質世界が広がっているわけですが、その中にどっぷり浸かって生きている人もいれば、そうでない人も居ます。

 

他人軸の度合いが深いほど三次元的に生きている、自分軸の度合いが深いほど五次元的に生きている……と言えます。

 

例えば、他人軸の割合が多ければ多いほど、「今年一年はどんな年だったか」については、世間を騒がせているような出来事や、それによって多くの人がどんな状況なのかなどに関心があります。様々な意見や考えを聞くたびに、それと同意見だったり、あるいは反対の意見や、自分なりの曲げられない思いなどを強く感じたりして、心がたくさん振れる事になります。

 

自分軸で生きる……とは、自分の思い、自分の感情、自分の波動に意識が常にある事かもしれません。目の前の三次元の世界を、自分の内面(五次元)を映す鏡として見ている状態です。

 

そうなると、目の前の出来事にどっぷり浸かることもあまりなくなり、距離感があるような、俯瞰した意識で常に生きるようになってきます。

 

これは、三次元が悪い、五次元が良いとかではなく、各々の自由であって、何を選んでも何を感じてもいいのです。ただ、このアセンションの流れの中では、自分の内面に意識が向いていく人が増えていくだろうし、それは魂本来の状態になっていくことでもあるので、自然で心地よいと感じるだろうと思います。

 

 

私の2022年は、ただただ穏やかだった、のんびりしていたという感想が残りました。

 

リアルでは、直傳靈氣で師範格になったり、セミナーを行うようになったり、練習会を企画したり……と、昨年と状況は変わったかもしれないし、初めての事に若干緊張したかもしれないけれど、それすら忘れてしまいました。感想としては穏やかだった…しか残っていません。委ねて漂っているうちに今の場所に居るし、今も漂っている………という感じです。

 

宇宙に委ねる

 

委ねてリラックスしていると、いろんなことが起きても、動揺しすぎることもなく、安心して生きています。

 

それって、靈氣をする上でも一番大事な事なんですけど、靈氣をしている時だけではなくて、人生がそんな風になっているようです。

 

時間とか……年月とか………あまり考えて生きていないのですが、なんとなく大晦日なので一年を振り返るような記事にしてみました。

 

それでも書いていて「一年」というものが非常にザックリ感じるし、あえて区切る意味もないな……と思いました( ̄▽ ̄;)

 

静かな静かな、大晦日を迎えています。

みなさまにとっても、心安らかな年末年始でありますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

靈氣がたくさん流れるには

 

今月から、直傳靈氣の前期セミナーを受けてくださった修了者さんへ、継続的に練習の場を提供することにしました。

 

靈授会(復習会)&修了者交流会です。

 

Slothの森療術所の前期セミナー修了者さんは、現在のところ6名。私の予定で日程を決めてしまうので、今回はそれぞれ1名の参加で(つまり、私とマンツーマンで)復習会をしました。

 

お手あての経験を積んでもらうのがメインの目的なので、2日間とも、ほとんど私に靈氣してもらう感じでした。

 

実は私は自分が靈氣をガッツリ受けたことがありません。自分が施術するばかりでしたが……今回、お客様の氣持ちを初めて味わいました。

 

もちろん、修了者さんに練習してもらうのが私の目的なので、反応についてや、手の当てる場所や、圧の具合など、お伝えしながら靈氣してもらったのですが、、、、、。

 

90分の直傳靈氣、血液交換法までしてもらうフルセッションを受けて……。

 

凄く、凄く、満たされて、幸せな氣持ちになりました。身体も軽くなり、数時間たった今も満たされた氣持ちが続いています。

 

お客様って、こんな体感だったんだ…と、自分が受けてわかるという……(^^)💧

 

靈氣って、不思議。靈氣って、ありがたい。こんな素晴らしい恩恵を、活用できる身体を、私達は誰しもがもっているのです。

 

その事に、あらためて感動します。

 

靈氣は誰もができる………。

 

本当にできます。前期セミナーを受けて靈氣できなかった人はいません。

 

けれど、相手にどのくらい満足感を与えられるかは、全ての人が全く同じとはなりません。  

 

流れているのは靈氣エネルギーです。それは誰でも同じです。そこに質の差があるわけではありません。

 

だからと言って、誰から受けても同じだわ〜!とはならない。

 

それは何故か?

 

一つには、その人自体の氣の流れの良さがあります。そして、ヒビキをしっかり感知できているか。

 

それが大きいと思いますね……。もちろん、人と人との事なので、相性とか信頼関係も影響はするとおもいますが、そこは今は置いておいて…。

 

ヒビキがわからなくても靈氣は流れるので受ける方は心地よいのですが、ヒビキがわからないと、ピンポイントでここぞという病腺に手をあてられないし、あてる長さも手の反応で判断していくので、ヒビキがハッキリわかるほうが治療としてはしっかり効果がでます。

 

ヒビキは才能ではないので、経験を重ねればわかるようになってきます。

 

 

では、もう一つの氣の流れが良いってどういうことでしょうか?

 

氣の流れが良いというのは、入ってきた靈氣エネルギーを遮るものが無いということです。遮るものは、思い込みの思考や、心配や怒り、など…つまり、エゴですね。

 

靈氣って、リラックスして……ボーッとただゆだねて手をあてることでよくよく流れていきます。つまり、思考のゴミ、不安、心配、怒りがあればあるほど、委ねられない、リラックスできないのでエゴが強いとたくさん流せない、、、ということです。

 

怒りや心配は、ヒト本来の心地よいエネルギー状態とは乖離しており、それが心身の不調和を生むことから、臼井甕男先生は、招福の秘宝、万病の靈薬として「五戒」を導入したのです。

 

それをお掃除するのが靈授でもあるので、定期的に靈授を受ける利点はあります。

 

ですが、靈授だけは頻繁に受けているけど、日常生活で靈氣はあまりしていません……という人よりは、靈授は極たまにしか受けないけど、日常生活でたくさん人に靈氣しています!という人のほうが、氣の流れは圧倒的に良くなると思います。

 

また、目の前の現実に翻弄されて、心が揺れに揺れて不安や心配が絶えない人、そしてその事象や他人を原因にしている人も、氣持ちよくエネルギーは流れないです。

 

他人にたくさん靈氣をする、心が揺れたときは相手にではなく、自分の内側にエネルギーのベクトルを向け、内観する。

 

それか氣の流れが良くなる秘訣です。自分の内側のお掃除をすること、呼吸をするように自然と日常生活の中に靈氣を取り入れていること。

 

これら2つは、魂本来の状態になっていくことであるし、それはつまり、自然と調和し、宇宙そのものの自分、ハイアーセルフの自分で生きることですから、

 

臼井甕男先生の到達した安心立命、神即我、我即神の状態であります。

 

今の世では宇宙即我、我即宇宙と言われたりもしますよね。そもそも我々は宇宙そのものです。

 

ゆだねて、生きる。

リラックスして、生きる。

ただ、生きる。

 

靈氣は、宇宙の根源的なエネルギーですから、靈氣をすればするほど、本来の魂と一致しないことに心地悪さを感じるでしょう。

 

安心して生きていく人が増えることが、私の喜びです。

 

前期セミナー修了者さん、たくさんたくさん、靈氣してくださいね。自己靈氣も良いですが、痛みがあったり具合の悪い他人にあてると、たくさん靈氣が流れますから、相手の方からは喜ばれるだけでなく、自分の氣の流れもどんどん良くなります。

 

氣の流れがよくなると、たくさんの靈氣が流れるので……ヒビキも感知しやすくなっていく側面もあるのではないかも思います。

 

ぜひぜひ、たくさん靈氣してくださいね(^^)🙌