昨年から直傳靈氣をお伝えしていく立場になったわけですが……
私の靈氣(レイキ)の出発点は、西洋レイキでした。
今にして思えば、先に西洋レイキを学んだこと、本当に良かったな……と思っているのです。
理由は、「先に西洋レイキを学んだ事によって、西洋レイキを知らない事から生まれる偏見を持たずに済んだから」です。
西洋レイキは、教えるティーチャーによって靈氣(レイキ)に対する捉え方や伝え方が様々なので、誰に習うかでかなり変わってくるのは事実なので。。。私の場合は、幸運な事に西洋レイキを白石庸子さんから学べたので、こういう事が言えるのだと思います。
今や、靈氣(レイキ)と呼ばれる療法やヒーリングは数多く存在しますが、もしもそれらが本当に靈氣(レイキ)エネルギーを利用したものであるならば、やり方や思想は違っても、それは靈氣(レイキ)です。。。
自分がしっくりくるものを選べば、それでいいでしょ。。。
伝統的な靈氣が凄いとかじゃないです。どの靈氣(レイキ)を選んだとしても、やっている人に依ります。
靈氣(レイキ)エネルギーは、身体と心を癒し、自然な状態へ、あるべき状態へ促していくもの………
靈氣(レイキ)は、靈氣(レイキ)。
どの靈氣(レイキ)を学んだのか。。。と言う事よりも、それを行っている本人がどんなマインドでやっているのか?が、大切です。
水分に例えると、ヒトの細胞が一番欲しているのは「水」です。美味しいからって、ジュースやコーヒーやお茶よりも、「水」が一番良いのです……
靈氣(レイキ)も、ただ無になって、ただ手をあてる。光をイメージしたり、美しいものを送ろうとしていたり、良くなって欲しい思いを込めるとそれは、意図が混ざって、純粋な靈氣(レイキ)とは言えなくなります。
私は、自分が施術する時は、全く何も考えず、何も思わず、ただ無になって手の感覚だけを感じているだけですが、それは上記のように「真水」が一番良いと思っているからなんですね………自分が受け手の立場になっても、その様にして欲しいと思いますし。
〇〇靈氣、✖✖レイキ、▲▲レイキ、、、、何でもいいんです。
靈氣(レイキ)エネルギーは一つですから。
名前に拘り過ぎていると分離の思考が強まり、それは靈氣エネルギーの性質から離れていきます。この意図のない自然な生命を活かすエネルギーは、「ただ、在る」のです。
だから、靈氣は愛(あい)と言われている。
だからこそ、日本で発祥した靈氣が、手法や考え方が変わっても、世界中の様々な価値観、宗教観の中で広まる事ができたわけです。それは、靈氣(レイキ)が全てに降り注ぐ愛(あい)のエネルギーだからです。
「ただ、在る」って、本当に凄いことだし、感謝しかないですよね。
もし、自分の中に分離の思考があるとしたら、それを手放していくのか、それとも分離に氣がつかずにいくのか………個人の自由なんですけど、本当に氣持ちの良い靈氣(レイキ)が流せるのはどういう状態の人なのか?と考えたら、それはもちろん、分離や二元から解放されている人ですよね。
ただそのままの
純粋な靈氣(レイキ)を
ただ流せるパイプになる
どの靈氣(レイキ)か?よりも
本質的なことを
大切にしたいですね。