「すみません 」から 「ありがとう♡」へ

 

 

こんにちは

 

 


お友達の白石ようこさんの今日のブログ

「罪悪感は、これに変える」

https://ameblo.jp/cocoiro-reiki44/entry-12496402990.html

 

 

こちらを読んで、

そうそう、と昔の自分を思い出しました。

 

 


昔、と言っても

ほんの3年前までの私の事です。

 

 

 

私の口癖がまさにこの

「すみません」


でした。

 

 

 

 

人にぶつかったときはもちろん

「すみません」

 


何かものを取ってもらった時も

「あ…、すみません。」

 


声をかける時も

「すみません…」

 


「すみません」「すみません」「すみません」

 


一体、1日に何回

「すみません」って言っていたのだろう。

 

 

無意識に出ている言葉で自覚もありません。

何十回、何百回、言っていたのかもしれません。

 

 

 

当時の私はむしろ

「すみません」

と言っておけば大丈夫。

 

「礼儀正しいと思ってもらえる」

「人間関係がスムーズに運ぶ」

と、安心していたところがあります。

 


ちゃんとした人だと見られるために

私に落ち度はなかったという印象を持たれる為に

いい人だと思われるように

 

 

 

「すみません」は便利な言葉でした。

 


本当に心から「すみません」と思っていたかと言うと、

たぶん違います。

 

 

 

「すみません」と言っているのだから

ちょっとの過ちや失礼は、許してもらえるだろう、

とさえ思っていました。

 

 

 

……私は一体、何に許してもらいたかったのでしょうか。

 

 

 

 


こんな私のために

「すみません」

 


迷惑かけて

「すみません」

 

 

 

すみません

すみません…

すみません…

 

 

 

 


これは凄く矛盾して聞こえるかもしれませんが、

「すみません」の奥底には

 

 


「私は悪くない」

 

 

 

という気持ちが隠れていたと思います。

 

 

 

私は幼い頃から

自分の素直な気持ちは、人にはわかってもらえない

と、固く信じている子供でした。

 

 

 

 


どうせ誰にも私の事はわからない。

本当の私の事なんてわからない。

誰にも心を許さない。

 


小学生の頃には既にそんな感じでした。

 


そのくせ、表面ではそれをうまく隠していたので

表向き人間関係は良好でしたが、

夜になる頃にはグッタリ疲れていて、自分の部屋で一人になる時間がないとリセットできなかったのです。

 


それはそうですよね。

自分じゃない自分を演じて生きているんだから。

傷ついた自我が、真我に幾重にも幾重にも布を被せていました。

 


そしてつい最近まで、そうとは気づかず生きていました。

 

 

 

傷ついた子どもの私は、柔らかな真我を剥き出しにして生きるなんて怖くてできませんでした。

 


人前で弱さを見せたら崩れる。

自分の足で立つ為に、必死で心を固くして力いっぱい踏ん張っていました。

硬い棒のように。

 


しっかりとした自分

真面目な自分

人に親切にできる自分

我慢強い自分しか許しませんでした。

 

 

 

本当は悲しくても平気な顔をして

本当は泣きそうなのに強がって

心は悲鳴をあげていた

 


友達からはよく「強い人」と言われました。

違うのに、と思っても反論しませんでした。

 


「どうせ本当の私は誰にもわからないし、それは仕方ない」

 

 

 

 


私の場合は、それが反転したのが3年前です。

そこから「全ては内側が起こしている現象だ。原因は内側にある」とわかりました。

 

 

日々の瞑想や内観で、たくさんの幼い泣いている自分を見つけました。

 

 

 


白石ようこさんの今日のブログで

すみません→ありがとう  にしてみよう

 


とありました。

これについては3年前、私に変容を促す出来事がありました。

 

当時の職場で重い荷物を運んでいる私を見て、若い男性社員の方が、僕が持ちますよ!って言ってくださったんです。

 


その時、いつもの調子で

「大丈夫です!すみません!!」って言ったんです。

私の仕事だし、私力あるし、申し訳ないし!

 

 

 

そしたらその方、とっても残念そうな、寂しそうなお顔をされました。

 


私としては、良かれと思って遠慮して言った事でしたが

その言葉は、誰のことも幸せにしなかったし、楽しい気持ちにもならなかった。

 

 

 

遠慮している、という事は一見礼儀正しいようでいて……

 


「あなたの力は必要ありません。」

 


と言っているようなものです。

そんなつもりじゃないのに? です。

 


人に甘えられない時…

「あなたは私を引き受ける度量がない」

と宣言しているようなものです。

 

 

 

驚かれますか?

 


では、逆を考えてみてください。

 


あなたが誰かを助けたい、と思った時

「大丈夫です。すみません。」

と言われたら、、、

 


寂しいでしょう?

私はあなたを助けたいのに、力がないんだ、、と

自分の無力を感じるでしょう?

 

 

では、「ありがとう!」と言われたら……

 

嬉しくないですか?

迷惑だなんて全く思いませんよね。

 

 

 

私はその出来事の後から

何でも自分で頑張りすぎないで

人に頼る事を覚えました。

 


それは自分に優しくする行為でもあり

「あなたを信頼しています」という柔らかなエネルギーを放つという事でもあります。

 

 

 

魂の学びは永遠に続いていきますが、私はこの3年でかなりの手放し、削ぎ落としがあったので、今はとても楽に生きていますし、私の周りの人々も以前よりとても楽しそうに生きています。それは私が変わったからですね。

 

カチンコチンの硬い棒のように、北風に負けないように踏ん張っていた私は、

 

今はくにゃくにゃのコンニャクで、中心に一本しっかりとした細い軸がある感じです。

 

ちゃんと嵐にも吹かれますし、雨にも濡れます。

またお日様の心地よさも感じます。

起きる出来事に争わず、どんな自分も許して揺れに揺れる。中心の細い軸は、一緒にしなる。

それはとても強い。ポキンて折れませんから。

 

 


自分が通った道だから言える事があります。

 

 

 

 


無意識下の自己肯定感の低さから口癖が


すみません

 


口癖だから、1日に何十回も発している

 


すみません

すみません

すみません…

 

 

 

 

 

これが反転して

 


ありがとう。になったら、、、

 

 

 

すみません。

ってつい言ってしまうほど、他人に申し訳ないと思える人って、、、

 

 

同じ数だけ、人に感謝できる人です!!!

 

 

ちょっとのことで感動できる幸せみっけが上手な人。

 

 

日常の至る所に当たり前じゃない幸せに気づける人。

 

 

絶対にものすごく愛の大きな人になる。

 

 

 


陰極まって陽となる。

全ては魂の計画した自作自演かもしれないけど、

 

 

 

どんな幼少期も

とんな青年期も

 

 

 

無駄な経験はなく、今この自分に繋がっているのです。