レイキエネルギーと共振する、とは

 

 

 

昨日書いた内容から派生して、得たインスピレーションです。

 

 

失くし物を見つけるために、遠隔レイキをしたその時に「期待」「願望」「不安」「疑い」ではなく

「すでに見つかったと、私は知っている」という状態でレイキをしました。そして、見つかった。

 

 

この時得た感覚から、今日のテーマとなります。

「レイキエネルギーとの共振」

 

 

これね・・・

今までも、「レイキエネルギーと繋がって・・・」とか「レイキと共振して・・」とか、レイキをされている方は聞いたことがありますよね。割と簡単に言われるんですが、私のこれまでの感覚としては、

 

 

『遠くにあるレイキエネルギー✨』

 

 

『今ここにいる私(・∀・)』

 

 

という構図でしてね…。私という人間がいて、その物体が目に見えないレイキエネルギーがあると仮定して繋がってる風に、とイメージしていました。だって、見えないんですから!想像するしかなかったんですよ(笑)

 

レイキエネルギーというエネルギーがあるのだろう、そこに入っていく感じをイメージしたらいいのだろう・・・的な。

 

 

やはり、「言葉」というのは、どこまでも「制限」を背負っていると思います。「共振している感覚」は、ある人にとっては「共振」という言葉がぴったりかもしれませんが、実際に

 

『そう言われましても・・ポカーン・・(?_?)』

 

となる人だって、いっぱいいますよね。そして「共振がわからないなんて、自分はレイキできていないんだ」と思ってしまっても仕方がありません。

 

 

しかし、私が今回実験してみて感じた大きな違いは

 

「レイキさん」と「私」・・・・

では、ないんだー!!!!!!という事でした。

 

言ってみれば「レイキ」って、なんだか清らかで、純粋で、美しいエネルギーと感じるじゃないですか。だから私とは違う高尚なエネルギーなんだろうな・・・とか、遠く別の次元のエネルギー…に感じませんか!?

 

けど、レイキってこの空気中にあたりまえの様にあるプラーナで、自然のエネルギーなんですよね。そして、ここが一番大切「あなたも、それと、同じ、全く同じ、エネルギーなんだよ!」って事なんです。

 

自分を「人間」という物質のカタマリに見立てると、目の前の人とも、視界に見える物質とも、全て隔たりがあります。私は私で、あなたはあなた。分離して見えますよね?

 

テーブルや椅子とも、車も、木も、自分とは別物で、世の中にはいろんな物質でできていますよね?

 

だからもちろん、コロナでちょっとポッチャリしてきた物体の私と、空気中の美しいレイキエネルギーは全然別モノのはずですよね?( ̄▽ ̄;)

 

そう思っちゃいそうですよね…(−_−;)

 

 

けれど、身体って実はカタマリ(?)じゃないんですよ。筋肉、、、骨、、、内臓、、、どんどん細かく切っていくと…それを構成しているのは細胞ですよね。そして、原子、、、ってだんだん小さく見ていく。すると、結局のところ私達って素粒子という粒の集まりなんです。(椅子も車もみんな同じ原理ですよ)

 

とにかくめっちゃ小さい小さい『粒』が集まり私たちの身体になっている。そして……身体のほとんどは「空間」なんです。こんな風に(・∀・)

 

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これ、原子の図ですけれど、東京ドームの広さに対して原子核はたったの1円玉ですよ…。ね、ほとんどが空間なんです。原子がこの状態という事は、それが寄り集まった集合体である肉体も、ほとんどが空間の、粒である、とイメージしやすいでしょうか。

 

 

目の前にいる彼も素粒子で、あなたも素粒子、そしてほとんど空間。全てがエネルギーで、光です。素粒子で、波です。

 

だから、「レイキエネルギーさん」と「私」という、別人格とかじゃなくて、「私も、レイキも、エネルギーなんだよーん」ですよね。

 

ここ、分離して考えている人もたくさんいるんじゃないかな。本当は「私」なんて、無い。在るのは「意識」「想い」だけ。あとは「空(くう)」だという……。

 

なので、「レイキエネルギーと共振する」って、全然高尚なことでも、難しい事でもなく、「私は素粒子で、空間は全て繋がっていて、私は神と同じで、だから当たり前にレイキとも溶け合っている」って意識だけでもそう思えそうじゃないですか?

 

私の昨日の遠隔レイキでの感覚は、

「レイキエネルギーが自分で、自分がレイキエネルギー」のように、「その空間に溶ける」ような感覚でした。

 

 

これも、結局私は言葉で綴っているので、ピンと来ない方もいらっしゃると思いますが、感覚だけで「繋がっている」とできる人と、そうでない人がいるので、そうでない方の場合は、私の説明で何となく「できるかもしれない」と感じてもらえたら…と思います。