正直に生きることで見えてくる世界

 

1人静かな年末を過ごしています。

 

家族は一足早く実家へ向かいました。私は3日遅れで行く予定で、今は猫と2人きりです。

 

猫はわざわざこんな狭いところで寝ています。今は発情期で、夕方から早朝までナァ〜オォォ…ナァ〜オォォ!!!!と大声で鳴きます。切ない猫心です。

 

妹宅へ預ける日まで後2日。それまでに少しでも治ってくれたらいいな…と期待しています( ̄▽ ̄;)

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真夜中のナァァ〜オォ!!に向けて休息中。

 

 

 

世の中には、暇が耐えられないとか、外で活動していたいとか、忙しい方が好きな人は沢山います。

 

1人でいるより誰かといる方が楽しくて、予定を目一杯入れる人もいます。

 

私はその逆で……。忙しいと気持ちが荒み、自分とゆっくり向き合えないと疲労困憊します。

 

若い頃はそれでもそんな事ばかり言えない状況がたくさんありました。周りに合わせなければいけないのだ、と信じていました。疲労困憊しながらも仕方のない事だと受け入れていました。

 

というか、自分が本当はのんびりする方が性に合っている事すら、自覚できていなかったのです。

 

周りの大変さとか、状況とかか見えすぎるくらい見え、自ら先回りして動こうとしていました。もともと共感体質であることに加え、自己肯定感の低さから、状況や感情の渦に、境界線を引くことが出来ず、人のことまで勝手に引き受けて、勝手に疲労困憊していました。その根底にあった思いは、

 

いい人に見られたい。

嫌われたくない。

 

これに尽きます。あまり見たくない自分の本心ですね。善意からではなく、こんな嫌らしい思いを隠しながら動いていただなんて、自覚したくないです。

 

でも、この感情を受け入れなければ、理由も分からず、ただ苦しいままなのです。そして、その苦しさの矛先を外側の状況や、周りにいる人に向け、それらが私を苦しめる原因だ、と判断してしまいます。

 

自分が苦しいとしたら。

 

それはひとえに、『私自身が、私の本当の気持ちを抑圧している事に気づいていないから』に他なりません。

 

私はこの年にしてようやく、実は自分はのんびりするのが好きなのだとわかりました。これは、若い頃の私を知っている人から見たら、正反対だよ??と言いたくなるかもしれません。何の刺激もなく、何からも急かされず、静かな環境で、心地よい場所で、リラックスできる音楽を聴いて、ひたすら動物とマッタリする。

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これが私の心地よさです…。

 

 

歳を重ねる毎に、我慢が効かなくなりました。これまでできていた我慢が、胸の中の違和感として抑えられなくなりました。違和感を自覚してしまったら、それがいつか消えて無くなるなんて事は絶対に無く、違和感は日に日に大きくなり、訴えかけてくる。

 

自分がそれを自覚し、その違和感や感情をちゃんと受け入れて、その事についてでき得る行動して初めて、浄化されるのだと思います。

 

自己肯定感が低いと、行動する前に思いを飲み込んでしまいますが、それは決して消える事はなく、燻り続け、潜在意識に不発弾を抱えてしまいます。

 

目の前の人を信じて、下手くそでも正直な自分を出すことです。

 

スポーツと同じで、コツコツ、コツコツ、練習を積むことです。

 

自分が迷惑だと判断しているような内容であっても、勇気を出して本心を吐露したら、その行動に対して心の底から安心している自分に気づきます。ようやく本心を出してくれたね、って自分への信頼が回復します。

 

勇気を出して行動すると、真正面から受け止めてくれる目の前の人に対して、その寛大さや優しさに触れるのです。

 

そうやって自分に正直に、自分に優しく生きると、結果の如何に関わらず、この世界は優しかったのだ、とわかります。