人間に興味が無い宣言!!(∩´∀`)∩

 

 

 

 

最近は、週末にひとつ、記事を書いてみる……のようなペースになっています…('◇')ゞ

 

 

この一週間は、「自分というものをもう一段深く知った」期間でした。始まりは、自分自身に対して、「私は、人間に対して……興味が全くないな」と思った事から始まりました。……ふと思ったのですが、それは長い間なんとなく、ずっと思っていた事でもありました。

 

 

これ、今はフラットな気持ちで記事を書いていますが、2週間前はちょっと悶々として、書ける状態ではなかったです。

 

 

「人に興味がない」って書くと、皆さんどんな印象を持たれますか?日本人なんて、助け合い、お互い様の精神がありますから、「なんて冷たいんだ……」と思われますかね。。キリスト教の国でも、慈悲の心とか、ボランティア精神とか、強そうですから、人に興味が無いなんて、信じられないですよね。

 

 

私も、自分の事なのに一応「それって、どうなんだろう……」と悶々としたわけですよ。なんで、興味が持てないんだろう、なんで他人に対して関心が無いのだろう……と。それでいいのか?と。ちょっと悩んだ……ってほど深刻でも無いんですけど、悶々とした…くらいの表現がちょうどよい気持ちになりました。

 

という事は、私は「人に興味が無いなんて、人として良くはないのではないか…」という気持ちが少し湧いたわけです。もう、ジャッジなどほとんど手放しているはずが、自分の気質にたいして、「どうなん…?」と思ってしまったわけです。

 

 

人に興味があって、人と関わるのが楽しくて、人と共に生きる事に喜びを感じ、誰かの喜怒哀楽に対して積極的に寄り添い、人の行動に関心を示し、誰かの成長を促し……。

 

そうやって、地球の人は、人と関わる事で生きていますよね。そうやって生きていく中で、エネルギーの行き来が発生するから、それが商売に繋がったり、経済が回ったりしていますよね。

 

……私は、そこに全く関心が持てません。音大時代も、自分が演奏をする事を喜びとしていましたが、お客さんに聞いてもらう事には全く意識が向きませんでした。陶芸も、自分の内面を形にして表現するのが喜びであって、作品を沢山の人に知ってもらいたいとか、作品を売ってお金を稼ぎたいとかは思った事がありません。

 

 

自分自身がどう感じているか、自分の心地よさを優先して生きる事に関心があるし、そこに誰か自分以外の人間に居て欲しいとは思いません。何をするにも、誰かと一緒にやるという発想がありません。そばにいてくれるなら、動物が良いです。自然の中で動物といる方が好きです。

 

……でも、あらためて考えてしまったんです。私は自分が心地よいと感じる事しかできないけれど、それは一般的にはもしかしたら「冷たい人」というレッテルを貼られるような資質であるかもしれない。「これでいいのだろうか。なぜ私はこんなに人間に関心がないのだろうか。」……自問自答していたのです。

 

 

インターネットでも、「他人に興味が持てない」というワードで検索してみたりしました(笑)そうしたら、数ある中でものすごく腑に落ちる記事に巡り合えたのです。(ありがたいことです…)

 

他人に興味がない人の特徴は普通|正体は冷たいか優しいか?|自分を知るスピリチュアルっぽい世界 (nandemoii.com)

 

 

これを読んで、めっちゃ当てはまりまして。7のサイコパスは違うんですけど(笑)前半部分の「3自分への興味が強い、4自分の喜びを尊重する、5他人の干渉を嫌い、自らも他人に干渉しない、6同情しない、8熱中するものや動物や自然が好き」はもう、そのまんまで。これを読んで「ああ、私は私のままで、このままでいいんだ」と。自分の資質を全肯定して受け入れることができました。

 

 

一見、「欠点」に思えるような自分の資質を、「このままでいいんだ」と受け入れ、そんな自分を良しとして統合していく。唯一無二の自分、という存在を、より深く知り、より深く愛して生きていく。

 

 

「他人に興味がありません」を堂々と掲げて(笑)そんな自分で生きていくことに躊躇しなくなることにより、自分のいるエリアが一段、変化した感覚になりました。より俯瞰して見える感じがします。

 

 

人に関心があって、人に関わり、人と交わって、共に進化成長していきたい…という人も沢山いると思います。その方が地球で生きていくには普通というか、ちゃんと社会の一員として参加している感、があると思うのですが、時にそれが執着を生み、自分と他人の課題をごちゃごちゃにして、結果カルマを増やす事にもなります。それが、人間らしくていいんだ!という視点もあります。

 

 

だけど、もう自分は『そこ』には居ないんだな、と悟ったというか。

 

 

本当は、もっと幼いころからわかっていたこの資質…。昔は、周りと自分の感覚の違いに対して違和感があったし、そのことで自分を否定していたのかもしれないけれど、それは全然変な事じゃなくって、むしろ人間の持っている「執着、恐れ、カルマの重さ」に対する強烈な違和感だったんだな…と、今になって思うのでした。

 

 

全てを受け入れることで、ようやくその違和感が消え、自分で在ることに対して深呼吸できたような感じがします。

 

 

人に関心がない=人に冷たくあたる、って事はないので、私と直接関わる機会のある方は、安心してくださいね(笑)そうではなくて、「その人の人生の課題や、その人の感情の揺れにたいして、自分が深入りする必要性を感じない」のです。だから、どの人に対しても同じくフラットな態度でいますよ。ただ、それだけの事なのです。