昨日、時間は幻想‥という文章を書きました。
あらためて思うのは、『今ここ、この瞬間』には当たり前ですが、『過去』も『未来』もありません。『今』だけがあり、その連続です。
過去と未来が無いということは、『後悔』も『期待』もないという事です。
ただ目の前に見えるもの、肌に触れるもの、聞こえてくるものを、全身で感じているその瞬間、瞬間だけがあり、それゆえ『今』に居続けている限り、不安も恐れも欲もありません。
思考は無くなり、ただ平穏である。そして五感に敏感になる。
人々が、今ここだけに意識があれば、全ての人は平穏な幸福感の中に生き続けるでしょう。
それは、映画のストーリーの中で生きてきた人生からすると、なんのアップダウンもなく、刺激もない。今までの人生に「生きがい」を見出している場合は、「今ここ」はつまらなく見えるかもしれないですね。
その場合は、心ゆくまで味わったらいいし、それはどちらでもいいのですが。
「空(くう)」は「今」に存在していて、面白みも刺激も何も無いかもしれないその中には、何もないようでいて全てがあるとも言える。
瞬間瞬間の「今」を感じ続けている時。思考は無くなり、あるがままに委ね、ただ安心感がある。
「悟りの境地」っていうのはきっと、過去や未来に意識を向けず、今に居続ける状態なのではないかな。
だとしたら、実はとっても単純で、簡単な事だったんだな……と思ったりする。だって、修行しなくても、天使のお告げがなくても、特殊な能力に恵まれなくても、誰にだってできる事だったんだから。
ただ、「今を感じて安心している」ってだけなんだから。